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78年I1978年II、79年
『新巨人の星』および『ドカベン』と1977年、『ドカベン』と1978年、『ドカベン』と1979年

1978年――『新巨人の星』蜃気楼の魔球(「新魔球の章」)、ツバメ返し打法

梶原野球漫画では『新巨人の星』の「新魔球の章」がこの時期に当たる。
『ドカベン』では『プロ野球編』の山田太郎が2歳になった年であるが、当時の明訓編では山田高2春選抜から夏の予選までが描かれた。17歳の誕生日の前後であった。
もっとも1974年春に明訓に入った山田は1978年には20歳になっていたはずだ。

 

 

1978年3月に江川卓は法政大学を卒業したはず。
『ドカベン』で山田世代が()が高校1年夏の甲子園に出場したとき、いわき東高校との決勝が雨で1日延期になった。このとき、江川卓は法政大在学中で、それは1974年4月から1978年3月までのことである。
└→『ドカベン』高1

 

 

 

アニメ『ドカベン』の場合、山田世代が1976年度で中3と假定し、77年度で高1とすると、この78年度が高2の時期である。
山田世代は高2(高校1年3学期が終了した3月~2年1学期が始まった4月)春の予選で江川学院と対戦。山田は5打席連続敬遠された。
決勝で土佐丸と対戦。アニメでは岩鬼がベースをまわりながら、78年のヒット曲である「夢想花」の一部を少し歌詞を変えながら歌っていた。
もっとも、「夢想花」は1978年の秋に出た曲であるとすると、岩鬼が春の選抜大会でこれを歌ったとしても79年以降の大会になる。

 

 

 

また、原作で山田世代高2の夏に明訓が弁慶高校に敗れ、土井垣が日本ハムファイターズに、犬飼小次郎が南海ホークスに入ったのが1979年夏(作中の新聞記事や実在の人物などから)と假定すると、山田世代が明訓に入学したのは1978年春になる。
└→『ドカベン』高2
└→『ドカベン』高2・補足

 

 

 

この1978年4月から横浜球場が開場。明訓高校の山田世代も高3夏の予選を横浜球場で戦った。
└→『ドカベン』高3~プロ

 

 

 

 

 

 

稲尾和久が奇跡の連投をした西鉄対巨人の日本シリーズ(1958年)から20年。1978年のシーズン終了後、クラウンライターライオンズが西武ライオンズになることが決定し、本据地も九州の福岡から関東の埼玉に移った。ダイエーの中内㓛が南海ホークスを買収してダイエーホークスにしたのは、それから10年後、1988年のシーズン終了時のときであった。
└→補足

 

 

 

1977年にクラウンライターライオンズの指名を拒否した江川が渡米。78年正月に星飛雄馬はハワイで江川と間違えられた。翌79年、江川の投球練習に水木炎が乱入。飛雄馬は水木を江川と勝負させたらしい。アニメでは渡米する飛雄馬に江川が挨拶した。
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