パンがなければケーキを食べればいいじゃない」はアントワネットが言ったとされる台詞。
アントワネットが本当にこう言ったかどうかは議論が分かれるようだ。

柳田理科雄は『空想科学読本4』(下注釋)で「王妃様はそうおっしゃるが、主食の代わりにお菓子とは、ちょっとツライのではないか?」とコメントしている。
オードブルもメインディッシュもなしでいきなりデザートというのは食事として適しているのかどうか。
山で遭難した人が菓子で命をつなぐというのは考えられる。

また、ケーキとパンは結構、材料がダブっている物も多いだろう。
パンを作る小麦がなければ米粉で作ったらどうか。

貧乏人は麦を食え」は池田勇人の台詞とされるが、マスコミが人の答辯を勝手に「要約」した結果らしい。
江本孟紀が言ったとされる「ベンチがアホやから野球がでけへん」も記者の勝手な「編集」によるものらしい。こうなるとマスコミは誘導尋問の揚句、人の發言を勝手にアレンジする癖があるようだ。

アントワネットは1755年生まれで1770年に結婚。家重の時代に生まれ、家治の治世の田沼時代に結婚したわけだ。
アントワネットが王妃だったのは田沼時代から寛政の改革までの時代であり、松平定信は1758年(陽暦で翌1759年)生まれなので王妃は定信より3歳か4歳年上だったことになる。

大黒屋光太夫は1751年生まれなので王妃より4歳上であった。エカテリーナIIは1729年生まれで光太夫より22歳上、アントワネットより26歳上だったことになる。
1787年に寛政の改革が始まり、フランス革命があった1789年は日本で元号が天明から寛政になった。天明年間には飢饉と一揆が続き、『おろしや国酔夢譚』では1792年に光太夫が帰国した際、定信が「長く続いた百姓一揆も終わり…」と言っている。

フランス革命の時代は日本でも飢饉と一揆の時代であった。
また、この革命の時期、フランスはオーストリアとの戦争を始めていた。こうなるとアントワネットの悲劇は日本の戦国時代から江戸時代にかけて政略結婚の揚句に自害に追い込まれたお市や淀に似た境遇ではある。

前後一覧
2011年3/8 3月

関連語句
革命 アントワネット 世界史 アントワネット ケーキを食べれば 空想


注釋
『空想科学読本4』
『ベルサイユのばら』については円道祥之が『空想歴史読本』で『ラ・セーヌの星』とともに言及しているが、柳田理科雄も『空想科学読本4』で『ベルばら』を扱っており、柳田理科雄が扱ったのはアントワネットが一瞬で白髪になったという話。『科学読本4』では『あしたのジョー』(アニメでは『あしたのジョー2』)におけるホセ・メンドーサ(Jose Mendoza)の白髪も扱っている。
それ以外にも例がある。『北斗の拳』では南斗水鳥拳の例が一瞬で白髪となり、『真田太平記』では佐藤慶が演じた武将(家康の家臣)が一瞬で白髪となっている。
Y!Japan アントワネット 白髪


参照
大坂夏の陣(『真田太平記』『天地人』など)
9代家重と大岡忠光、平賀源内(『影の軍団II』『おりん』『殿さま』)
大黒屋光太夫、アメリカ独立、寛政の改革、フランス革命
世界史(2011年3月)…主に日本史以外
近現代~未来(2011年3月)