統合失調症とアスペルガー症候群 | kyupinの日記 気が向けば更新

統合失調症とアスペルガー症候群

最近、アスペルガー症候群の患者さんによく遭遇する。先日の簡易鑑定でもそうだったし、最近転院してきた統合失調症疑いの患者さんもたぶんそうだと思う。

アスペルガー症候群と統合失調症の患者さんの違いなんだけど、診察時の目の動きが決定的に違うと思う。ぱっと見でかなり違いがあるように感じる。ただし、アスペルガーの人は視線を合わせない人もいるくらいなので、ちょっとわかりにくい時ももちろんある。

僕は、診察時に明らかに統合失調症とは違うと思ったら、それ以外の疾患を考えるが、アスペルガーは発達障害の1つに過ぎないので、統合失調症じゃなかったらアスペルガーと言うことは全然ない。アスペルガーは他覚的にそれっぽい所見はあるのだけど、普通にしていると正常と区別がつかない人も多いので、やはり生活歴や現病歴みたいなものが重要だと思う。

基本的に、統合失調症は慢性進行性の要素があるけど、アスペルガーはその逆だ。つまり、ある程度社会的な経験が本人を成長させ、なんとか社会に適応できていく人もきっと多いのだと思う。

アスペルガーは健常人に近い人とかなり重度の人の間になだらかな連続性があって、何パーセントくらいアスペルガー的といった言い方も可能かもしれない。要するに、アスペルガーは突き詰めていくと、おそらく正常も異常もない(正常と異常の境界がないと言う意味。精神疾患の一部には、本人または周囲が苦しんでいて初めて「正常ではない」という病気がある)。

それに対し統合失調症の場合は、正常とは連続していない。ある時、大きな断層があると思う。

僕がアスペルガーは統合失調症とは逆だと書いたが、実際には、ある日、突然発病するように見えることがある。これはおそらく発病しているわけではなくて、社会的というか環境的なストレスのため、ある時、破綻してしまうのである。そのとき初めて不適応が明瞭になる。本質的に本人は何も変わっていないのだけど。

だから、例えば大学生や大学院生などのようにモラトリアムを容認する環境なら、不適応を起こさず生きていきやすいとは言える。もちろん大学の先生もそうだ。医師でもずっと医局にへばりついているような人々。うちの大学でもそうなのであるが、大学を出て関連病院で普通に働ける人は「予後良好」なのである。

社会人になると、なぜ破綻しやすいかというと、いろいろバランスを取って生活しないといけないから。このバランス感覚なるものが彼らには乏しい。例えば、仕事上でこの書類を仕上げてくれとか言われると、これはできる。ただし、「この書類もだけど、忘年会の段取りもお願いね」とか言われると、混乱してしまう。1つの仕事を忠実にやっていくならできるし能力も高いのだけど、平行していくつか仕事をやらせると、なんとなくメリハリをつけてできないので、どうして良いかわからなくなる。

10年前のマッキントッシュは積んであるメモリが8メガバイトだったりした。メモリは1メガバイト1万円の時代もあったのである。このマックに同時にいくつかソフトを立ち上げて仕事をしていると、すぐにフリーズした。これに似ている。

アスペルガーの人々は基本的に真面目なのである。だから、すべて完璧にやろうとする。こういうところがバランス感覚の欠如している部分だと思う。アスペルガーの人で東大に合格してしまう人は、こういう徹底的にやる強迫性が実を結んだとしか言いようがない。

アスペルガーの創造性と統合失調症の創造性は少し違っているような気がしている。限定された場面での創造性がアスペルガーにはある。もちろん統合失調症にもあるけど、統合失調症の場合、自然にほとばしるというか湧き出てくるような感じだ。つまり発想という意味で統合失調症の方が上回っているのである。

アスペルガーの場合、時間をかけてそこに到達している。時間的な推移が必要というか、何か知識を集積してそこに到達していて、創造性でもプロセスが違う。

今回、簡易鑑定の診察時に、

小学校の時、どんな科目が好きだった?
テレビゲームはどんなのが好きですか?
体育で得意なのと苦手なのを教えてください?


なんて質問をしていたので、付き添いの人に、この先生はバカじゃないかと思われたかもしれない。

例えば、他はそれほどでもないけど地理がすごく得意とか、苦手教科が多いけど漢字だけはすごくできた、走るのはそれほど悪くないけど球技が全然ダメ、なんてことが非常に意味があるのである。