水島新司の #ドカベン 単行本40巻、傳説となった明訓対弁慶高校の試合。「かえす男」が「かえる男」になり、「かえる男」が「かえす男」になって明訓の攻撃のリズムが狂った。原作では「かえす」「かえる」はひらがな。豊福きこう氏の本では「返す」「返る」だった。「帰す」「帰る」ではないのか?
#ドカベン 単行本40巻は昭和54年(西暦1979年)12月10日初版發行。この巻では山田は高校2年。単行本14巻で高1の山田世代が「第56回」の夏の甲子園(昭和49年)に出場したことを基準にすると高2夏は昭和50年のはず。プロ野球編ではこの弁慶高校戦は平成5年(1993年)夏になる。
〔#ドカベン〕
知恵袋>明訓が弁慶高校に負けたのは打順の組み替え(山田と岩鬼を組み替えた)にあると言われますが、やはり足が遅い山田では1番は厳しかったということでしょうか?
『ドカベン』の山田は鈍足なので「走者を本塁に かえす(返す、帰す)男」になっても「かえる(返る、帰る)男」にはなりにくい。本塁打を打てば問題ないが単打か二塁打か三塁打になった場合、後続打者が打っても山田自身は進塁できずアウトになりやすいし、後ろの走者は全力疾走できない。
『巨人の星』では文庫11巻「屈辱の“夢の球宴”」で1970年のオールスターゲームが描かれた。星飛雄馬が登板。野村克也(南海)が大リーグボール2号を打ってヒット。アルトマン(ロッテ)が二塁打。ここでアナウンサーが「前に鈍足の野村がいなければ三塁打コース」と言っていた。
『巨人の星』では、その後、阪急の長池がヒット性の当たりを放ったがライト左門がファインプレーで捕球。野村克也が三塁から本塁を狙ったが、左門が森捕手にバックホームして野村は一類アウト。ここでアナウンサーがまた「足のおそい野村には打球が浅すぎたか」と言って野村選手の鈍足を強調していた。
アルトマンも二塁から三塁を回って本塁を狙ったが、一塁の花形が本塁カバーに回り、三塁の長嶋との間でアルトマンを挟み撃ちにして、花形がアルトマンをタッチアウトにした(『巨人の星』文庫11巻「屈辱の“夢の球宴”」)。
『巨人の星』のこの場面では野村克也が「鈍足」だったので、次のアルトマンが三塁打性の当たりを放っても二塁にとどまり、次の長池が打って犠牲フライとなりそうに見えたが、結果として野村とアルトマンは本塁でアウトになっている。
『巨人の星』で野球の走者の走力の問題が描かれていた。これが『ドカベン』の山田太郎の鈍足の設定につながっているようだ。
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参照
〔南海、ダイエー(大栄)、ソフトバンクホークス・球団史〕2008-09-15 10:06:47
〔野村克也I【人物】【スポーツ】〕2009-04-29 18:46:09
〔野村克也と山田太郎【スポーツ】〕2009-05-05 22:15:15
〔野村克也と真田一球(1975年から2009年まで)【スポーツ】〕2009-05-07 23:32:54
〔野村克也II【人物】【スポーツ】〕2009-05-15 22:44:46
〔『あぶさん』で描かれた歴史〕2009-07-26 23:28:38
〔小林繁と江川卓の関連年表(野球漫画との関係中心)〕2010-01-29 22:58:02
『野村克也氏死去【スポーツ】』
☆野村克也氏死去☆ Star Pegasus of The Giantsのブログ
└→【大リーグボール3号 野村】のブログ記事検索結果|Ameba検索
LivedoorBlog>〔ものがたりの歴史・補足〕
(非公開)
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『ドカベン』41巻、1980年、山田高2夏決勝、土井垣日ハム入団
2018-08-23 19:00:08
1974年、オールスター夢の球宴(『侍ジャイアンツ』『野球狂の詩』)
2018-08-26 04:51:36