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/#平成レトロ/
— 虚実歴史・漢字論・ナツメロ (@kyojitsurekishi) December 28, 2022
日本ハム⚾ファイターズが津軽海峡を越える直前。
(続く)https://t.co/lQoFkTRGct
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(続き)#平成レトロ
— 虚実歴史・漢字論・ナツメロ (@kyojitsurekishi) December 28, 2022
平成レトロ・スポーツ編
日本ハム⚾ファイターズが津軽海峡を超えたのは平成16年(西暦2004年)。
近鉄とオリックスの球団合併により、平成17年に東北楽天イーグルスが誕生。
令和4年、オリックスが日本シリーズで優勝し、「バファローズ」の名を冠した球団が初の日本一となった
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1978年(昭和53年)放送ですが劇中の時代は1976年(昭和51年)の球宴直後。星飛雄馬が右投手になって巨人に復帰し、王貞治がノーワインドアップ投法を教えました。
— 虚実歴史・漢字論・ナツメロ (@kyojitsurekishi) May 20, 2024
『新巨人の星第33話「王貞治ノーコン投法」Aパート』
⇒ https://t.co/0aFfJMVyow
〔新巨人の星第33話「王貞治ノーコン投法」Aパート | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)〕
1978年(昭和53年)放送ですが劇中の時代は1976年(昭和51年)の球宴直後。星飛雄馬が右投手になって巨人に復帰し、王貞治がノーワインドアップ投法を教えました。
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『新巨人の星第33話「王貞治ノーコン投法」Aパート』
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〔新巨人の星 原作の最終回 | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)〕
ロメオ・南条は「こんな手品の相手にはならん」といって蜃気楼の魔球の攻略を放棄、速球に的をしぼってピッチャー返しで飛雄馬を倒そうとした。星一徹が長嶋監督に助言。打球の方向を予測できるので巨人の守備陣が連携プレイで対処。
『ドカベン』高校野球編では、山田太郎は1974年(昭和49年)に明訓高校に入学し、計算上は1977年春に高校を卒業したはずだが、1977~78年は高1~高2の春センバツ。江川学院の中(あたる)が山田の連続敬遠。土佐丸の犬神が殿馬の打球を捕ったがラッキーゾーンに落下して本塁打。
『ドカベン』では 1978~79年は山田太郎高2の春センバツ後半~夏の予選~甲子園(弁慶高校に敗れた)の時期。 この時点で成田空港が使われていた。
1978年は関東のプロ野球界で節目の年になった。 大洋が川崎から横浜に移り、代わりにロッテが川崎球場を使用。この後10年間、日本のプロ野球は関東(ロッテ、横浜大洋、巨人、ヤクルト+日ハム)と瀬戸内(広島)の間に集中していた。
1988年(昭和63年)にダイエーが南海ホークスを買収し、1989年(平成元年)からダイエーホークスになり、九州にプロ野球が復活。
東北にプロ野球が戻るのは2005年(平成17年)の東北楽天ゴールデンイーグルス成立まで待たねばならなかったが、その前の2004年には日本ハムファイターズが東京・後楽園から札幌に移転してた。 奇しくも高校野球では甲子園大会の優勝旗が白河の関を越える前に津軽海峡を越えていた。
/キタトシオ(@kitatoshio1982)さん / X/
1978年に優勝したヤクルトは開幕から完封負けした試合がずっとなかった。つまり負けても最低1点は点を取っていた。 そのヤクルトがシーズン最終戦の130試合目の広島戦で初めて完封負けを喫した。 相手投手は前年の防御率135.00の大野豊。 プロ初完投、初完封だった。
⚾#新巨人の星/
1978年5月放送でも時代設定が1976年後期なので、王選手はベーブ・ルースの記録を抜くのが目標だった。劇中の星飛雄馬と王貞治の台詞でわかる。 1977年に王選手はハンク・アーロンの記録を抜いた。
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〔令和6年5月〕
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平成20年(2008年)BLOG
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