占いには洋の東西で西洋占星術と東洋占術(九星や四柱推命)がある。
東洋占術も地球の公転や自転によってエレメントが決定されており、占星術と言える。
太陽系の成り立ちからして先に運命生成システムが作られたのは西洋占星術だろう。
ゆえに東洋占術はそれを模している。
地球が太陽を一年かけて一周し、エレメントを一つ移動する公転の年柱は、同じくほぼ一年で黄道十二宮を一つ進む木星を模している。
一年を12分割した目盛りを一ヶ月ずつ移動する月柱は、一年で黄道十二宮を移動する太陽を模している。
地球が自転する一日でエレメントが一つずつ移動する日柱は、約二日で黄道十二宮を移動する月を(日数は違うが)模している。
一日を12分割した目盛りを二時間ごとに移動する時柱は、同じく約二時間ごとにエレメントを移動するアセンダントを模している。
四柱の内、実際に天体運動が起こっているのは公転の年柱と自転の日柱であり、月柱も時柱もそれらを機械的に12分割した目盛りを移動している。
ここでは「12」という数字が大事であり、それは恐らく黄道十二宮に倣っている。
もしくはワールド・グリッドの正十二面体。
西洋占星術では地球から離れるほど星の象意は遅れて具現化する。
それは年齢域と呼ばれ、太陽は青年期、木星は中年期以降だったりする。
しかし東洋占術の場合、木星を模した年柱の方が他の柱より早く具現化し、順序が逆転している。
それは西洋占星術が地球を起点に星が遠ざかるのに対し、東洋占術は公転から自転へと地球自体に向けどんどん回帰し、深化していることに起因すると思われる。
西洋占星術が外宇宙を表すなら、東洋占術は地球圏内部の内宇宙を表している。
西洋占星術では出生時間によってハウスの第一室、アセンダントが決まる。
そこには黄道十二宮という実在する目盛りがあるから意味付けに具体性があるが、東洋占術における時柱は黄道十二宮のような実体はなく、ただ一日を機械的に12分割し、概念的なエレメントを循環させたのみである。
ゆえに私はそこに意味がないのではないかと考えたが、それなら月柱も特に理由もなく12分割しており、同罪となる。
しかし月柱は占術的に見て有意性があるため意義を認めざるを得ず、そうすると同条件の時柱も認めざるを得ない。
そのように考え、私は時柱の価値を見直したわけだが、そうなると九星も含めて十干と十二支で12のエレメントが生まれることになり、数の上で西洋占星術の基本10天体を上回る。
三柱でも9つのエレメントがあったのだから運命生成システムとして十分対等と言えたが、西洋占星術は基本10天体の他にも腐るほど小惑星や概念上の感受点があるわけで、やはり時柱を加えた12のエレメントで占う方が天地の対となる占術として相応しいのだろう。
天球の運命システムは地球に先んじて作られ、地球はそれを模してはいるが、人の運命への支配力では遜色ないと考えられるので、数の上で体裁を整えることは重要である。
月柱の機械的な12分割について追記するなら、一年の始まりである立春もまた地球から見た太陽の重要な分岐点である冬至と春分の単なる中間点に過ぎず、そこに判断の根拠となる実体はない。
西洋占星術の最初の星座である牡羊座がちゃんと3/20頃の春分点に基点があるのと比べ、このことも東洋占術がかなり概念的な補助、補強を受けていることの証であり、西洋占星術の模倣品、レプリカの感は否めない。
西洋占星術でも実体に欠けた概念的システムがあるが、東西の占術が読み解く運命生成システムは実在する天体運動と概念上の論理が混じり合う虚実ない交ぜの仕組みで出来ている。
その虚数的な不在性の占術理論に対し、「具体的な根拠が存在しないじゃないか」との突っ込みはお門違いだろう。
時柱に限らず、そのような概念上の論理が実際に有意義な働きを示すのだから、逆にただの概念、ただの理論の持つ底知れぬ力をしかと噛み締め、その背後にあるイデア界の秘め事の深淵な奥深さを畏怖するのが、身勝手な運命システムに翻弄される人間の心構えだと言ってしまうのは言い過ぎだろうか?