こんにちは、仲村ゆりかです。
今まで、娘の拒食症については、ブログやメルマガで記載させて頂いてきました。
息子の家庭内暴力についても、時々触れてきましたが、そんなに詳しくお伝えすることはありませんでした。
でも、先日のブログで玄関のロックキーが4年ぶりに見つかって、取り付けたという記事を記載しました。
取り付けたその日から、(上手く説明できませんが)私の心の中の引っかかっていたものがスッーと取れた気がしています。
本当に心から息子を信じ、安心できる喜びを、凄く感じているのです。^^
それが通じるのか、息子の態度がいつもと違っているように感じるのは、気のせいかな?(笑)
息子は、23歳になりました。
大学4年の時、就職の内定を断り「もっと研究をしたい!」と、大学院への進学を決めました。
「奨学金を借りて大学院に行く」という息子の言葉に驚きましたが、すごくすごく悩んで出した結果だということは、私にも分かりました。
息子が自分で悩み、教授に相談し、時間をかけて結論を出したのですから、私は何もいうことはありません。
息子は、真面目で大人しいタイプ。
結論出すまでは時間が必要な子ですが、決めた事はやり抜きます。
中学の時、全く竹刀など持ったこともないのに強豪剣道部に入り、中・高校の6年間やり抜きました~。
アニソン好きで、お笑い好き。(笑)
最初はオタクっぽいところが、理解できず、認めることが出来なかった。
でも、今は色々なことに興味をもって、色々な人に出逢い、社会勉強をしているので、人生無駄なことはないんだな~と思えます。
無駄だとか、そうでないとかは、親サイドの価値観で決めていることも多々ありますからね。
息子は、家では余り話しませんが、学校ではひょうきんなことをして周りを笑わせているようです。(私の遺伝かな?^^)
今は、大学院生として、就活中です。
今では、破壊行為をしていた闇のかかったような姿は、全く感じられません。
私は、たまに「あれは、夢だったのかな??」と、思うことがあります。(笑)
息子が、豹変したのは高校3年生の5月でした。
その日、息子はリビングのパソコンで何かしていました。
そろそろ、大学受験に向けて考えなくてはいけない時期なのに・・・。
全くそんな素振りがない。
部活をやりたいからと、塾に行かずDVD学習をすると購入するも、全くやらず。
1、2年生の息子の姿を見ていて、私のイライラもピークに達していたのだと思います。
息子の高校は、公立の進学校で、大学進学が当たり前でした。
さすがに、3年生にもなれば、学校の補講や塾など、周りの子も勉強を意識し始めます。
息子はというと、何十万円もしたDVDを見ることもなく・・・
学校、剣道、ゲーム、寝る毎日でした。
テスト前には、一夜漬けで勉強。
あとは、全く勉強している姿をみることはありませんでした。
あの頃の私は、うるさく言ってはいけないと、必死に我慢していました。
頭では「見守る」ことが大切なんだと分かっていました。
でも、私の心は余裕がありませんでした。
なぜなら、娘の拒食症と向き合うことに、人生の全ての力を使い果たしてしまった後だったという事もありますが、常に娘は再発しないか?不安でしょうがなかった。
息子には、本当に気を回すことなどできませんでした。
私の頭の中は、いつも娘のことでいっぱい。
息子には「自分のことは、自分でやってよ!お母さんだって、大変なんだから!」と、いつも口癖のように言っていた気がします。
毎日、必死だった。
気づいたら、息子は高校3年生になっていました。
元々大人しい子だったので、それまでは何とか過ごしてこれたのだと思います。
今思えば、息子は娘の拒食症の間も、随分我慢してくれていました。
息子には申し訳ないと思いつつも、私の感情はどうしようもない状態でした。
この日、息子に受験のために(私が)塾を勧めたとき、
「自分で勉強するからいい」
という息子の言葉に、私の何かが爆発してしまったのです。
「そんなの○○が出来るわけないじゃん!自分で勉強できるのは、ちゃんと勉強ができる子が言うこと。今までずっと見てきたけど、○○はいつもゲームばかりやっていて、全く何もしていない!そんなの無理に決まっている。」
一度爆発した感情は、抑えることが出来ませんでした。
息子に言葉を言いながら「思ったことは言っちゃえ!」という自分と、「そんな言い過ぎだよ。落ち着け!」という自分が分裂して、自分が自分でないような感覚でした。
私の中に溜まっていた物を、息子に全てぶつけてしまったのです。
息子は、黙って立ち上がり、パソコン横の壁に貼ってあった習字の書を掴み、勢いよくビリッと破りました。
その書は、「希望の光」と書いてありました。
息子が、小学4年生に書いたものでした。
「希望の光」という書を破いた行為にも腹が立ちましたが、あのときの私は自分の希望も破られたようで、心が痛かったのかもしれません。
(意識ではなく、あくまでも感覚的なものです。)
あのときは、不安はありましたが、数年にわたる娘の拒食症との戦いも終わり、これから自分の人生を歩めると思って「希望」をもっていた時でしたから、息子の行為を許すことが出来ませんでした。
気づけば、
「物にあたるなんて最低!言いたいことあるなら、言えばいいでしょ!」
と、息子を攻撃する言葉を立て続けに投げかけていました。
怒りと悲しみで、抑えられない感情でした。
その時、一旦息子は部屋に戻っていきました。
私は、言い過ぎた自分を責めながら、本当は「誰か、助けて欲しい!」と心の奥の奥で叫んでいた気がします。
そして、この日を境に息子が豹変していくとは、私は夢にも思っていませんでした。
娘の拒食症の命の危機を乗り越えたと思ったら、今度は息子の問題が勃発。
なぜ、私だけこんなに不幸なことが起きるのか?
次から次に起こる私と子どもの問題に、私の心は荒んでいきました。
(このころの私は、私自身から発信しているものが今の現状を作っているとは、気づくわけもなく・・・(´;ω;`)ウッ…)
こうして、命を懸けた、私の恐怖の日が始まったのです。
あのころの覚えていることを、これからブログで記載していきますので、10代、20代の息子さんの問題で悩んでいるお母さんの参考になれば幸いに思います。
続きは、次回です。
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