寺本幸代(てらもと ゆきよ)監督は1976年2月25日生まれ。

2月生まれなので学齢では1975年度生まれとなり、『ドラえもん』のレギュラー5人は同学年であれば1975年5月生まれの静香、6月生まれのジャイアン、8月生まれののび太、そして1976年2月生まれのスネ夫ということになる。
1975年4月16日生まれの大原めぐみ(のび太の声)と同学年であろう。

1976年は『ドラえもん』が小学館学年学習雑誌に連載されていた時期で、ジャイアンがツチノコを見つけたのが雑誌で1975年、てんコミ収録で1976年となっている(1975年『小六』3月号)。
また、「百年後のフロク」(てんコミ10)が『小四』の1976年2月号に掲載された。

1976年『小六』3月号に「シャラガム」が掲載され、1963年度生まれの読者が小学校を卒業した。

『ドカベン プロ野球編』の山田太郎は1976年5月5日生まれで寺本監督は同年生まれだが、学年では1年後輩である。

この学年の場合、1982年4月から小学生、1985年4月から小学4年生、1986年4月から小学5年生なので、寺本監督はおそらく小4から小5になった春休みに『のび太と鉄人兵団』を観たのであろう。

寺本監督は2007年の『のび太の新魔界大冒険』も担当しているが、前の『魔界大冒険』は1984年の作品。
1975年度(1976年2月を含む)生まれであれば1984年度は小学3年生になった年度なので、寺本監督が小2から小3までの春休みに『魔界大冒険』が上映されたわけだ。

1975年に中編「のび太の恐竜」が『少年サンデー』に掲載されていた当時、寺本監督は生まれていなかったわけだ。
寺本幸代監督は1977年に『コロコロコミック』が出たときは1歳、テレ朝で『ドラえもん』のアニメが始まったときは3歳、1980年の『のび太の恐竜』公開のときは4歳であり、物心ついたときからテレ朝とシンエイ動画の『ドラえもん』を観ていた世代であろう。

寺本監督は「ドラえもんはネジが1本取れて、それでロボットから人間に近づいた」と解釋している。

寺本幸代監督「ドラえもん」で垣間見させる“繊細”と“剛毅”
2011年3月5日 14:38 映画.com速報
Google 寺本幸代監督 ドラえもん

ネジが足りなくなったのは「ミチビキエンゼル」のときにもあった話だが、別のネジだろう。
ネジが1本取れたというのはバカボンのパパも同様で、人間の「ネジ」とは何か謎である。
寺本監督の解釋は石森章太郎の『人造人間キカイダー』に近い。人間が不完全だからロボットが不完全なのである。
確かに子守ロボット、ペットロボット、介護用ロボットなど研究が進んでいるが人間の作ったロボットは人間の保護者にはなりえないのである。

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