野球は日本人にとって球技であり武道のようでもある 

日本において野球はあくまで外から輸入したスポーツである。

 

団体競技としての野球をそのままドラマや漫画、映画などで描いたものが、そのまま日本でヒットするには、時間が必要だった。
多少の揺れはあるが、日本の野球漫画は荒唐無稽から現実的なものに変遷した。最初の野球漫画では忍者の忍法のような魔球、剣客の剣術のような打法が主流だったが、次第に魔球は主流でなくなり、普通の野球をして9人がどう勝つかという野球漫画が主流になっていく。

 

普通に考えると現実主義から荒唐無稽になるはずが、日本の野球漫画は逆の道をたどった。
野球の輸入国である日本では、ON現役の時代には、王・長島と金田正一・稲尾和久のような個人と個人の対決が注目された。つまり昔の日本人は投手と打者の駆け引きを剣道や柔道の戦いを観るような気分で楽しんでいたのであろう。初期の野球漫画も同じだ。主人公が投手でライバルとしての打者がおり、それは宮本武蔵と佐々木小次郎、あるいは服部半蔵と猿飛佐助の対決をモデルにしたようなものであった。

 

したがって『巨人の星』では高校野球編でチームの勝利が重要だったくらいで、無印のプロ編では星飛雄馬と花形、左門、オズマ、伴の対決がメインで、チームの勝敗は二の次。星はライバルに打たれただけで自主降板を繰り返した。『男どアホウ甲子園』でも主人公・藤村甲子園の目標は長嶋茂雄との対戦であり、野球選手がヤクザの抗争や学園紛争に参加するなど、『木枯し紋次郎』のような渡世人の時代劇、あるいは高倉健のヤクザものを野球に置き換えただけの作品であった。
『一球さん』では『黒い秘密兵器』同様、忍者の子孫が野球界に入った。椿林太郎は忍法のような魔球を駆使したが、真田一球は魔球ではなく俊足や体力(暑さに強いなど)を生かし、戦国の武将の心得を野球に生かそうとした。

 

そして、は70年代半ばになって日本の野球漫画がチーム重視に変わっていった。『侍ジャイアンツ』は巨人V9の後半が舞台で、番場蛮はライバル個人との対戦だけでなく、巨人をどう勝たせるかが課題となった(注釋)。『ドカベン』ではチームの勝利の鍵が投手から捕手に移り、山田だけでなく岩鬼や殿馬の打撃で明訓が勝利することもあった。『野球狂の詩』では岩田鉄五郎、国立玉一郎、金太郎、千藤光、TO砲など、各話の主人公がレギュラー入りして作品世界を作っていった。『新巨人の星』では、例えば78年のシーズンで星飛雄馬が蜃気楼の魔球をヤクルトの花形に打たれても、長嶋監督からの要請で広島や中日相手に投げて勝ち続け、それによってそのシーズンにおけるヤクルトの順位を上げてしまうという、ペナントレース全体を視野に入れた展開まで描かれている。
 
個人の記録よりチーム優先という流れは一時、賛否両論の論争を巻き起こした落合博満の采配にも表れている。しかし、野球を日本式の武道と観る考えは「侍ジャイアンツ」から「侍ジャパン」に受け継がれている。

 

前後一覧
09年5/11 5/12

 

関連語句
野球漫画

参照