エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ -14ページ目

エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ

NO PASSION NO GLORY     This is HASHIMOTO☆QUALITY                                            

あるテレビプログラムを観ていて


どうしても気になってしまうことがありました。


一つ目は


アスリートのタトゥー(日本的に言えば刺青(いれずみ))です。


韓国で行われている世界陸上という大会で


女性のアスリートの肌に


激しく、それは刻み込まれていて


ファッションなのか


何かの意思表示なのか


緊張を解きほぐすような、心のよりどころなのか


本人にしかわからないことだし、自分のカラダですから「どうぞご自由に」なのですが


美しく鍛え上げられたカラダには


そんな虚飾は


なんとももったいない気がしますし


競うのは


そこじゃないでしょう。


じゃぁ、サングラスやユニフォームやシューズのデザインはどうなるのかって


実は


機能美以外は


同じなのかもしれません。


サングラスには、集中力アップとか、ユニフォームやシューズには身体能力アップとかの本来の目的があります。


使用される商品の宣伝効果という、本来付加しなくてもイイものが刻まれているという観点からすればそれほど違いがないかもしれません。


ただし


これが付加価値だったり、他社商品との差別化につながって


商品の売り上げ、結果、大会の運営や選手たちの活動費に配分されていくというシステムとなって


ギヴ・アンド・テイクで、切っても切れないものとして経済活動のサイクルが回っている現実は


否定すべくもありませんが。


もうひとつの違和感は


仕草と癖です。


手を組んだり離したりを繰り返す人の行動の裏には、不安や緊張があるといわれています。


会話の中で、視線を合わせようとしない人や、視線をキョロキョロさせている人、視線を合わせない人は


自分になんらかのコンプレックスを抱いていて、他人にどう思われているのかが非常に気にしているのだそうです。

視線を下にそらしてしまう人は、気が弱くて相手を怖がっているそうです。
 

そして、視線を左右どちらかに逸らす人は、その人に対して好意を抱いておらず、拒否している現れでもあります。
 

さらに、視線をキョロキョロさせている人は、不安の表れや警戒心を抱いています。


足癖の貧乏ゆすりは、イライラしている現れで、早くその場から離れたいとか。早く話を打ち切って欲しいといしう現れのひとつです。


このすべてを満たしてしまっている人が


テレビに出ていました。


ある政党の代表を選出するための公開討論会のようなテレビプログラムにです。


その方ばかりを特別意識してみていたわけではないのです。


次の日本の首相になるらしい五人の方々ですから


前にも書いたストレス耐性も含めて


ジロジロ見ていましたから


その一人の方の手遊びのような落ち着きのなさは際立って見えてしまいました。


期せずして


口から出てきたことばもそれまでの主義主張とは異なるものが多かったです。


海外のメディアも「ブレイクダウンした。」と表現を使っていました。


何度も書きますが個人攻撃などするつもりは毛頭なくて


トップの資質に言及しているのです。



さてさて


今日のお昼ごろに


誰かが選ばれます。


どんなプロセスを経たかとか


どんな政策なのかとか


どんな人なのかとか


あまり関係なく


それは


選ばれてしまいます。


だから


決まった時点から


また


足の引っ張り合いがはじまります。



どこかで


なんとかして


この無限地獄のような状況に


終止符を打てないものでしょうか。



少し前に


変化を期待し、容認したぼくら国民が


いま望むべきは


無駄な飾(かざり)じゃなくて


目標達成に向かって


美しく研ぎ澄まされた


肉体と精神


シンプルで


ピュアに


トップでゴールテープを切っていくような


圧倒的なリーダーシップと行動力、推進力


なのです。




フライング一発失格は


許されませんから。



This is HASHIMOTO☆QUALITY


引退というコトバは


重い。


でも


ときに


とても


軽い。


引退というコトバは


人生の幕を閉じることとイコールではない。


だから


他人様の決断に


心を揺さぶられることなどないし


ましてや


感傷的になることなどない。



一人の優れた技術を持っているベテランの部類に入るプレーヤーが


累積したイエローカード


もしかしたら一発レッドカード


いや


禁止薬物の使用が発覚して


いわゆるドーピングがばれて


ルールに則って


中心選手でありながら


ゲームから退場となった。


そのプレーヤーは


その禁止薬物がドーピング検査に引っかからないものであると確信していた。


いや


そう思い込みたかった。


しかし


10年前くらいに


自らが巻き起こした騒動、それに伴う逃れがたい悩みから解放されたいがために


ワラにもすがる思いで


その薬物を紹介されて


これってヤバいかもしれないな強烈に意識しながら


紹介者に三度ほど「これってヤバくないの?」と確認した。


確固たる確証もなかったが


現実から逃避したかったので


マズイマズイという思いを必死に打ち消しながら


自分自身をごまかながらも


体内に取り込むことにした。


結果的にそれまでの悩みが一気に解決した。


頻繁に摂取しなければ


体内に履歴が残ることもないだろうと


自分に都合のイイ解釈をしていた。


しかし


禁止薬物の接種から五年たったある日


チームの上層部に突然呼び出されることになる。


「おまえが以前に使ったその薬物は、ルール違反で、アウトだ。」と

所属しているチームは、その犯した行為とこれまでのチームへの貢献度


これから先のことも視野に入れて


長期出場停止を軸に処遇を検討していたが


一般社会のルールというものさしで測られたら


「なぜ永久追放にしないのか。」と非難されることは必至だということもわかっていた。


すると彼は


自ら


「わかりました。事実として認めます。そして、引退します。」と申し出た。



引退というのは


あるカテゴリーから退場することであって


人生そのものをやめてしまうことではないです。


最近では


頻繁に


これが撤回されてしまうような


それが許されてしまうような


軽さがあります。




個人事業主や経営者は


引退という言葉の重さを知っています。




引退という言葉で


永久追放という言葉が


スポイルされてしまうのは


悲しくて


残念なことです。




懲戒解雇や退社が該当することのない


専属マネジメント契約というのは


契約が解消されるだけであって


やっぱり


引退という言葉が


都合良く


チョイスされたことが


残念です。






This is HASHIMOTO☆QUALITY

たぶん


昨日の夕方ぐらいから今日の朝一番で


一斉に


全国の高校野球に携わる生徒さんたちが


ウェブ上に刻んだ


あまりにも無防備でピュアな


素直なまでに気持ちを伝えようと記憶、記録しておこうとした


文章や画像データが


自慢できることや


それを書くことによって優越感を得られるようなこと


言い方を変えれば


ネットの世界という


微妙に勘違いしてしまいがちな仮面舞踏会で踊っているような


仮面をかぶっていても


誰だかわかっちゃってますよって程度の雰囲気と環境の中で


自分の中に潜む、抑圧された「やんちゃな」部分を


ここだったら別人格みたいなふりをして


さらしちゃってもイイかなと


でもどうにもこうにも稚拙なので


本心、本性そのものを刻んでしまうという衝動に軽く負けてしまった


リアルそのものが


情報のリテラシーについて教育を施してこなかった


プライバシーの保護などという大義名分の上にあぐらをかいた


空気が読める親などと勘違いした


無責任な大人の手によって


検閲を受け


場合と内容によっては


改ざんされ


削除されていることと思います。


被災地から代表として


甲子園という高校球児たちの聖地において


勝利に向かって


必死に


ひたすらに


ボールを追いかけるその姿に


その健気さに


多くの人が感動し


元気づけられた


その選手たちの手によって


記された


ブログの内容が波紋を呼び


厳しく処分が下されています。


この情報が、暴露というカタチで一気に拡散したのは

やっかみだったのか


興味本位だったのか理由は定かではありませんが


「検索すること」が大好きで、そこで得た情報にスクープ性やスキャンダルな一面があったりすると


「いま」(それこそ「青春なう」みたいなもの)というリアルな情報が


良くも悪くも


ほんの一瞬で拡散してしまいます。


ぼくのところにその情報が飛び込んできたタイミングでは


今回の関係者のブログやら何やらは削除される前だったので


発端となった文章や当事者の名前


悲劇のヒロインからチームメートによって救われたかのように扱われていた同チームの女子マネージャーさんのプリクラの写真データなどが


すべて閲覧できました。


ぼくも甲子園を目指す高校球児でした。


やんちゃでなかったといえば、それこそウソになりますし


田舎といえども私立高校でしたから俗に言う外人部隊(他県の出身者)もいましたので


そのことに言及するつもりは毛頭ありません。


関係する周辺にいるすべての人たちが


これからしばらくの間


痛くもない腹をさぐられなくてはなりません。


さっそく謝罪会見が行われた上に、当事者は学校のルールにより停学処分。


お祝い行事はすべてキャンセルになっています。


高校生は


育ってきた環境によって個体差があるにしても


言うまでもなく未成熟で未成年のお子ちゃまです。


それこそネットの普及で


ひたすら頭でっかちで


丸裸なひよこです。


大人として扱ってほしいというわがままを


よしよしと言って、ものわかりの良いフリをして甘やかしている


大人たちは


今回のことで目を覚まさなければならないでしょう。


管理するのではなく


教育するということです。


芸能人がプライベートな部分を小出しにして


おもしろおかしく聴衆の興味を引いて


自己演出をしてセルフブランディングをしていることを


それが実はルールにのっとった


検閲や編集を経てアップされたことを知らなくて


単純に影響されてしまっている


お子ちゃまたちに


ルールやブレーキの掛け方を教えてあげなければならないということなのです。


もちろんブログに書かなきゃバレなかったのにとか


誰にも気が付かれなきゃ何をやってもイイみたいな方向にねじ曲がることは問題外です。


ぼくの娘もネット上で情報を発信しています。


知人の記事でイヤな思いをしてみたり、心無いコメントで胸を痛めたりしていることもあります。


彼女の発信している情報を毎日すべてチェックなどしていませんが


ぼくが2004年から書き始めているブログは彼女にも読ませています。


彼女なりに感想や評論をするということを繰り返してきました。


コメントへの対応についても教えています。


なので最低限のルールや気遣いは心得ています。


困ったときや迷った時には


普通に相談してきます。


何度も同じことを言いますが


子どもがぐずったり不平不満をあらわにすることを耐えられない大人が


イイ人ぶって


手抜きをしてはならないのです。


その前に


現状把握からはじめなければならないかもしれません。


ちょっと恐ろしい現実に直面するかもしれません。


ネット上での人格が


あなたの知らない


知る由もない


本性なのかもしれませんから。


もっと言えば


SOSかも知れません。




いや


そのもうひとつ前に


自分自身が


明確でスタンダードと呼べるマニュアルの存在しない


情報のリテラシーについて


インターネットという環境において


情報を発信する側の最低限のルールを理解しているのか


省みるところからの


スタートかもしれないですね。



こどもを守るのは


大人の責任です。



高校野球が


そのコンテンツの持っている


素晴らしさが


陳腐化していくようなことは


当事者が


どのような理由があろうとしてはいけないという


あたりまえは


誰にも侵されることのない


聖域だとの


共通認識は


これからも変わることがないことを信じています。



白球は


土が付けばその色を変えます。


でも


それ自体が


ボールで無くなることは絶対にありません。


そして


ルールのない


野球は


成り立たないのです。




勘違いしても


勘違いさせてもいけないのです。




高校生くらいお年頃では特に


アップしたい情報は


大人ぶった


年相応ではないことに


そのあやしさみたいなところに


自慢したい欲求がウヨウヨしています。


ウヨウヨです。






This is HASHIMOTO☆QUALITY

食品会社で研究開発部門にいたときに


開発した商品の賞味期限を決めるために


そして同時に購入してくださるお客様の安心と安全の欲求を満たすために


品質管理という観点からも重要なポジションにあった


ストレステスト


「耐性試験と評価」を意味するこのプロセスは


正確なデータの積み重ねと厳しい判断基準が存在して


どれほど魅力的で


どれほど会社利益に貢献する可能性を秘めた商品であっても


このいわば、最終試験をクリアしなければ


商品化されることはありませんでした。


これは、食品分野だけに限ったものではなくて


身の周りにあるほとんどのものがこのプロセスを経ていて


これこそがジャパン・クオリティを支えている


根っこでしょう。


このストレステストが公衆の面前で明確に徹底的に実施されるのが


アメリカの大統領選挙の候補者選びから最終投票までの期間中です。


このやり方がベターなのか、日本に、日本人の気質にマッチするのかどうなのかは何とも言えないところですが


これが一年以上もの間、毎日繰り返されて


テレビ討論会や政策論議の内容や


その人の人となり、一挙手一投足、発言の一言一句までもが


徹底的に検証されます。


スキャンダルの発覚や中傷合戦での敗北は、即退場につながるという


大変厳しく、しかし、有権者である国民には結果的に非常にシンプルであって


最終的には二大政党のどちらかの立候補者がチョイスされることになるのですが


一連のストレステストをクリアしてきた者同士の戦いであるので


どちらが選ばれても


国民に選ばれた人物として


心情的に納得するかどうかとは別次元で


その後の方向性、ベクトル、コンセンサスは一本筋が通っていると言えます。


もちろん何が真の正解なのかは誰にもわからないのですし


さまざまな戦略や戦術が交錯しますから


ムーブメントや流れを支配した陣営が選ばれるというマーケティング要素が介在することもあるのですが


「この人なら」っていう期待感やその時点では高いレベルで納得しているよ、みたいな


大統領というブランドの品質管理が徹底されているといって良いでしょう。


このブログをいつも読んでくださっている高感度の方々には、すでにオチがうっすらと見えてきたかもしれませんが


どうやら


とんでもない短期間で


われわれが生活する


いまの日本国の


トップが


いつものように


いつものごとく


いや


いつもよりも拙速(出来は良くないが仕事が早いという意味)に


それこそ肝心要の政策論議を中心とした


ストレステストを経ることもなく


ひたすら数合わせの綱引きによって


選ばれようとしています。


個人攻撃をするつもりは全くないので勘違いしていただきたくないのですが


トップの資質を著しく満たしていない人が


醜態のフォロー、自己ブランドの巻き返しのためかのごとくに


代表選への名乗りを挙げられているようですが


「おいおい、そりゃナイだろ。無理無理。」という声が聞こえないのか、聞こえているけれど他に人材がいないのかって思っている人は少なくないです。


これ見よがしに掌に文字を書き込んでみたり、大切な審議中に泣いてしまったり


未曽有のパニック状態の中といえども


自分の働きが評価されなかったり、思うようにならないとしても


このように明確にストレステストをクリアできなかった人が


万が一、代表選挙に出るようなことになるのだとしたら


政権政党としてジ・エンドでしょう。


一般の中小企業でも


泣きたいのを我慢しながら


踏ん張っている経営者は山のようにいます。


虚勢を張っていろと言っているのではなく


組織のトップは


オフィシャルの場では


元気はつらつとしていなければなりません。


歯を食いしばりながらも


笑顔でいるのです。


最近の日本のトップの方々は、就任前と辞任、退任後の写真を見比べると


浦島太郎さんのビフォー・アフターみたいになっている人がほとんどです。


もちろん若返りが推進されているので


ストレスが短期間で表情に反映されやすいのかもしれません。


いつも表情が変わらなくて、何を考えているのかわからないようなのも歓迎されないかもしれませんが


一国のトップは


多少のことで疲弊しない、疲弊していることを感づかれない


そういうストレス耐性が必要なのです。


「脱原発」で総選挙をしたくない、旧政権時代に「原発」をじゃぶじゃぶと推進してきた自民党と公明党。


今回の災害の対応の遅さを巻き返すために現首相の首を差し出そうとしたけれどうまくいかなくて、自らの聖域であるはずの「マニュフェスト」の内容を譲歩してしまった政権与党。


大連立だとか


一議員の復権に望みをつなごうとする代表選候補者とその取り巻き。


国民は


東日本の被災地にいる方々は


災害というこれ以上ないかもしれないストレステストの渦中にいます。


この代表選の中にいる政権与党の重鎮議員といわれている人が


今回名前が挙がっている人たちを総称して


「B級グルメみたいだな。」とのたまわっていました。


残念なことです。




「もう勘弁してくれ。」って叫び声を上げてもしょうがないって


そんなあきらめモードに入ってしまいたいけれど


そうもいかないぼくたちは


淡々と


生きることを


続けています。




あきらめるわけにはいかない人たちは


ひたすら


歯を食いしばっているのです。




政治は


安っぽい


エンターテインメントではないことを


望むばかりです。




ストレステストのプロセスをはしょるから


賞味期限が短くなって


すぐに腐っちゃうんでしょ。







This is HASHIMOTO☆QUALITY

秋のような


それでいて


もの悲しさのない


清々しい風が


ふいてきました。


偶然にも


天候がそんな感じになりましたが


ぼくが感じたのは


『コクリコ坂から』という映画のエンドロールを眺めているときでした。


テレビのCMで


「大切な人と観てください。」というコピーが印象的で


実は


時代背景がぼくの生まれる一年前、そう東京オリンピック開催の一年前であることと


ウィスパーボイスが極まってきた手嶌葵さんが歌う、これまたとっても心に刺さるノスタルジックなメロディーの主題歌


この二つくらいの情報しかインプットしていなかったのですが


ずいぶん前から妻と娘に


「この映画は、いっしょに観に行こう。」と宣言していて


理由もなく


そんな風に宣言していて


かといって変な義務感みたいなものもなく


ただただタイミングを待っていたのです。


ぼくらよりも15歳くらい年上の方々、そう団塊の世代と言われている人たちが中学生だった頃の


まっすぐさ


自己責任という言葉は好きではないのですが


イイ意味で、自分が始めたことに対するけじめのつけ方が明快な様子や


秘めた強さ


真摯な姿勢


誰かが誰かを引き立てるために存在しているのではないという


それぞれの個性、アイデンティティ


とにかく


爽快。


そう


駆け引きみたいな


小手先のテクニックを競うっていうんじゃない


芯が太くてしなやかな


健気(けなげ)さ


坂本九さんの「上を向いて歩こう。」も効果的に


そして


決して他人ごとではないポジションからの


心強いエールとして


響いてきます。


この空気感を


きっと今回の震災前に企画され


震災の最中にも制作が続けられていた


この映画の


高原をサラリと


そしてゆっくりと駆け抜けていくような


風を


大切な人と


感じることができて


しあわせでした。


ジェットコースターに乗っているような作品も悪くはないし嫌いでもないですが


奥ゆかしいというか


胸がキュンとするような


鼻の奥がツンとするような


リアルを知らないのに


どうにも懐かしいような


大好きな映画に出会えて感謝です。




目標達成に必死になって


熱くなって暴走するようなことのない


心地良い






This is HASHIMOTO☆QUALITY