皆さんは門松と言うと、
何を想像しますか?
これですよね。
でもこれ、
ぶっちゃけ変じゃないですか
これってどこが「松」
なんでしょうね。
門松について調べると、
門松とは、
正月に日本の家の門前に立てられる
松や竹を用いた正月飾り。
木の梢に神が宿ると考えられ、
門松は年神を家に迎え入れるための依り代
でも、この竹…
無課金装備みたいじゃない?
※気持ちが大事です。ごめん。※
いや、陰陽師の紙人形とか思うと
シンプルイズベストなのかな…
何かモヤモヤ。
で、調べてみたところ。
元々は、松がメインだったようですね。
松竹梅の松は神を"待つ"の縁起とも言われます
それが江戸時代、徳川家康が
「三方ヶ原の戦い」で敗れたのを忘れないと
竹(武田信玄)を削ぎ落としたことから
今の形になった…とか
何とか説がありますが………
ぶっちゃけ嘘っぽいですよね
そんな正月から
天下人煽ったらやばくない?
さて、仙台門松の話を。
真ん中の白いしめ縄は、
ケンダイと呼ばれ、
ここに紅を入れるそうです。
松で門を作る
これが仙台門松なのですが。
ぶっちゃけ
門松らしいの、
こっちじゃありません?
竹三本とこれ、どっちが門松って
どう考えてもこれですよね。
しかも、松で門を作る門松は、
仙台だけに残っているわけではないです。
家康お膝元の愛知県ですら
江戸時代はこの形があったようです。
今の形がスタンダードになったのは、
もっと後だったりしないかなあ
仙台でも、第2次世界大戦中に
門松自粛の風潮が庶民のあいだに広がり、
仙台門松は失われます。
資料的には、
あのイラストが唯一の手がかりとのこと。
結局、いつからあの竹三本=門松
となったのかは不明です。
※竹自体は鎌倉時代から使われているらしいが…
でもこれ竹ジャン 門竹ジャン…
言葉だけ残って
中身が別物になってる感
ところで
正月に門松で迎え入れる神様は、
年神様なのですが。
こちら穀物神なのだそうです。
そもそも年の語源は、
「稲」や「穀物」を表す
「禾」「千」の組み合わせだそうで。
穀物の実りの周期で、1年なのだとか。
これも米所だった宮城で
大事にされそうな信仰ですよね。
近年、失われた仙台門松が、
仙台で復活しています。
仙台市博物館で、
被災した歴史資料や文化財を救出する
資料レスキュー活動を実施したところ、
代々仙台城に門松を献上していた
根白石地区の旧家を発見。
なんとこちらの家では、
古文書や絵画史料ともほぼ一致する
仙台門松を今も飾っていたようです。
これにより、復元が実現したのだとか。
江戸時代から400年以上守った、
ってすごいですよね。
どうやら仙台城の門松は、
根白石の8つの家の当主が納めるものと
決まっており、彼らは
御門松上げ人と呼ばれていたそうです。
租税の一部が免除されるなど、
大事なお役目だったようです。
誇りがあったからかもしれませんが、
それにしても…
400年、城に殿様が居なくなって
納める先が無くなっても、
続けられるものなのかと。
そういう家が他にもあるんでしょうね。
今月訪れる不忘閣も、
伊達政宗公から湯守を命じられた
伊達家代々の湯治場です。
御門松上げ人、湯守り…
色んなお仕事がありますね…
仙台藩のお仕事一覧見てみたい。400年経っても変わらない忠誠がある。
歴史のロマンですねえ
変わらないものといえば。
仙台には、青葉神社があります。
明治に旧家臣団が中心となり創建した、
御祭神が政宗公(武振彦命)の神社です。
現在の宮司は、片倉小十郎の子孫。
片倉家御当主の方です。
片倉小十郎は代々当主の名でもあるので、
政宗公の魂を、
今も片倉小十郎が守っているんです。
すごいことですよね。
400年同じ主に仕えているということです。
進化し続ける大都会な仙台駅。
でも、変わらない場所なんですね。
さて、今日はここらで。
おまけ
それにしても、
棚機や門松を見ていると、
私たちが忘れてしまい、
仙台だけに残ってる
文化も多いんじゃないかと
思っちゃいます。
私自身新しい物好きですが
古い物も好きなので
興味津々です。
温故知新ってやつですね