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野球漫画は「野球の学習漫画」なのかI〃II、〃III


水島新司は『ドカベン』以前の野球漫画が「巨人の投手が活躍する個人中心の漫画」で、それに対抗して『ドカベン』を始めたと述べている。
2007年当時、まず、『週刊少年チャンピオン』でのインタビュー記事。

「ぼくは一人の突出したヒーローが活躍するのではなく、チーム
プレイを描きたかった。野球のよさは9人が力を合わせてひとつの
栄光に向かっていくところにあるし。それからプロ野球を舞台に
するならジャイアン以外で、という思いはありましたね。だから、
『男どアホウ』はタイガースで、『あぶさん』はホークスなんです。
(『週刊少年チャンピオン』2007年8/2号)

巨人以外の球団の選手を主人公にする漫画を定着させた意味では水島新司の功績は大きい。かつてのように巨人希望の選手がドラフトで巨人以外から指名されたのに拒否して逃げまくるという現象も少なくなった。
次に、朝日新聞で「ドカベンはメジャーに行けない」と題したインタビュー記事でこう述べている。

「50年のうち40年は野球だけでやってきた。以前の野球漫画は、
あえて言えば『巨人マンガ』。王、長嶋の人気に引っ張られた
ものだった。野球は個人でなく、9人のチームワークで勝つもの
だろう。僕はドカベンを通じて、チーム競技としての野球の楽しさ、
痛快さを描きたいと思った」(2007年11月21日、朝日新聞)

つまり、水島氏は既存の野球漫画を「個人の勝負を強調した巨人の投手の漫画」から「団体競技としての野球を強調した巨人以外のチームの漫画」に変えたいという考えがあったようだ。
また、水島野球漫画は、それ以前の「主人公が次々と魔球を開發し、ライバルである打者が立ち向かうことの繰り返し」というパターンから脱却した側面もあるだろう。
この「巨人の投手が魔球を使う漫画」は『ちかいの魔球』『黒い秘密兵器』『巨人の星』『侍ジャイアンツ』の流れになっていた。

水島新司は『球漫』に収録された伊集院光との対談で、その戦うべき既存の野球漫画が『巨人の星』だったとしている。
確かにそれは一面としてはあるが、「巨人漫画、野球漫画」としての從来の野球漫画は『黒い秘密兵器』ですでにできあがっていた。消える魔球は『ちかいの魔球』で登場したし、『黒い秘密兵器』でも魔球が「秘球」と呼ばれ、分身魔球が出てきた。

水島新司は1958年から漫画業を始め、初めの10年は修行の期間で、10年たって野球漫画を始めたという事情がある。そのときには『巨人の星』の時期にさしかかっていた。
村上知彦は『巨人の星』連載開始当時、中学3年で、「そろそろアンチ巨人に傾きかけ、荒唐無稽屋な野球まんがをばかにし始める年齢にさしかかっていた」(『巨人の星』文庫第10巻巻末「高校野球漫画としての『巨人の星』」)と述べている。
すると、水島新司が以前の野球漫画のメインだった「巨人、魔球、個人対個人」の路線と戦うのであれば、『ちかいの魔球』や『黒い秘密兵器』に対抗したと言ってもよさそうなものである。
『ドカベン』のスタートは1972年で、『巨人の星』の連載が終わった1971年の翌年、梶原一騎が『侍ジャイアンツ』『柔道讃歌』を手掛けていた時期であった。

また、水島氏は各種スポーツ漫画について、野球についてだけこだわっているだけのように見える。『ドカベン』を柔道漫画として観た場合、どうなのか。また、梶原一騎の『柔道一直線』『柔道讃歌』について「これでは柔道をやる人が出ない」と考えた人がいるかどうか。『あしたのジョー』について「これではボクシングをやる人が出ない」と判断して別のボクシング漫画を描いた人がいるかどうか。
『サルでもかけるまんが教室』では「麻雀を知らなくても麻雀漫画は描ける」としており、「経験がないと描けないなら推理小説の作家はみな『前科持ち』になってしまう」(要旨)と指摘している。
さいとう・たかをは『ゴルゴ13』『仕掛人藤枝梅安』を描いているが、まさか読者を暗殺者にしようとしているわけではないだろう。

昔、巨人への一極集中だったプロ野球の人気が、多極化に進んだのは、球界の努力もあるが、水島新司の功績もあるだろう。肖像権の問題があるが、球団は逆に水島新司に廣告費を拂ってよさそうなものである。大リーガーは漫画がスポーツにもたらす効果を理解できず、肖像権を理由に漫画から金を取る考えしか想いつかないのだろう。

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