【前回】私が抑えてきた心(感情)の蓋が開いた!
こんにちは、仲村ゆりかです。
息子について取り組んでいたワークでしたが、その中でいつも出てくるのは、幼いころから求めていても、得ることが出来なかった強い思いでした。
誰に求めていたのか?は、明確でした。
母親です。
どんな思いかというと・・・
無条件に愛してもらいたかった!
こんなに頑張っている私を、認めてもらいたかった!
褒めてもらいたかった!
お母さんと楽しく話したかった・・・
ワークをするごとに、まるで子供のように、母親に対する思いが出てくるのでした。
母に対する思いは、あくまでも私の目から見た感覚なので、実際母親がどう思っていたかは、わかりません。
私と母親との関係性は、どうだったのか?
私の母親は、戦前生まれで、とても働き者で、真面目な女性です。
父親も戦前生まれで、公務員で無口な人でした。
真面目で、庭いじりが好きな人でしたね~。
母親は、5人?6人?の長女として、兄弟の面倒を見てきたからでしょうか?面倒見はとてもいいのです。
近所の方からも、面倒見の良さで頼られていました。
社交的で、私の友達にも明るく接してくれ、手作りご飯も食べさせてくるような優しい母親でした。
友達も「おばさん、おばさん」と慕っていましたね。
周りからは、とてもいい母or家族に見えていたのは、子供ながらも感じていました。
でも、私は母親のことは、周りの人と全く違う思いで見ていました。
仕事も人一倍頑張る母。
我が家は、裕福だということではありませんが、中流だったのではないか?と思います。
母親は、向上心のある人で、人より上をいきたいような感じがしました。
母に言わせれば、自分は貧乏な生活をしてきたので、悔しさをバネに働いてきたようです。
「世間に笑われるような生活はしたくない!」と、いつも言っています。
でも、母親が頑張れば頑張るほど、家族の中にひずみが起きてきました。
疲れている母親は、家族にイライラをぶつけてきました。
「家族のために、自分を犠牲にして、休む暇もなく働いて稼いでいる!なのに、あんたたちはなんなの!」
「誰のお蔭で、なに不自由なく暮らせていると思っているの!?」
そんな母の本音が、言葉にでることも多々ありました。
母親の心の声は、「私は、あれもこれもやっているのに・・・!」と、いつも家族に激しく降りかかってきました。
特に、黙って聞いている?逃げない?私には、言いやすかったのだと思います。
私には5つ上の兄がいますが、兄は母親より父親が厳しく接していたので、母親の小言が始まると、スーッと逃げ出していました。(笑)
私も逃げたかったのですが、逃げる所がなかった。
もし逃げても、母親のストレスは後日倍返しになることは分かっていました。
嵐の過ぎるのを待つしかありませんでした。
あの頃の私は、母親が何を言いたいのか?
どうしたら、落ち着くのか?
全く理解できませんでした。
母は、私が良かれと思ったことに、余り喜びませんでした。
それどころか「そんなことするより、~したほうがいいわ。」と、小言が始まる始末です。
わたしは、幼いながらも、母親を少しでも助けたい!と思って、考えられるだけのことをしていたのだと思います。
母親が、楽しそうにしていると、何だかホッとしたことを覚えています。
ヤッパリ、子どもは笑っているお母さんを見ることが、心の安定に繋がるんですよね。
でも、成長していくにつれて、母親の急変する態度についていくことに、私の心は疲れていきました。
生活の中で、母親の顔色を見て行動するのが、当たり前にようになっていました。
「こうしたい!」と思っても、「お母さんは、どういうかな?」と、自問自答した結果、母親が喜ぶ選択をしている、私。
本当は、そんな自分が嫌でした・・・。
でも、母親のいつ終わるか分からない暴言にさらされることの方が、その時の私には耐え難いことだったのだと思います。
そんな母親のことを避けたいと思いながらも、母親を少しでも楽にしてあげたい!と思っている、私。
今思えば、長年抱いていた矛盾した気持ちの葛藤が、私をずっと苦しませてきたように思います。
私は、世間で言われる「良い子」だったです。
世話好きで、評判のいい母親の悪口は、言えませんでした。
言ったところで、わがままだと言われるだけだと思っていました。
きっと、ものわかりのいい明るい母親を持って「ゆりかちゃんは、幸せだ!」と、周りに映っていたと思います。
その母親の2面性が、本当に本当に嫌でしたし、許せませんでした。
その頃の後遺症でしょうか?昔は二面性のある人に対して、異常なほど攻撃的になって、怒りが抑えられないことが多々ありましたね~。(笑)
母親の家族に対しての攻撃は、ますます激しくなってきました。
友達には「いいよ~」と笑顔を見せながら、帰った後は文句の嵐です。
文句を受け止めるのが嫌で、友達を家に呼ぶことも減っていき、外で会うようにしました。
そうすると「なんで、外じゃなくて家に連れてこればいいのに~」と、一言。
「お前が、文句言うからだろ!」と、ムッとしながらも、
「○○ちゃんが、今日は時間がなかったからさ・・・」
と、必死で母親の爆弾スイッチがONにならないように、気を遣っていたましたね。
今と違って、田舎は夜遊びするところもありませんし、子供なので(自分の)お金もない。
帰るところは、自分の家しかありませんでした。
子供ながら、自分の家に居場所(安らげる場所)を必死に作ろうとしていたのでしょう。
でも、そんな私の気持ちなど知る由もない母親の暴言は、止めることはありませんでした。
私の心は、自覚がないまま、疲れていきました。
今思えば、私の心の辛さは、この時から始まっていたんですね。
その心の辛さは、私のその後の人生・子育てに大きく影響していったのです。
続きは、次回です。
★息子の家庭内暴力に至るまでの家庭内環境&私の心の葛藤については、コチラをご覧ください。
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