私が首にかけているのは、アフリカのウガンダで、地雷の被害に遭った、ちょっと気の毒な女性たちが作ったネックレス。カラフルで楽しい気分になります。プチお気に入り。

先日のこと、講演「忘れられた難民」を聞きに、ひとり都内へ。サヘル・ローズさんなどがお話をしてくれました。アフリカからの情報は、優先度が低いのが当たり前化されている、知ろうとして欲しい、と訴えていました。

 

 

 

 

子どもたちの画像は、ウガンダの難民キャンプにある学校あたりで、撮影されたものだと思います。学べる環境を整えてあげることって、大切ですね。

 

 

 

 

講演会を開いたのは、AARというNPOでした。フリースペース&カフェ「太陽と月と星々」でゲストに出すため、紅茶もこの日に購入しました。アンニョン。

個展の名前に、興味をそそるような、うまいものをつけましたね。まんまとその作戦に乗せられ、見に行くことにしました。そもそも、閉ざされた空間と外部とをつなぐものが一般には窓だと思いますが、現代ではスマホなどの画面も、外の世界とつながっている窓と言えますね。
 

 

 

9つの作品を順に紹介します。まずは一つ目。白い部屋の内部に窓からの光が差し込み、時間の経過とともに窓から入る光が壁に当たる場所が動き、それとともに壁に描いた植物のようなものが変化していくさまを、映像にしたもの。
 

 

 

ただの白いキャンバスに見えるものは、脇に製作過程を映像化したものが流されていました。最初の一筆から、一筆ごとに撮影し、さまざまな色を使って塗り重ねる様子が映っていました。最後の白い絵だけを見ても途中経過はわかりませんが、映像と併せて展示することで、過去へと思いを巡らせることが出来ます。

 

 

 

とても大きな絵は、天井の高い美術館の、白い壁に青で描かれていました。一緒に脚立が写っているので、絵が大きいことがわかります。作品のサイズが大きいということは、手に入れてもそれなりに大変そう、なんて思いました。例えば家を追われる境遇になっても、軽くてコンパクトなものなら、お気に入りを持ち運べますからね。

 

 

 

板を切り抜いた立体を、前後に並べたものは、奥へ行くにしたがって成長する、植物か何かの芽生えのようにも感じました。

 

 

 

入り口を入って最初に置いてあったのが、1m×1m×2mほどの木の箱を透かし彫りにして、中央に入れた白熱電球で照らしたもの。周囲に出来る影も少し面白かった。

 

 

 

バベルの塔、と題された作品。キリスト教徒でなくとも聞いたことのある、聖書に出てくる建造物のことですね。もっと先へ進みたいとか、もっと先を知りたい、といった欲求を人が持つのは、昔からのことでしょうね。そういった欲求が、気に入らない人たちを、より効率よく殺せる兵器の作り方を模索、なんて方向へ進みませんように。
 

 

 

緑のゲートがずっと先へと見る人をいざなう油絵。数多くの鳥居が並んで通路を作っているような神社があちこちにあるようですが、受けた印象はそれに近かったです。途中で脇へそれちゃうのも、面白そうだと私は思いますけどね。

 

 

 

渦とタイトルがつけられた絵は、中心から何かが生まれて、その流れがずっと続いてるという感じがします。巻貝みたいなものかな。

 

 

 

最後の、モニターに流されていた映像は、石田さんが砂浜で遊んでいるもの。背中にしょった噴霧器で、水を勢いよく噴き出させ、そのジェット水流で砂の上に自由に線を残す、といったもの。「あ、これちょっと面白いかも」と感じても、子供じみているなどとブレーキを自らかけてしまい、行動に移せない人も多いような気がします。ちょっと自由に振る舞うだけで、人生はぐっと楽しくなりそうです、

有意義なミュージアム訪問になりました。かなり満足です。

立川でいつもの仕事を終えたあと、立川駅北口と
武蔵小金井駅北口で、細身のカレンダーの紙で作った
プラカードを掲げ、わずかな時間ですがスタンディングし、
世の中に私の主張をアピールしてきました。15分+5分。

海外から来たと思われる通行人も立川ではチラホラ見かけ、
きょうは南アフリカ共和国とアメリカ合衆国から来た、
共に肌の黒い、若い2人連れの女の子が話しかけてくれて、
しばし会話を楽しみました。

なぜ軍事予算を増やすことになったのか、など質問されたので、
私の思う所を少しつたない英語で彼女たちに伝えました。
「兵器や武器で稼ぐ悪い企業があって、彼らの稼いだ金が、
悪い政治家の手に渡るからだ」、といった具合に。

貴重な社会資源の投入先として、軍事へ、ってのは、
私はあきらかに間違っていると思います。
どこへその社会資源を投入するか決める際に、
もっと市民サイドが決定権を持つことが必要だと思います。

私のほかにも、長身の白人男性が、持参したパレスチナカラーの
布を掲げ、通行人に静かにアピールしていました。

市民が声を上げることを、気軽にできている国、
声を上げることを大切に考えている国っていうのは、
思いのほか多いのかもしれません。
身の危険を伴う国ってのも、少なからずありますね。

訪日客が増えて、日本の民主主義がバージョンアップ、
なんて流れよ、ぜひ来てくれー、クレクレタコラ。

画像はプラカードの表、

 

 

 

裏、

 

 

 

丸めてコンパクトに収納するための、短く切った

サランラップか何かの芯です。こうして鞄に忍ばせました。

きょうも東京は夏らしく、暑さをたっぷり満喫できる1日でした。

私の家では直径40㎝ほどの、ガラスのボウルに庭の土を入れ、
しばらく前から自由に生えてくる草や苔を眺めて楽しんでいます。

地球がまだ球体だとは認識されていなかった頃に、
当時の人々が想像したこの地球の姿はこんな感じに近かったそう。
はじっこまで船で行くと、落っこちてしまうと思われていたらしい。

水やりもしていませんが、雨水とおひさまの光と二酸化炭素で多くの命が。
なお、この半球には、「ユートピア前沢」と書いた看板を立てています。
木製スプーンには、LOVE、PEACEとも書き、小さく平和を願って。

 

 

 

 

ちょっとだけズームアウトすると、きかんしゃトーマスの顔や、
青いキックボードの一部も画像に写ってきます。トーマス好き。

 

 

 

 

さらにズームアウトすると、ブロック塀の一部を残した、門の跡が。
トーマスの仲間に加え、犬小屋で昼寝しているスヌーピーもいます。
近所にある保育園の送り迎えで、家の前を通る小さい子供が
興味を示しているらしい。
選挙での候補者ポスターなども、ブロック塀に貼っています。
こういうことが自由にできるのは、一戸建ての良いところですね。

 

 

 

 

きょうは図書館で仕事の調べ物などをしたあと、Blancoこと
カワサキのKLX125に乗って小金井公園へ。夕方になり涼しくなって、
そよ風が気持ちいいです。いつものボックス席が空いていました。

 

 

 

 

公園内にある、いこいの広場の中央では、女子高校生5人組が、
ダンスする姿を動画撮影しています。10代の日々を
楽しんでいるようで、なんだかうれしくなります。

勉強ばかりじゃなくて、その時に思いっきりやりたいと
心から感じたことに時間とエネルギーを使うのを、
私は学生や生徒に強く勧めたいですね。

一度きりしかない人生なんですから。

三連休最後の日は、乗降客数が世界一のJR新宿駅で、
40分だけプラカードを掲げ、こんな風にアピールをしてきました。
その他に、デパートでの買い物も新宿訪問の目的のひとつでしたが。

 

 

 

 

さすがに人が多いので、こちらを見てくれる人の数も、かなりの数に。
親指立てて、いいね、の意思表示をしてくれた人が数人。
他にも、明らかにほほえみかけてくれた人や、
はいていたデニムのパンツの、太ももの裏に「反戦」と
書かれていたのを見せてくれ、「同じです」、と言ってくれた人も。
立っていたのは、東口のアルタがある側です。交番の正面。

 

 

 

 

漢字が読めないし英語もわからないけど、
なんて書いてあるんですか、と聞いてくれた
海外出身らしき男性もいました。
次回は「戦争」に、ふりがなを振っておきましょう。
なお、語尾の「っぺ」は、茨城の方言です。ユーモラスな感じで好き。

 

 

 

 

ウクライナでも、ガザでも、そしてアフリカの多くの国でも、
どう考えても無益な争いが、残念なことに今も続いています。

戦いの当事者じゃなくっても、人命がむやみに損なわれる悲劇に

ピリオドを打ちたいと思っている人は多いはず。

そして限りある社会資源が、多くの人のしあわせにつながるような、

意味のあることに使われるように、手を尽くしたい、

というのが私の願いです。

 

 

 

 

プラカードの製作費は、スーパーでもらってきた段ボールに、
家にあったマジックを使っただけなので、限りなく0円に近いです。

微力だけど無力じゃない、と思って、今後も1人でも立つつもりです。

ファッションブランド「ミナ ペルホネン」という名前については、学生時代からたまに目を通していた雑誌「装苑」で目にしたことがあり、わたしの記憶に残っていました。ブランドを立ち上げた皆川さんの本を、先日近くの図書館で見つけたので、期待しながら読んでみました。以下、印象に残った素敵な記述をいくつか抜き書きします。

 * * * * * *

ここから先、どこまで行けるだろう? という好奇心がよりつよくなってきていると感じる。

究極のクリエーションは、生き方を変える。それほどの力を持っているものだと思う。

ものは、「よい記憶」をつくるためのきっかけだ。

手足となって働くひとばかりの会社はあぶないし、脆い。

これで大丈夫だろうか、とつねに自分たちの姿を確認できるようにしておきたいし、流れに身をまかせることはしたくない。

ぼくの日常は、いまも毎日がほとんど変わらない。朝、目が覚めると、ああ、今日もやるべきことがたくさんあるなと思う。

 * * * * * *

読んで、確かにその通りだよな、と膝を打つことがいくつもあり、いい読書の時間を過ごせました。いままではこの世になかった何かを、作り出す作業、産み出す作業って、改めていいものだし、尊いものだな、と感じました。少しですが勇気のようなものを、もらった気がしましたね。どうもありがとう。

https://www.mina-perhonen.jp/

きょうは早い時間に仕事が終わったので、
観たかった映画を新宿で満喫してきました。

BGMなどはほぼ無く、かなり静かな印象の映画。

話の展開するテンポも早過ぎず、

観る側に映像やセリフの意味を考えさせるような、

適度な間があるのが良かったと思います。

ドイツ人の主人公ヘスは、アウシュビッツの所長。

彼の一家は強制収容所と高い壁で隔てられた庭の広い家に住み、

妻や子供たちと共に楽しく暮らす。壁の向こう側で行われていた

非人道的な扱いなど、どこ吹く風、といった具合に。

収容所内での描写はあえて無くし、時折聞こえる悲鳴や銃声、

遺体を焼いた煙、集められたおびただしい数の遺品が出てくる程度。

したがって少し予備知識があるといいかもしれないけれど、

映画をきっかけに虐殺などについて知るというのもいいかな。

舞台は第二次大戦中ですが、ドイツ人ファミリーでなく、

現在のロシア人やイスラエル人ファミリーという設定でも、

似た映画を作れそうなのが悲しい。

苦しんでいる側や、困っている側の声を聞くことも、

たまにはしなくちゃな、なんて思いました。

なんとかファースト、などと言ってはばからない政治家さん達も、

その辺をぜひよろしく。

都知事選での投票は、私はすでに済ませました。

しかし有権者である自分が、選挙で一票を投じるだけでは、
まだまだ足りない気が最近はしています。
落ち着いて探せば、他にも希望の持てる暮らしのために、
出来ることはあると、わたしは信じています。

思えば昭和の負け戦に突っ込んでいった当時だって、
男子の普通選挙はすでに制度としてあったのに、
戦争に対するブレーキが利かなかったんですからね。
命があって自由にものが言えるうちに、手を尽くしたいです。

ところで最近は1人でも駅前などで主張を書いたプラカードを掲げ、
スタンディングする人なんてのも増えてきたようですね。
それは間違いなく、いい変化だとわたしは思っています。

振り返れば、日本でも市民が既成の権力、説明責任すら
果そうとしない権力に、普段からよく刃向かっていた時代が
ちょっと前にはあったようです。安保闘争の頃かな。

その頃には、プラカードやヘルメットにメッセージを書いて、
手に持ったり頭にかぶったりして、声を上げていたりするのも、よく見かけた光景だったと聞いています。

その頃のヘルメットを現代風にバージョンアップさせて、
先ほどこんなのを作って見ました。

 

 

 

白いヘルメットの正面に、裏金ゆるすな。

 

 

 

背面に、GO VOTE +α(選挙に行って プラスアルファ)と。

わたしがバリケード封鎖などをして機動隊あたりとやり合う際には、
ぜひこれを被って、元気に抵抗したいと思います。

 

 

 

ベースになったヘルメットは、カクメット、という名前のもの。
初期のCGみたいなデザインが気に入って、以前から欲しかったモデル。

せっかく作ったので、暇なときにこれを被って、
山手線での移動などを楽しむ予定。
そんな私を見かけたら、ピコピコハンマーで頭を叩くくらいなら、
一向に構いませんので。

ではよろしく。

ピコッ。

6は日本語で「ろく」、9は「きゅう」、と発音することが多いですね。そのため、69を「ろっく」と読ませ、6月9日を鍵の日と、日本ロックセキュリティ協同組合が2001年に定めたようです。

金色の3本の鍵、両脇のものは真鍮で出来ているものでしょう。そのどちらかは、祖父母の中村勝治・多美子の暮らしていた、関町の平屋の鍵かもしれません。真ん中のは高円寺駅南側の雑貨屋で220円で入手した、スイートルームのキー。イブ夜の赤プリに忍び込んで、部屋の鍵が開くか実際に試してみようかな。

 

 

 

いぶし銀の3本の鍵は、1930年代のフランスのもの。西荻窪にある、カフェやワインも楽しめるフランス雑貨のお店Boite(ぼわっと)で譲ってもらいました。100年近く前のものに、身近に触れることが出来るっていうのも、自分の時間的なスケールを大きくしてくれて、悪くないと思います。

 

 

 

 

キーホルダー6本は、吉祥寺駅南口を出て井の頭公園へ向かう道沿いにあった古着屋で発掘。古いフランスのものがメイン。赤いプラスチックの飴をかたどったのや、切ったパウンドケーキのなど、なかなか個性的で素敵なのが手に入りました。かなりお買い得だったので、勢いで6本も購入してしまいました。

 

 

 

鍵穴を守る、黄色いスマイルマグネット一家は、仕事で使っている机の引き出しが住みかです。男女が仲良くしてたら子供が出来ちゃった、ってな感じを表現してみました。平和な社会で、笑顔で暮らせる人が増えることを願って。

 



鍵や鍵穴やキーホルダーというのも、いろいろと想像がふくらむアイテムだと思います。ワクワクするような素敵な未来へといざなう扉を、鍵穴を見つけ、鍵を見つけ、ぜひ自分で開けて、新しい世界へと進んでいきたいものです。

元は小学校で図工の先生をされていた、版画作家の、堀江紀介さんの作品が、我が家の玄関脇に飾ってあります。作品展でいくつか売られていたものの中から、ダントツで魅力に感じたこちらを譲ってもらいました。6本の腕に3つの頭、武器を持って闘う強そうな神様です。

矢の先端を見ると、矢尻が鏑矢(かぶらや)という、弓から放つとピューとかいう音がするものになっているようです。戦いの始まりを音で告げる役割の矢だと聞いたことがあります。敵の血を流すのが主な目的ではない、ちょっと変わった矢ですね。他にも刀や槍なども構えていて、頼もしい感じ。こんなのが向かってきたら、脱兎(だっと)のごとく逃げるしかない。

 

 

 

さて、6月6日は東京新聞によると、補聴器の日だそうです。昔から年齢を重ねたりすると、聴力が低下する人も珍しくないですね。エジソンも使っていたらしいラッパ形の補聴器に似たもの、漏斗(ろうと)が台所にあったので、耳の穴へ細くなっている部分を差し込んで、聞こえの違いを感じてみました。付けると少しだけ良く聞こえます。

堀江さんは私が知り合いになった数年前から、すでに補聴器を付けていたのですが、それでも誰かとの会話には多少困難を感じているようです。マスクで口元が見えないコロナ以降は、おそらく輪をかけて。人との対話が減ってしまうと、色々な能力が急に衰えるようですから、近いうちにアポなし訪問してみようかな、なんて、ちょっぴり考えています。