私と母親との確執。①「いい子を演じていた、私」~家庭内暴力編~ | 「自分も子どもも愛せるママになれる」新宿御苑前子育て相談室

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● 私と母親との確執。①「いい子を演じていた、私」~家庭内暴力編~

【前回】私が抑えてきた心(感情)の蓋が開いた!

こんにちは、仲村ゆりかです。

息子について取り組んでいたワークでしたが、その中でいつも出てくるのは、幼いころから求めていても、得ることが出来なかった強い思いでした。

誰に求めていたのか?は、明確でした。

母親です。

どんな思いかというと・・・

無条件に愛してもらいたかった!

こんなに頑張っている私を、認めてもらいたかった!

褒めてもらいたかった!

お母さんと楽しく話したかった・・・

ワークをするごとに、まるで子供のように、母親に対する思いが出てくるのでした。

母に対する思いは、あくまでも私の目から見た感覚なので、実際母親がどう思っていたかは、わかりません。

私と母親との関係性は、どうだったのか?

私の母親は、戦前生まれで、とても働き者で、真面目な女性です。

父親も戦前生まれで、公務員で無口な人でした。

真面目で、庭いじりが好きな人でしたね~。

母親は、5人?6人?の長女として、兄弟の面倒を見てきたからでしょうか?面倒見はとてもいいのです。

近所の方からも、面倒見の良さで頼られていました。

社交的で、私の友達にも明るく接してくれ、手作りご飯も食べさせてくるような優しい母親でした。

友達も「おばさん、おばさん」と慕っていましたね。

周りからは、とてもいい母or家族に見えていたのは、子供ながらも感じていました。

でも、私は母親のことは、周りの人と全く違う思いで見ていました。

仕事も人一倍頑張る母。

我が家は、裕福だということではありませんが、中流だったのではないか?と思います。

母親は、向上心のある人で、人より上をいきたいような感じがしました。

母に言わせれば、自分は貧乏な生活をしてきたので、悔しさをバネに働いてきたようです。

「世間に笑われるような生活はしたくない!」と、いつも言っています。

でも、母親が頑張れば頑張るほど、家族の中にひずみが起きてきました。

疲れている母親は、家族にイライラをぶつけてきました。



「家族のために、自分を犠牲にして、休む暇もなく働いて稼いでいる!なのに、あんたたちはなんなの!」

「誰のお蔭で、なに不自由なく暮らせていると思っているの!?」

そんな母の本音が、言葉にでることも多々ありました。

母親の心の声は、「私は、あれもこれもやっているのに・・・!」と、いつも家族に激しく降りかかってきました。

特に、黙って聞いている?逃げない?私には、言いやすかったのだと思います。

私には5つ上の兄がいますが、兄は母親より父親が厳しく接していたので、母親の小言が始まると、スーッと逃げ出していました。(笑)

私も逃げたかったのですが、逃げる所がなかった。

もし逃げても、母親のストレスは後日倍返しになることは分かっていました。

嵐の過ぎるのを待つしかありませんでした。

あの頃の私は、母親が何を言いたいのか?

どうしたら、落ち着くのか?

全く理解できませんでした。

母は、私が良かれと思ったことに、余り喜びませんでした。

それどころか「そんなことするより、~したほうがいいわ。」と、小言が始まる始末です。

わたしは、幼いながらも、母親を少しでも助けたい!と思って、考えられるだけのことをしていたのだと思います。

母親が、楽しそうにしていると、何だかホッとしたことを覚えています。

ヤッパリ、子どもは笑っているお母さんを見ることが、心の安定に繋がるんですよね。

でも、成長していくにつれて、母親の急変する態度についていくことに、私の心は疲れていきました。

生活の中で、母親の顔色を見て行動するのが、当たり前にようになっていました。

「こうしたい!」と思っても、「お母さんは、どういうかな?」と、自問自答した結果、母親が喜ぶ選択をしている、私。

本当は、そんな自分が嫌でした・・・。

でも、母親のいつ終わるか分からない暴言にさらされることの方が、その時の私には耐え難いことだったのだと思います。

そんな母親のことを避けたいと思いながらも、母親を少しでも楽にしてあげたい!と思っている、私。

今思えば、長年抱いていた矛盾した気持ちの葛藤が、私をずっと苦しませてきたように思います。

私は、世間で言われる「良い子」だったです。

世話好きで、評判のいい母親の悪口は、言えませんでした。

言ったところで、わがままだと言われるだけだと思っていました。

きっと、ものわかりのいい明るい母親を持って「ゆりかちゃんは、幸せだ!」と、周りに映っていたと思います。

その母親の2面性が、本当に本当に嫌でしたし、許せませんでした。

その頃の後遺症でしょうか?昔は二面性のある人に対して、異常なほど攻撃的になって、怒りが抑えられないことが多々ありましたね~。(笑)

母親の家族に対しての攻撃は、ますます激しくなってきました。

友達には「いいよ~」と笑顔を見せながら、帰った後は文句の嵐です。

文句を受け止めるのが嫌で、友達を家に呼ぶことも減っていき、外で会うようにしました。

そうすると「なんで、外じゃなくて家に連れてこればいいのに~」と、一言。

「お前が、文句言うからだろ!」と、ムッとしながらも、

「○○ちゃんが、今日は時間がなかったからさ・・・」

と、必死で母親の爆弾スイッチがONにならないように、気を遣っていたましたね。

今と違って、田舎は夜遊びするところもありませんし、子供なので(自分の)お金もない。

帰るところは、自分の家しかありませんでした。

子供ながら、自分の家に居場所(安らげる場所)を必死に作ろうとしていたのでしょう。

でも、そんな私の気持ちなど知る由もない母親の暴言は、止めることはありませんでした。

私の心は、自覚がないまま、疲れていきました。

今思えば、私の心の辛さは、この時から始まっていたんですね。

その心の辛さは、私のその後の人生・子育てに大きく影響していったのです。

続きは、次回です。

★息子の家庭内暴力に至るまでの家庭内環境&私の心の葛藤については、コチラをご覧ください。


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