私のブログは、
約9年前に…
風邪すらひかない
超健康なサーファー旦那が
悪性脳腫瘍グレード4
神経膠芽腫を
発症した時からを書いています。
大切な人を亡くし…、
絶望感に襲われ、
「人生終わった」と感じ、
自死まで考えていた絶望未亡人が…
どうやって生きてきたのかを
赤裸々に綴っている…、
『30代絶望未亡人
這い上がり物語』です。
初めから読んでくださる方はこちらから…
↓
33歳旦那の病気、発症!
↓
病名が判明しました
↓
2歳と5歳のワンオペ育児をしながら…
↓
旦那の脳腫瘍が再発しました
↓
そして…
↓
旦那を失う前にも…
↓
これの続きです
⬇︎
旦那の状態は…、
抗がん剤を継続しながら…、
精神科病棟で、
落ち着いていました。
月に1回の再発チェックの
MRIも…クリア。
看護師さんや
入院患者さんに
暴力を振るうことなく、
穏やかに過ごしていました。
しかし…
恐れいた、
その時は…
来ました
脳腫瘍がわかってから…
14カ月目のある日、
病院の看護師さん
「旦那さんが、
けいれんを起こして、
〇〇病院に救急搬送されました!
すぐに、
その病院に行ってください!!」
それは…、
旦那の病気がわかった時点で言われていた…
名医
「100%再発すると言われている病気です」
まさに、
その言葉通りのことが
現実になりました
うちの旦那だけは…、
違うのではないか?
うちの旦那なら…、
そんなことには
ならないのでは?
再発しない、
1人目に
なるのではないか?
だって…
旦那は……、
強いし…
たくましい人だもの…
きっと、
奇跡が起こるに違いない
そう、
本気で思っていたことも
ありました。
それが難しいことだということも、
よく理解してはいましたが…、
うちの旦那なら、
奇跡が起こるかもしれない
そう、信じていました
抗がん剤だって、
2種類を完璧にやっていたし…
食事だって、
がんに栄養を与えない食事?
だかの本を参考にして
作っていたし…、
200万かけて、
自家ワクチン療法だってやった。
プロポリスだって…
フコイダンだって…
にんじんジュースだって…
びわの葉温熱療法だって
やった…
やれることは……
やってきたのに…
ダメだった
旦那の頭のMRIには…
はっきりと、
脳腫瘍のカゲが…
うつっていました
発症から14カ月。
あれは…
地元の夏祭りの日の夕方でした。
街は賑わい…
お囃子の音が軽快に鳴り響く。
いつもは人が少ない街に、
沢山の人が集まり、
みんなが楽しそうに過ごしている?
そんな日に、
私たちは…
地獄に突き落とされました
主治医
このプレイボーイDr.ね
「ここからは…、
数カ月…
だと思います」
私は……、
その言葉に…、
愕然としました
やっぱり…
名医の言った通りになってしまうのかぁ…
いや…
でも、
まだ、わからない。
もしかしたら…、
再発をしてから、
長く生きられるかもしれない
そんな奇跡の1例目に、
なるかもしれない
私は…、
そう信じていました。
それは…、
現実を受け入れられなかったから…、
あまりにも残酷な現実を
受け入れたくなかったから…
きっと…
そうに違いありません
つづきます