平成24年tw
@kyojitsurekishi 2011年11月下旬に新聞で当時から半年後(2005年春)の「ドラえもん声優交代」が報道された。大山のぶ代の著書「ぼくドラえもんでした」によると、藝能面でなく社会面に出たので、黒柳徹子が心配して深夜にも関わらず大山のぶ代に電話したらしい。
posted at 09:29:38
 

@kyojitsurekishi

11月15日。「ドラえもん」の声優交代(2005年4月15日)から7年7か月。交代が報道されたのはその半年前の2004年11月下旬。それから8年が経過した。

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今から9年7(~8)か月前に大山のぶ代が自ら進んでドラえもんの声から降板したことがわかる。
posted at 20:49:45
 
@kyojitsurekishi 大山のぶ代著「ぼくドラえもんでした
 
@kyojitsurekishi 2004年11月下旬に新聞で当時から半年後(2005年春)の「ドラえもん声優交代」が報道された。大山のぶ代の著書「ぼくドラえもんでした」によると、藝能面でなく社会面に出たので、黒柳徹子が心配して深夜にも関わらず大山のぶ代に電話したらしい。
posted at 06:37:29
 
posted at 06:39:39
 
平成26年tw
@kyojitsurekishi 大山のぶ代、「ぼくドラえもんでした」
ドラえもんの歴史の中でこの人は確かに一時代を築いた。そして降板は必然だった。
posted at 04:20:12
 
ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話
単行本 – 2006/5/26
 (小学館文庫) 文庫 – 2011/8/5
posted at 04:28:13
 
「ぼく、ドラえもんでした」の153頁で大山のぶ代はドラえもんのゲスト声優の一人として野沢雅子の名を挙げているが、そこでは「野沢雅子が自分(大山のぶ代)の前にドラえもんの声優だったこと」には触れていない。
posted at 13:29:20
 
大山のぶ代著「ぼく、ドラえもんでした」によると小錦が映画「のび太とロボット王国」でコニック役のゲスト声優になった時、「ボクは皆さんのために働くラバッ(robot)だから」と言ってしまい、「ロボット(robotto)」に言い直させられたらしい。英語のrobot[róubət]はハワイで*rabatのようになるのか。
posted at 13:39:4813:41:16
 
平成27年pst
@kyojitsurekishi 大山のぶ代が著書「ぼくドラえもんでした」で書いていた話によると、小錦が映画ドラえもんのゲスト声優になって収録した時、脚本の中にある「ロボット」を英語のrobotそのままの發音で読んだため、皆が聞き取れす、日本式の読みに言い直してもらったらしい。
posted at 09:21:07
 
@kyojitsurekishi ドラえもんのこの程度の「暴言」は1970年代から原作を読んでいた立場としては当たり前すぎて、逆に意外とドラえもんが知られてないという点が意外。
posted at 12:52:10
 
@jpnewsflash 大山のぶ代#ドラえもんのことばづかいや性格を変質させたのは善し悪しで、自分としては大山版が始まる前の原作と日テレ版ドラえもんがあくまでベースだ。それを基準にわさドラを見ている。21世紀になってから大山のぶ代が病気になり、降板を申し出たことはきちんとドラマで描かれるだろうか。大山のぶ代「ぼく、ドラえもんでした。」
posted at 16:16:4119:05:08
私は日テレ版を見た後、6年くらい原作を読んで、それから大山のぶ代のテレ朝版を見たので、「原作のドラえもんの暴言」などに驚く人がいるのを見ると相当イメージがソフトに変えられたのを痛感します。 自分としては「母になったドラえもん」に違和感を感じた方なので、今の「友達、兄弟としてのドラえもん」にすぐ馴染んだ。
 
大山のぶ代にドラえもんの声を依頼したアニメ会社の人は「ドラえもんは出来損ないだからこそ人間らしくて愛される。男の子と一緒にドジをしながら成長する」という趣旨の評価をしていた。これに忠実なのは水田わさびのドラえもんの方であろう。
大山のぶ代は初めての子を死産で失い、次の子も幼くして他界。子供を産めなくなった。それで子育ての夢をドラえもんに託し、ドラえもんを見る子供たちを自分の子供だと思って、台詞や性格を変えて、ドラえもんを保護者に変えたのだろう。
今の水田わさび、かかずゆみは、幸いにも子育て中の母親で(かかずゆみは夫を失ったようだが)、本当の母親の立場で友だちとしてのドラえもんの世界を作っている。
初期原作の友だちのようなドラえもんが、本当の「母親」である水田わさびの声によって、よみがえった。
 
大山のぶ代が82歳という高齢であることに驚く人が多いようだが、大山ドラが始まった1979年当時を思い出し、あれからどれだけ年月が経ったか考えれば、別に驚くことではない。
 
令和6年pst
1973年の日テレ版を黒歴史にした歴史改竄の書。2005年の降板は大山のぶ代自身の意志であったことが明記されている。
 
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関連語句
ドラえもん 大山 声優 [1] [2](タイトル検索)
ドラえもんでした(内容検索)
大山 ドラえもん [1] [2] [3] [4] [5] 声優交代 (ものがたりの歴史III)

参照
平成27年BLOG
・・・
 
 
平成18年ハードカバー
 
平成23年文庫