私の政治思想は恐らくポストリベラルと呼ばれるものだろう。
https://www.nippon.com/ja/in-depth/d01025/バンスは2016年、半生の回想『ヒルビリー・エレジー』を著して注目を浴びた。ラストベルトの白人貧困層の悲惨な家庭生活と、そこからの脱出をつづった本だ。ヒルビリーとはアパラチア山系一帯に住む貧しい白人に対する蔑称である。「白いくず」と呼ばれ、黒人奴隷以下に見られていた時代もあった。バンスの回想は当時トランプ現象の底流にいる人々の悲惨な姿を見事に伝えているとみなされ、大きな波紋を広げた。
(中略)
バンスに強い影響を与えているのは、むしろ次の二つの集団だ。一つは「ポストリベラル」と呼ばれる思想集団である。代表的論客は『リベラリズムはなぜ失敗したか』(2018年)を著したパトリック・デニーンだ。プロテスタンティズムに根差す建国以来の個人主義的社会や資本主義の在り方に批判的な思想家である。デニーンをはじめポストリベラルにはカトリックが多い。個人よりも家庭やコミュニティを重視するコミュニタリアン的傾向がある。
『ヒルビリー・エレジー』の執筆を通じて半生を回想する過程で、バンスは現代米国を批判的に見てカトリックへ改宗していった。その詳細は、本人がカトリック系雑誌への寄稿で明らかにしている。妊娠中絶反対の強硬姿勢はカトリック信仰に由来する面がある。
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パトリック・J・デニーン。
「リベラリズムはなぜ失敗したのか」
第2章 個人主義と国家主義の結合
第6章 新たな貴族制
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ポストリベラルは、資本主義の成功者が個人主義の自由を手にしながら政治献金など金の力で国家権力も掌握し、国家が自身の暴利を規制するのを封じ、新たな貴族、暴君として君臨することの弊害を危惧する思想だろう。
彼らの権力はその源泉である保有資産に制限をかけることで抑制し、弱体化できる。
逆にそこに手をつけない限り、大衆は成金の暴政に勝てない。
GHQは財閥を解体し、戦前の軍事的暴走の責任を取らせたが、そのくらいやらねば改革にならない。
バンスの記事で重要なのは、①社会の底流にいる悲惨な人々、②ポストリベラル、③カトリックへの改宗だ。
①は氷河期世代を中心としたいわゆる負け組の人々。
勝ち組に改革の意志はなく、その担い手にはならない。
②は「ウォール街を占拠せよ」デモや財務省解体デモに賛同する人々。
彼らは左翼と右翼の不毛な対立に惑わされず、真の敵が誰かを理解している。
日本で欠けているのは③で、やはり宗教への不信と軽視が民族としてのまとまりを毀損している。
日本は恥の文化と相互監視により高い民度を保っているが、お上に仇なすのも恥と感じ、政治運動に火がつかない。
これは美徳でもあり、脆弱性でもある。
お上が売国奴に乗っ取られても抵抗できないのは、高い民度の裏返しの従順さゆえだろう。
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私の得た正解としての宗教は、
①グノーシス主義的な地球牢獄説と脱獄の勧め。
②心身、特に丹田の鍛練と●の修復。
③幼少期のトラウマ、前世や過去生、母星の記憶(神への帰り道)の思い出し。
④小乗仏教的な大悟解脱。
ここにカトリック的な要素は何もないが、この世界は何なのか、我々は何をするべきかの答えを持つと持たないとでは、いざ窮地に陥ったときの自殺や犯罪の衝動への抵抗力に大きな違いが出る。
私とカトリックに一致点があるとしたら、マリア信仰か。
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マリア信仰とは、イエス・キリストの母であるマリアを崇敬する信仰のことです。カトリック教会や東方正教会では、マリアを神への仲介者、恵みの母として崇め、祈りをささげます。
聖母子とは、キリスト教で聖母マリアと幼児イエスを指す言葉、またはその図像のことです。聖母マリアが幼児イエスを抱いている姿が一般的ですが、様々な構図の聖母子像があります。
聖母子に関する様々な解釈:
慈愛:聖母マリアのイエスに対する慈愛を表しています
救済:イエスはキリスト教の救い主であり、その姿は希望を表しています
信仰:聖母子像は、キリスト教徒にとって信仰の対象となっています
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具体的には赤子の子性を尊重し、母親による一対一の養育とそのサポートに徹する父親その他という、愛着障害を生じさせない育児法の普及を希望しているだけだが、その象徴的イメージとして聖母子像は使えるだろう。
心にあの姿があれば幼児虐待など起こらないのではないか。
母性を否定する悪妻愚母のフェミ・ビッチなど一掃できるのではないか?
別に中絶反対などカトリックの細かな政策は支持しないが、バンスの政治思想や宗教観はそのスタンスにおいて私に近いものを感じる。
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ちなみにバンスと私は星の相性も良かった。
バンスとパトリック・デニーンは、
V セレス 牡牛座18.65
D ジュノー 蠍座19.49
でタイトなオポジションの相思相愛。
相性が良いと簡単に分かり合え、悪いと反発する。
好きな人が同じなら大抵星の相性も良い。
これはブログ読者にも当てはまるだろう。
凶星でも土星は先生、火星は兄貴、トラサタはアイドルや教祖のような関係性なら上手く付き合えるが、ちょっとの不一致で一気に毛嫌いするケースもあり、長期的関係は危うい。
私淑するわけでもなく、叩くためにマークするアンチは凶星がマイナスに効いているのだろう。