死生命あり、富貴天にあり | kyupinの日記 気が向けば更新

死生命あり、富貴天にあり

泥沼化」の続き。

28日目
看護者によれば、リスパダール服用後は少し良かったと言う。しかし今も時々泣き顔になるなどまとまらない。不思議なことに、泣き顔になるとそのまま時間が止まったように表情が動かなくなる。あれはやろうと思ってもできない表情である。

彼女に話しかけても辻褄が合わず、やがて「すいません。すいません」と繰り返し始める。ドグマチール300mgを処方してみる。少し睡眠薬を多めに処方しないと全然眠らない。

ドグマチール   300mg
クロフェクトン  12.5mg
アナフラニール  25mg
ヒベルナ     25mg
マイスリー    5mg
ネルボン     10mg
レボトミン    5mg


29日目
食事も水も摂らない。疎通性が乏しく亜昏迷から昏迷になりつつある。セルシンなどの注射で一時的に少し改善するがそれも長続きしない。補液を開始した。
薬も満足に飲めないし、帰棟時のリスパダール液はちょっと良かったというので、1mlだけ服用させた。

30日目
すいません、すいませんと繰り返す。昨日はセルシンをした後、少し良い感じであったが、夜は眠らず落ち着かなかったらしい。拒食、水分すら摂らず、亜昏迷を呈す。点滴も誰か看護者がついておかないと動くので漏れてしまうという。安静もできない状態。

31日目
薬物はマイナスにしかならないように見えるので、リスパダール液は昨日から中止している。補液だけ継続。
これはECTでないと切り抜けられないと思った。幻覚妄想が活発な上に、薬が使えない状況である。夫に来院してもらい、本人を見せ、病状を説明しECTの同意書をとる。効果とリスクについて、今後の治療方針について。

33日目
発汗。38.3℃の発熱。全身に筋強剛がみられる。疎通性は乏しいが、本人が自分で起き上がろうとする。亜昏迷状態。CPKが高いなら猶予は出来ない。
この日のCPK 700 ↑ パーロデルだけ服用させる。補液はそのまま継続。

34日目
昨日からの亜昏迷~昏迷状態は変化がない。朝、ベッドサイドに行ってみると、彼女は目を開眼したまま瞬目もできない。目から涙が零れ落ちている。体温38.1℃、血圧128./80、昨日よりは発汗は減少しているが、全身の筋強剛が著しく関節も曲げられないほど。まさにガチガチであり、1本の鉛筆のように見える。

これは救急病院に転送するか、ECTをかけるしか方法がない。しかし、このまま救急病院に搬送した場合、彼女はもしかしたら死ぬのではないかと思った。この感覚はうまく説明できないのだが。救急病院は全身管理はするかもしれないが、本質的な治療はしないから。モタモタしていると本当に危ないのである。

これは間違いなく脳のおそらく下の方の暴走であった(参考)。夫に本人を見せ、病状を説明し救急病院に搬送するか、ここで治療を行うか選択させることにした。夫は僕に任せますと言う。

このまま手をこまねいていると、全身状態が悪化しECTもかけられなくなり、救急病院へ搬送せざるを得なくなる。ECTを実施するなら、一刻も早くすべきである。

その日午前9時34分
ECT1回目施行(無麻酔)
5秒通電。呼吸停止 43秒。


9時38分
血圧148/70 脈拍108
ECTの直後から、全身の筋肉の緊張が取れ、筋強剛が消失した。全身が柔らかくなったのである。そのまま彼女はしばらく眠っていた。


午後1時頃
再び全身の筋強剛が著しく、元に戻っている。今は瞬目はありわずかに動きが見られる。会話は全くできない。
このようなケースでは、もう一度、ECTをかけるべきである。普通、このような経過だと、それしか選択肢はないし最も良い治療法である。


午後1時30分
ECT2回目施行(無麻酔)
5秒通電。呼吸停止 46秒。
施行5分後、血圧128/80  脈拍 92


速やかに筋強剛が消失。そのまま眠っていた。今回は筋強剛が再現することはなかった。

35日目
昨日は深夜に覚醒し起き上がり病棟内を歩き回ったらしい。転倒して骨折などをするとまずいので車椅子に座らせ様子をみた。この日、表情は比較的はっきりし会話も可能となるが、「家に帰らないといけない」など辻褄が合わない。振戦が著しい。その振戦も極めて粗いものであった。今日もECTをすべきと思った。

体温38.4℃
脈拍 100前後
血圧は 150~120/40~90


午前9時
本人は発語があり、「何か変ですね?」という。

9時5分
ECT1回目施行(無麻酔)
5秒通電。呼吸停止 41秒。
施行5分後、血圧124/70  脈拍 80


ECTの直後から振戦が消失した。一時眠っていたが、起きた後は自分で食事を摂っている。その後、パーロデルとエゾウコギを15ml服用させた。

その日、昼頃になっても筋強剛は出現せず、食事やおやつも普通に摂れた。午後はホールに出てテレビを観ていた。話してみると、かなり清明である。「ご飯がこんなに美味しいのは久しぶりです」という。午後、本人の父親が面会に来る。父親もまた優しそうな人であった。病状を説明する。彼女は2日前のことは全然憶えていないという。この日のCPKは3462であった。(女性の正常域は40~150IU/L)

ここまでの治療はわりあい順調であったが、彼女はその後、もう少し複雑な経過を辿るのである。

36日目
昨日はよく眠ったと言う。「皆が違うんですよ。看護婦さんの着ている服が変わる。何が何やらわかりません。」と言う。困惑している。「考える力がありません」「私がここにいるのがおかしい」という。
体温 37.8℃ 血圧、脈拍は落ち着いている。筋強剛は軽度。振戦はない。今日もECTをすることにした。

9時13分
ECT1回目施行(無麻酔)
5秒通電。呼吸停止 50秒。


今日は少し呼吸の戻りが悪い。今日からパーロデルは中止。補液は継続。ECTから目覚めた後も「看護婦さんの服が見る度に変わる」などと話す。表情はかなり改善している。

37日目
この日はECTはせず様子をみる。昨日の夕にはフラフラ歩き回るような状態がみられた。「わからない。わからない」と繰り返す。微熱がある。レキソタンを追加する。

38日目
自分がなぜここに来たのかわからない。自分が誰かわからないと言う。看護婦さんがコロコロと変わる。意味がわからないです。看護師の服の色が5秒ごとに変わるという。完全に解熱しているが、CPKは2678と高い。

その時点まで判断を保留していたが、本日もECTをすべきと思った。午前中、お昼頃に実施する。

11時58分
ECT1回目施行(無麻酔)
5秒通電。呼吸停止 50秒。
今日も呼吸の戻りが悪い。気色悪し。


39日目
昨日、(ECTをしてから)とても良かったと他患者と話していたらしい。ところが、今朝、朝食で食堂に下りた後、急に病棟に戻り、「わかりません。わかりません。」と繰り返していたという。

参考
この症状は何だと思う?
これは実は、彼女にはずっと以前からあったものだと思う。ECTで明瞭に浮かび上がった形だ。つまり中の人が遂に現れた感じ。

この症状はおそらく「不思議の国のアリス症候群」と呼ばれるもので、Wikipediaに詳しい記載がある。興味のある人は参照してほしい。「不思議の国のアリス症候群」はありふれた症候群ではなく、いわゆる脳の器質性疾患に出やすい傾向がある。だから症状精神病的な所見だが、そうだとしても珍しい。

僕の別の患者さんで、同じように「不思議の国のアリス症候群」を持つ人では、「妹の顔が急にぐにゃぐにゃになり宇宙人の顔に変わった」と訴えていた(器質性精神病の人)このような訴えは荒唐無稽ではあるが、いくつかの点で統合失調症的ではない。理由は2つ。1つは視覚的な幻覚症状であること。もう1つは自我異和的であること。彼女も「おかしい、おかしい」と言っているわけで。統合失調症の幻聴はこのような感覚とは異なることが多い。(参考

この症状がECTのために出たのではと思う人もいるかもしれない。僕はこれまで、ECTでこのような症状が出たのを診たことがないし、彼女には最初の入院時もこの症状がわずかながら存在していたように見える。だいたい、統合失調症の人ですら、ECTの直後に幻覚妄想が激しいと訴える人はほとんどいない。特にECTの直後は幻覚は鎮静化するのが普通だ。ECTに原因付けするのはあまりにも矛盾が多すぎる。

結局最初のECTは3日連続で施行し、1日置いてもう1回実施している。いずれもシングルであるが、初日だけ午前、午後と2回実施している。ECTを開始してからは薬はろくに使っていないが、レキソタンやベンゾジアゼピン系眠剤程度は必要に応じて使っている。

この一連の治療エネルギーはクリスタルを時速100マイルで突破するスピードと言えた。このクリスタルとは精神病本体の比喩。このクリスタルは「未来惑星ザルドス」で出てくる。(参考

(続く)

参考
①アトピーによる精神病状態
②混沌
③泥沼化
④死生命あり、富貴天にあり
⑤ECTによる治療と回復過程
⑥人間の秘めたるエネルギーと治癒の謎