私のブログは、
約9年前に…
風邪すらひかない
超健康なサーファー旦那が
悪性脳腫瘍グレード4
神経膠芽腫を
発症した時からを書いています。
大切な人を亡くし…、
絶望感に襲われ、
「人生終わった」と感じ、
自死まで考えていた絶望未亡人が…
どうやって生きてきたのかを
赤裸々に綴っている…、
『30代絶望未亡人
這い上がり物語』です。
初めから読んでくださる方はこちらから…
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33歳旦那の病気、発症!
↓
病名が判明しました
↓
2歳と5歳のワンオペ育児をしながら…
↓
旦那の脳腫瘍が再発しました
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そして…
↓
旦那を失う前にも…
↓
これの続きです
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悪性脳腫瘍が、
脳内で再発をした旦那は…、
少しずつ、少しずつ…
機能が奪われていきました。
声を発することも…、
大親友といる時でさえ、
無くなりました
以前は、
声を出さなくても、
友達がふざけたことを言えば、
笑っていたのに…
笑うことも、
なくなりました。
表情が無くなり…、
発語もない。
うなずくことすら…、
無くなってしまいました
そんな時にも…、
旦那には、
沢山の仲間が
会いに来てくれました。
そんな時だからかかな
もう…長くないかも…って、
高校時代の友達が、
ひっきりなしに
会いに来てくれました。
そんな仲間たちとの時間を、
無表情で、何も言わずに、
旦那はどうしていたか…
と、いうと…、
じーーっと、
じっくりと…、
ただ、
みんなを見つめていたのです
時には、
何か言いたそうな目をしたり…
時には、
涙を浮かべながら…、
じーっと、
みんなのことを、
見ていました。
あの時、
旦那がどんな気持ちだったのか…は、私にもわかりません。
ただ…、
旦那が亡くなる、
数日前までの、
旦那のその目は…
愛のある目をしていました。
まなざしに愛があるというか…
優しく、
おだやかなまなざし。
それはまさに、
旦那の人柄を、
表したような…
そんな優しく、
まっすぐなまなざしだったと、
思います
勝手な私の想像かも
しれませんが…
旦那は…、
最期まで、
幸せだったのではないか
そんな風に思える、
まなざしだったのを覚えています。
つづきます