野球漫画は「野球の学習漫画」なのかIII 

2009年の『週刊ベースボール』15(4・13号)でスポーツジャーナリストの鷲田康が「日の丸への誇りと情熱」という文を書いており、それによると原辰徳監督は野球が日本人にとって剣道や柔道のような武道のようなものであると述べたらしい。

 

梶原一騎の野球漫画はまさにそうであるし、水島新司の作品でも真田一球を野球を武士道で考え、中西球道はその名のとおり、球道を追い求めていた。

 

 

こうなると、野球漫画は先人のものを受け継ぎながら發展していることがわかる。しかも、「巨人中心の野球漫画」に対抗する勢力も『巨人の星』の終了まで待って初めて出現したことを考えると、『巨人の星』なくして『ドカベン』も『キャプテン』も存在しえなかったとは言えるだろう。それに、『巨人の星』と『侍ジャイアンツ』はその内容にアンチ巨人的な要素を含んでおり、巨人漫画から非巨人漫画への橋渡しの役割を果たしていた。

 

星飛雄馬の巨人入団と一徹の中日コーチ就任は、もともと巨人から追放された一徹による巨人への復讐であり、番場蛮は巨人を中から倒そうとした異端児であった。『侍ジャイアンツ』は「番場蛮のようがサムライのいない現実の巨人はつまらない」という批判とも解釋できた。それに対する反省は長嶋監督の時代にも続き、巨人が原監督の時代になって、日本代表としての「侍ジャパン」を生んだと言っても過言ではなかろう。

 

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09年5/11 5/12

野球の輸入国・日本における野球漫画 

注釋
『侍ジャイアンツ』では番場蛮が巨人をどう勝たせるかが重要に
左腕時代の星飛雄馬は王者巨人の中の生存競争に勝ち残るために野球をしており、「敵」は他球団のライバル以前に周りの巨人ナインであったが、巨人嫌いから巨人に入った番場は、かえって在籍期間の終盤になるとチームになじむことができた。巨人がVを逃した74年、番場の奮闘は納得できる。

 

豊福きこうは『水原勇気0勝3敗11S』で左腕・星飛雄馬、番場蛮、右腕・星飛雄馬を比較し、左腕・星は「栄光の巨人軍」を目指した「体制側」で、番場は74年当時の強者・中日を相手に下から奮闘できたのであり、星は右腕投手になって成長したと分析している。

 

そして、『新巨人の星』では75年の最下位長嶋巨人をどう浮上させるかが飛雄馬の課題となった。そこで76年に巨人に復帰した飛雄馬は初めてプロのチームプレーに徹することができたのである。

参照
野球漫画は「野球の学習漫画」なのかI

 

野球漫画は「野球の学習漫画」なのかII

 

巨人の星』(2009年5月~6月15日

 

野球漫画は「野球の学習漫画」なのかIII