個展の名前に、興味をそそるような、うまいものをつけましたね。まんまとその作戦に乗せられ、見に行くことにしました。そもそも、閉ざされた空間と外部とをつなぐものが一般には窓だと思いますが、現代ではスマホなどの画面も、外の世界とつながっている窓と言えますね。
 

 

 

9つの作品を順に紹介します。まずは一つ目。白い部屋の内部に窓からの光が差し込み、時間の経過とともに窓から入る光が壁に当たる場所が動き、それとともに壁に描いた植物のようなものが変化していくさまを、映像にしたもの。
 

 

 

ただの白いキャンバスに見えるものは、脇に製作過程を映像化したものが流されていました。最初の一筆から、一筆ごとに撮影し、さまざまな色を使って塗り重ねる様子が映っていました。最後の白い絵だけを見ても途中経過はわかりませんが、映像と併せて展示することで、過去へと思いを巡らせることが出来ます。

 

 

 

とても大きな絵は、天井の高い美術館の、白い壁に青で描かれていました。一緒に脚立が写っているので、絵が大きいことがわかります。作品のサイズが大きいということは、手に入れてもそれなりに大変そう、なんて思いました。例えば家を追われる境遇になっても、軽くてコンパクトなものなら、お気に入りを持ち運べますからね。

 

 

 

板を切り抜いた立体を、前後に並べたものは、奥へ行くにしたがって成長する、植物か何かの芽生えのようにも感じました。

 

 

 

入り口を入って最初に置いてあったのが、1m×1m×2mほどの木の箱を透かし彫りにして、中央に入れた白熱電球で照らしたもの。周囲に出来る影も少し面白かった。

 

 

 

バベルの塔、と題された作品。キリスト教徒でなくとも聞いたことのある、聖書に出てくる建造物のことですね。もっと先へ進みたいとか、もっと先を知りたい、といった欲求を人が持つのは、昔からのことでしょうね。そういった欲求が、気に入らない人たちを、より効率よく殺せる兵器の作り方を模索、なんて方向へ進みませんように。
 

 

 

緑のゲートがずっと先へと見る人をいざなう油絵。数多くの鳥居が並んで通路を作っているような神社があちこちにあるようですが、受けた印象はそれに近かったです。途中で脇へそれちゃうのも、面白そうだと私は思いますけどね。

 

 

 

渦とタイトルがつけられた絵は、中心から何かが生まれて、その流れがずっと続いてるという感じがします。巻貝みたいなものかな。

 

 

 

最後の、モニターに流されていた映像は、石田さんが砂浜で遊んでいるもの。背中にしょった噴霧器で、水を勢いよく噴き出させ、そのジェット水流で砂の上に自由に線を残す、といったもの。「あ、これちょっと面白いかも」と感じても、子供じみているなどとブレーキを自らかけてしまい、行動に移せない人も多いような気がします。ちょっと自由に振る舞うだけで、人生はぐっと楽しくなりそうです、

有意義なミュージアム訪問になりました。かなり満足です。