『柔道一直線』と『柔道讃歌』では1964年の東京五輪で敗れた日本柔道の復興がテーマになっている。
この程度で当時の日本人が「日本柔道の屈辱」などと騒いだとすると、むしろ日本人は思いあがっていた、その天狗の鼻をへし折った意味で、このオランダの柔道家は偉かったと言える。
むしろ日本柔道を奮起させた功労者では?
むしろ日本柔道を奮起させた功労者では?
スポーツはどの種目でも王者が交代する。原産国だからといって常に一番強いとは限らない。野球やサッカーを観ればわかる。
日本人はむしろ野球でもフェンシングでも海外から輸入した種目で本場を倒そうとしてきたわけで、侍ジャパンが世界一になったとき、アメリカがいかに悔しい思いをしたか日本人は考えていたのだろうか?
野球でアメリカが勝つとは限らないし、サッカーでイギリスが勝つとは限らない。
さて、1964年といえばてんコミ第2巻の「ぼくの生まれた日」でのび太が生まれた年。
藤子・F・不二雄は1933年生まれで、ヘーシンクは1934年生まれなので、同世代だ。
ヘーシンク(Geesink)は東京五輪のときにはおよそ30歳だったことになる。
藤子・F・不二雄は1933年生まれで、ヘーシンクは1934年生まれなので、同世代だ。
ヘーシンク(Geesink)は東京五輪のときにはおよそ30歳だったことになる。
日本での五輪報道は、相手国との実力差も考えず、「メダルが期待されます」と騒いで、負けてもなぜ負けたか検証しない。「家族や恩師との絆」などというホームドラマ的な話しに終始し、応援団が泣いたり笑ったりする映像だけ。日本にはスポーツを本当に扱うジャーナリズムがあるのだろうか。
ヘーシンクは勝利したとき、駆け寄るオランダ人関係者を手で制し、神永選手への配慮を見せた。
相撲の朝青龍の場合、個人的にはダメ押しが余計でガッツポーズはOKだと思うが、相撲関係者は逆らしい。いずれにしろスポーツでは勝者は敗者への敬意を示すことが重要だ。
相撲の朝青龍の場合、個人的にはダメ押しが余計でガッツポーズはOKだと思うが、相撲関係者は逆らしい。いずれにしろスポーツでは勝者は敗者への敬意を示すことが重要だ。
平成22年8月28日前後(AmebaBlog)
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