『ドカベン』の山田太郎が鷹丘中学で野球を始めるころからの話に限定し、秋田書店の少年チャンピオン・コミックスの単行本の初刊の日付を漫画喫茶で確認した。
1991年7月に練習試合で新潟明訓高校と対戦した山田太郎は1973年5月5日生まれになる。『ドカベン プロ野球編』の山田太郎は1976年生まれで、1991年当時は15歳の中学3年生だった。
1973年には鈴木一朗も誕生しており、のちにオリックスで殿馬とチームメートになる。

 

1972年(昭和47年)
1 昭和47年11月5日

 

1973年(昭和48年)~1974年(昭和49年)
2 昭和48年3月15日
3 昭和48年7月10日
(9 昭和48年8月20日?)
4 昭和48年9月25日
5 昭和48年12月25日 サチ子青田小学校入学、山田太郎中3春
6 昭和49年4月10日 小林登場
7 昭和49年6月10日 野球部へ
8 昭和49年8月10日 鷹丘対東郷
9 昭和48年8月20日 里中登場(第9巻のみ昭和48年に戻っている)
└→ネットでは昭和49年8月または9月
10 昭和49年11月10日 明訓高校入学、山田太郎高1春
11 昭和49年11月30日 白新、山田太郎高1夏
12 昭和49年12月25日 東海
13 昭和49年12月25日 東海、甲子園出場(第56回全国大会)

 

第14巻12ページで甲子園球場の入口で黒字に白い字で「選手大会」とあり、「選」の右上が「ツ」。
第14巻14~17ページで甲子園大会の開会式、グラウンドに入る門に白地に黒い字で「選手大会」とあり、神奈川明訓の次の新潟代表のプラカードに「新泻」とある。
山田太郎が1974年度で高1だったとすると1958年度生まれで、原辰徳と同学年だったことになる。土井垣は1974年度の高3として登場したが『ドカベン プロ野球編』の土井垣は1974年7月生まれだから、18年ずれている。
第14巻27ページで太田幸司が当時近鉄、島本講平が南海、湯口敏彦が元巨人、仲根正広が近鉄、江川卓が法政大学所属として紹介されている。コンビニで買った豪華版では江川は元巨人となっていた。

 

1975年(昭和50年)
14 昭和50年2月10日 通天閣、梅ヶ丘(広島)
15 昭和50年3月30日 土佐丸
16 昭和50年5月20日 土佐丸、いわき東
17 昭和50年7月25日 いわき東
18 昭和50年9月15日 いわき東、土門と微笑登場
19 昭和50年11月15日 56ページで野村克也プロ22年目、山田高1秋、白新

 

明訓と通天閣の試合のあと、球場に来た高校の一つがHAKUSHIN。白新高校は神奈川以外にもあった模様。明訓ナインが芦田旅館に戻ったとき、甲子園では広島代表・梅ヶ丘が高校が勝利を決めていたが、対戦相手の名は語られていない。おそらく「ハクシン」であろう。
明訓が梅ヶ丘に勝って、土佐丸との試合の前、殿馬は練習でグリップエンドやバットの先で打つ練習。
いわき東高校は廃坑に沈む町の高校という設定。今、福島県では原子力發電所の事故で住民が避難せざるをえなくなっており、真に皮肉である。

 

1976年(昭和51年)…『ドカベン プロ野球編』の山田太郎誕生年
20 昭和51年1月10日 白新、東海
21 昭和51年4月5日 東海、横浜、谷津吾朗登場、殿馬グリップ打法の練習
22 昭和51年6月20日 横浜、監督徳川→土井垣、優勝旗盗難
23 昭和51年10月5日 クリーンHSの影丸とフォアマン登場、甲府
24 昭和51年12月10日 甲府

 

『ドカベン プロ野球編』の山田太郎は1976年5月5日生まれ。1976年当時、原作では山田は高1の秋で、神奈川県大会と関東大会に出場していたから年齢は16歳と半年だった。しかし、高1夏の甲子園が1974年の第56回大会だったことから考えると、山田は1976年度には高3になっているはずだった。
1974年当時、山田世代と同学年だった原辰徳は1976年度で東海大相模高校3年、77年春に東海大に進学したはず。
1976年10月6日にはアニメの『ドカベン』もスタート。アニメの山田が1976年度で中3とすると1977年度高1、78年度高2となり、第30巻から第34巻までの原作の山田と同学年になる。

 

1977年(昭和52年)
25 昭和52年2月10日 甲府、山田記憶喪失、クリーン
26 昭和52年4月5日 クリーン、赤城山
27 昭和52年5月10日 赤城山、土井垣ドラフト→山田高2春、田淵と掛布が山田の練習を視察
28 昭和52年8月5日 桜島、江川
29 昭和52年11月5日 江川、山田5打席敬遠、信濃川

 

アニメではクリーン・ハイスクールのフォアマンが来日した動機は、1977年の王貞治による756号本塁打への対抗心から。普通のアメリカ人は王貞治のHR(通算868本)を「世界一」と認めていないらしい。

 

1978年(昭和53年)
30 昭和53年1月5日 土佐丸
31 昭和53年4月20日 土佐丸、外野で捕球した犬神がラッキーゾーンに落下し殿馬HR
32 昭和53年6月5日 吉良高校登場、ハイジャック事件
33 昭和53年8月5日 山田高2夏、東海、渚登板
34 昭和53年10月5日 東海、白新

 

『ドカベン スーパースターズ編』によると、捕球した野手がスタンドに落ちても本塁打とされたのは1978年までで、1979年以降はこのケースではアウト。
アニメでは岩鬼が土佐丸戦で1978年の円広志のヒット曲「夢想花」の替え歌(「♪とんでとんで、まわってまわって…」)を歌っていた。
また、アニメではハイジャックされた飛行機は1978年開港の成田空港に着陸。

 

1979年(昭和54年)
35 昭和54年1月5日 白新、吉良と対戦した向ヶ丘桜高校は「試合中に水を飲むとバテる」という考え
36 昭和54年4月5日 吉良、横浜、弁慶高校登場
37 昭和54年5月20日 横浜、甲子園、BT(初戦が関東勢同士)
38 昭和54年7月5日 BT
39 昭和54年9月1日 弁慶
40 昭和54年12月10日 明訓敗れる

 

アニメの『ドカベン』も1979年12月26日に終了しており、山田が1979年度で高2とすると1962年生まれで、1974年当時は12歳の小学6年生。
土井垣は1979年で19歳だったから1960年生まれになり、1974年当時は14歳で中学生だった。
土井垣が日ハムに入ってホームランを打ったことを報じた新聞では、初打席HRの前例として昭和54年の記録まで掲載。また、当時、野村克也は西武に移籍していた。

『ドカベン』高校野球編、単行本初刊の年月日2

 

「ドカベン」では、山田太郎にとって高2夏の予選の時期(1978~79年頃)の作品で吉良高校と対戦したチームが試合中に水を飲まなかったので熱中症で倒れて棄権。吉良高校の面々は試合中にたっぷり水を飲んでいた。

2:13 - 2013年(平成25年)1月12日 

 

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