パキシルは幻聴に効くのか? | kyupinの日記 気が向けば更新

パキシルは幻聴に効くのか?

今回の話は「パキシルはコーティングするのか?」というエントリと少し関係がある。実は、僕のブログでこのエントリほどレスが付いたものは過去にはない。それほどパキシルは広く使われており、患者さんの関心も高いのであろう。

その女性患者さんはちょっと不思議な理由で転院してきた。その理由とは、前の病院で看護師に嫌がらせをされるからという。最初はアスペルガー的な印象であったが、しばらく診察してすぐにそうではないと思った。彼女は複雑な家庭環境に生育しており、兄妹もいるがかなり年齢が離れていた。(後にお姉さん達にあった時、ずいぶんと優しい人たちだと思った)

彼女の主訴は幻聴、被害妄想、希死念慮であり、一時、昏迷にもなったことがあったようだ。また仕事も長く続けてきており、社会的適応はうまくはないがなんとか自活できるほどの収入も得ていた。幻聴は被害妄想的な内容で、これがもう10年以上続いているのである。
 
本人によれば、幼少時は自閉症っぽかったという。対人恐怖があったと話す。運動能力は鈍い方だが運動は嫌いではなかった。小学校から中学校にかけては、数学、地理が得意で体育、美術、理科、英語が不得意であった。本来の性格は、真面目、素直、消極的。食事の好き嫌いはないが、自分が作るのは苦手。専門学校を卒業後、働き始めている。働きぶりは真面目であったようである。

元々、両親の仲が良くなかったが、ある時、父親が家を出て行き、その頃から、それまで仲が良くなかった母親と一緒に暮らすようになった。当時から、涙もろさ、抑うつ気分、易疲労感、動悸がみられるようになったという。母親との折り合いが良くないのである。

当時、ある精神科病院に初診している。その後、あちこちの精神科病院、クリニックを転々としており、意欲低下、全身倦怠感がなかなか改善しなかった。一時、幻聴やうつの遷延状態のために3ヶ月間の入院歴がある。

その後、最初に書いた謎の理由で当院に転院している。うつ状態、意欲の低下、全身倦怠感が強く、また母親との折り合いが悪いためストレスもたまり、転院後まもなく1ヶ月間入院治療を行っている。当時はクレミンやクロフェクトンなど定型抗精神病薬などでとりあえずと言った感じで落ち着いた。問題は彼女の診断である。

彼女は統合失調症ではなく、またアスペルガー症候群でもなかった。

幻聴や被害妄想が長く続いており、時に昏迷にも至るので操作的診断法では「統合失調症」とされやすい。というのは、画像や症状性の器質性疾患が否定され、幻覚妄想がある一定期間続けばそう診断して良いことになっているからだ。

しかし、こういう人をすぐに統合失調症と診断してしまうのがダメなのである。

真の統合失調症の診断は、かつてこのブログでも触れたように、幻覚妄想も陰性症状のように見える所見も決定打ではない。そもそも彼女の対人接触性は統合失調症のそれと異なっていたが、病歴や話し振りが発達障害っぽい点が迷わせるところであった。その理由だが、おそらく彼女の前頭前野の機能が低下しているので、情緒的なものの低下のために統合失調症っぽく見える面があるからである。(参考

統合失調症と何が違うかというと、打って響く感触と目の動きである。打って響くと単純に言うが、前頭前野が悪いと、そういう反応も損なわれるのでそれも迷彩になっている。

彼女は、よく「私のためにいろいろして頂いてすいません」など心配りができていた。彼女は普通に空気が読めるのである。この点で、あまりにもアスペルガー的ではない。普通、ヒトはもう1人のモニターできる自分が存在しており、「こういうタイミングでこんなことを言ってはいけないだろう」とか、「今は黙っていよう」とかセルフコントロールできるようになっている。それこそ正常な脳の機能なのである。アスペルガーの人々はその機能が欠落しており、少なくともそれが正常な人たちをアスペルガーとは診断したくない。

僕はアスペルガーは自閉性を重視すべきであり、狭くとるべきと思っているのである。(その他にもいくつかの重要点がある)

彼女はアスペルガーではないなら、広汎性発達障害とするべきではないかと思う人もいるかもしれない。僕は、「発達」というその歴史的視点から、広汎性発達障害とも診断しない。だいたい、アスペルガーと診断しない時点で、そのようなゴミタメのようなバカみたいに広い診断群が集まる場所に放り込むことに不快感があるからである。

彼女のように、30歳を超えるまで普通に働き、生活してきた人のどこが発達障害なんだと言いたい。

元々、知的水準の低い人たちの診断名は変遷があり、ずっと昔は精神薄弱(「白痴」「痴愚」「魯鈍」)と言われたが、これらは今やコンピュータの漢字変換でも一発で出てこないような死語になった。その後、「精神遅滞」が長く使われていたのである。最近、レセプト的にはこの言葉を使わざるを得ないことを発見し、ちょっとした驚愕であった。現在、一般には「知的発達障害」を使うようになったが、この言葉は、今までの用語に比べちょっと日本語的には趣が異なる。これは、前者2つに比べ、かなり後天的な意味が含まれているように錯覚するからである。

知的発達障害は、ほとんどが先天的な器質異常が背景にあり、発達が障害されたのは、あくまでその結果である。稀に幼少時に大きな病気や怪我をしたとか、虐待を受けたためにIQが極めて低い場合があり、これこそ、むしろ「知的発達障害」と言う用語に矛盾が少ない。

現代社会の「広汎性発達障害」は、先天性の脳機能の欠落を伴うものであり、つまり、ある種の器質性疾患であることが考慮されていない。だから、疾患の考え方や治療方針が最初から間違っていると思っているのである。

一般の印象も、後天的なものと思われるよりも、先天的な部分が大きいと見なされる方が、いろいろな症状に対し、むしろ偏見、差別的にはならないと思われる。家族、教師、社会など誰も悪者にしない考え方だからだ。(いつかまとめて意見をアップしたいと思っている)

今回の患者さんは、知的には正常範囲なので、今風に言えば「広汎性発達障害」の1つなのかもしれないが、僕は器質性色彩が非常に大きいと思った。広汎性発達障害としたなら、「分類不能の発達障害」くらいの診断になってしまう。はっきりした幼少時の虐待などがあればまだわかるが、実際、何なのそれ?の世界である。僕は彼女に診断名を聞かれたとき、そのようなワケがわからない曖昧な説明はしたくはない。

彼女の特徴は、周囲の者のいろいろな関わりを悪く取るというその思考パターンである。例えば、働いていて、彼女があまりにも調子が悪そうに見えるとき、上司が「少し休養を取った方が良いですよ」くらいのアドバイスをすることがある。その時、すぐに「自分は職場で必要とされていない」などと思うであった。

このタイプの器質性疾患の人々は、親切に面倒を見てくれていた人たちをかえって逆恨みししていることもしばしば見られる。これこそ、身近な人との関係妄想なのである(参考)。こういうことが繰り返され、ネガティブ思考の連続になる。彼女が不思議な理由で転院してきた理由もまさにそれであった。

過去ログで、僕はアスペルガーは正常から異常まで連続していると書いており、その間の人の紹介もしている(参考1参考2)。アスペルガーのエントリでは、この「正常から異常まで連続しているのがちょっと・・」と記載しているが、僕は軽いアスペルガーは自閉性がそこまで酷くないので(正常に近いという意味)、むしろその診断を下さず、広く器質性疾患に包括した方が、治療面でもメリットが大きいと思うようになった。その点で、僕はアスペルガーの範囲が狭いのである。

彼女の場合、幻聴や被害関係妄想が存在しており、ある疾患の正常と異常の間とか、そんな生易しいものではない。彼女の僕の診断は、ある種の「器質性疾患」である。その器質性は画像的には見えないが、臨床的な精神所見の面で器質性色彩があるし、内因性ではないと言う点が非常に大きい。これが治療方針に深く関連するのである。

最初、彼女は1ヶ月の入院で退院となったが、幻聴や被害妄想の軽減がみられ、診断もはっきりしたので、一応の成果があったといえた。ところが、退院後、母親が体を壊し入院したことから動揺し、幻聴が再燃、やがて亜昏迷状態に至り、行動面がまとまらなくなり2回目の入院になった。2回目は1ヶ月半くらいで軽快退院している。

退院直後の処方
ジプレキサザイディス 10㎎
ツムラ61       5.0
トレドミン      75㎎
メイラックス     1㎎
ロヒプノール     2㎎


その後一時的に短い期間、不眠のためにテトラミド30㎎を追加している。

当時、彼女は治療が難しいと感じていた。というのは、何を使ってもバランスが悪いからである。上の処方は非定型抗精神病薬(ジプレキサ)と抗うつ剤(トレドミン)が同時に入っており、僕の処方としては異端だ。こういう風にしないと、幻聴と被害妄想、うつ状態がうまくコントロールできないのである。不本意ながらこのような処方をしていたが、何か良い方法があるのではないかと模索していた。結局、ある時、希死念慮を伴う困惑状態に至ったので3回目の入院をさせた。(彼女は過去にもしばしば希死念慮が生じている)

当時のカルテから
後頭部がヒリヒリする。胸がどきどきする。不安感がある。などと訴える。熟眠感がない。朝、夕、レスキューレメディーを使ってみる。また動悸時にも使うように指示したが、効果は今ひとつであった。テトラミドはたいした効果がなくすぐに中止している。

頭がぼんやりしている。うつはない。幻聴は少しあります。悪口を言われている感じがずっとするという。ジプレキサはやはり彼女には良くないと思われるので漸減することにした。

入院9日目
ジプレキサザイディス 5㎎
ツムラ61       5.0
トレドミン      75㎎
メイラックス     1㎎
ロヒプノール     2㎎


病棟から突然、警察に電話している。彼女は自分が嘘をついているので自首するつもりだったらしい。警察官もこのような電話は慣れているようで、うまく対応してくれたようであった。病状的に非定型精神病類似のカタストロフィに移行しつつあると思った。減量を急ぐ。

その後、うまく歩けなくなったという。また振戦、発汗が軽度あり、体には緊張がみられる。トレドミン、ジプレキサを中止し補液、ビタミンB12開始。

入院12日目
ツムラ61       5.0
メイラックス     1㎎
ロヒプノール     2㎎
他、補液。


血液検査をするとCPKを始め、すべての検査所見は正常(CPK 54)だったので拍子抜けした。このようなケースでCPKが高い時、すぐに悪性症候群と診断するのもバカ丸出しである。(参考

1日500mlだけ補液を続け、しばらくこのままの処方で放置することにした。病棟では水分も自分で摂れるし、食事も自力摂取できたからだ。

入院14日目
夕方ふらっとして倒れてしまった。ちょっと落ち着けない感じはある。幻聴は少なくなっています。昨夜は眠った。ジプレキサの影響はまだ残遺していて、体がギクシャクしている。表情的には徐々に快方に向かっているようには見える。

僕はこの頃、まだ振戦、歩行障害などの非定型病像が残遺しているが、このタイミングでパキシルでコーティングしてしまえば、幻聴や抑うつ気分を封じ込めることができるのではないかと思い始めた。完全に軽快してからではおそらくタイミングを逸してしまう。またパキシルと同時に使う最も適切な薬物はワイパックス以外にはない。

だいたい彼女は、幻聴や被害妄想はあれど、ドパミンが溢れているようには見えない。あの幻覚は、器質性から来る脳機能の歪みというか、ひび割れみたいなものから漏れ出して来るようなものだ。だからこそ、ジプレキサであのような副作用が出てくるわけだし、バランスも悪くなるのであろう。あの幻聴は内因性ではないからこそ、パキシルでコーティングしてみようという発想が生まれるのである。

SSRIは器質性疾患に必ずしもフィットするとは限らないが、脳機能の風通しを良くし、自然なバランスを構築するケースもある。彼女の場合、問題点はパキシルで希死念慮が悪化する懸念があることであろう。このケースではデプロメールも良いように見えるが、パキシルより力価が低く、コーティング能力に劣り、結果的に200~300㎎処方になってしまい、長期的に希死念慮が改善せず、その心配がずっと続く可能性がある。(参考

彼女の場合は、おそらくパキシルの方がデプロメールより優れているはずであった。なぜなら、パキシルの方が少量で治療できる確率が高いからである。希死念慮の悪化はこのタイミングでは生じにくい上に、入院中でもあり、今回のカタストロフィのような病状の可変性の高い局面は千載一遇のチャンスと思った。(参考1参考2

このように考えていくと、パキシルは鋭いナイフのようなもので、デプロメールは大きな鉈のようなものだ。

入院18日目
思い切って今までの薬を全面中止し、パキシル、ワイパックスを追加する。

パキシル    20㎎
ワイパックス  2㎎
(他の処方なし)


入院21日目
少し気分が良くなってきた。2日前、点滴は中止している。幻聴は聴こえないまではいかない。きつさは抜けてきていますね。良いことは良いけど、自分でできないことが多いですね。自分でいろいろできないので悩むという。

その後、30日目過ぎには断然良くなってきた。

入院32日目
体調はすいぶん良くなってきています。昨日、夕方吐き気がして吐いた。オヤツを食べ過ぎたかもしれない。幻聴は消えた。77kg

ちょっと詰まるというか、もどかしいような会話だったのが、発語がかなり良くなっている。すっと言葉が出る感じ。今月いっぱいで退院したいです、という。

入院36日目
ここ1~2週間でとても元気になった。今は77kgです。働いていた時は90kgあったこともある。でも72kgまで減っていた時期もありました。(彼女は長身)バッチフラワーは1日2回服用するように薦めた。今は落ち着かない感じはないですね。

以前より、目がぱっちり開いているように見える。顔立ちがずいぶんはっきりしている。言葉はずっとスムーズである。幻聴、被害妄想は今は全く消失している。これは10数年ぶりのことだという。今は周りのことも気にならないですね。

パキシルで、幻聴と被害妄想と希死念慮をクリスタルに封じ込めることに成功したのであった。(参考

43日目に軽快退院。退院時処方。
パキシル    20㎎
ワイパックス  2㎎
(他の処方なし)


その後、彼女は外来通院しているが、あれはいったい何だったんだ?というほど普通の笑顔の女性になっている。今は誰が見ても統合失調症とは思わないであろう。広汎性発達障害も同様である。今や、今後数ヶ月で就労できる程度まで回復している。

僕は鄧小平の言葉を思い出した。

黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕る猫は良い猫だ。




(顔だけ三毛ネコさん。この人は鼠は捕らんと思うけど・・)


(もう少しだけ補足に続く)