1973年 秋、ドラフトで阪急が江川を指名
___ 東京メッツはTO砲(唐部、丘)を指名(『野球狂の詩』)
___ 日下部(新潟西高3)は野村南海からの指名を拒否して早大進学(〃)
1974年 山田、岩鬼、里中が明訓高校に入学(『ドカベン』)
___ 江川は法政大学に入学
___ ドラフトでメッツが日下部(早大4)を指名(『野球狂の詩』)
1976年 後半戦、右投手・星飛雄馬が小林繁の救援で登板(『新巨人の星』)
1977年 秋のドラフトでクラウンライター・ライオンズが江川を指名
1978年 正月、飛雄馬がハワイで江川と間違えられる(『新巨人の星』)
___ ドラフト直前、巨人が江川と契約。ドラフトで阪神が交渉権獲得
1978~79年? 渡米する飛雄馬に江川があいさつ?(『新巨人の星II』)
1979年 1/31~2/1、江川が阪神と契約して直後に小林繁とトレードしG入り
1979年 江川の投球練習に江川が乱入(『巨人のサムライ炎』)
1979年? 小林は阪神に、田淵は西武に移籍(『がんばれ!!タブチくん!!』)
1985年ごろ 甲子園の明訓×青田戦で岩鬼が巨人時代の江川のまね
2010年 小林繁病死

1977年秋のドラフトでクラウンライター・ライオンズが江川を指名し、江川は野球留学に行った。
『ドカベン』では1977年に山田高1秋の関東大会から高2春の選抜までが描かれたので、日ハムが土井垣を、南海が犬飼小次郎を指名したドラフトは1977年に描かれたことになる。土井垣と犬飼は大学にもプロにも行かず、監督になった。少し境遇が似ている。

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2010年1月 1/29