JR東日本 全線完乗への道!その119〜期間限定「キュンパス」で北東北をひとり旅 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年3月、期間限定で発売されたJR東日本全線乗り放題の企画乗車券「キュンパス」で、その北東北の未乗線区を乗り鉄しようと旅した際の様子をお送りしています。




旅の第1日目(2024年3月11日)。
早朝に大阪を発ち、ピーチ機で上陸した東北。午前10時前に、ようやく「仙台駅(仙台市青葉区)」に辿り着きました。


ようやっと本題の期間限定フリーパス「キュンパス」エリア、つまり「JR東日本」管内にやって来た次第です。しかし、改札内外ともにたくさんの人。


仙台は、人口100万人を超える東北地方随一の大都会。大動脈の新幹線で東京までは最速90分ほどで到達することが出来ます。

ここが交通の一大要衝だということは「仙台駅」に集結する路線網を見るとよくわかります。東北で地下鉄があるのも、この仙台だけです。グーグル地図より。


さて、ここでまずやらねばならないことがあります。くだんの「キュンパス」の引換えです。


今日、明日の分を無事に発券出来ました。

購入はすべてネットでしたが、乗車券や付属の案内は、紙ベース。



これで、広大なJR東日本管内の全線を乗り降り自由です。どこまでどう乗れるのか。JR東日本ホームページより。


あらためて確認するのですが、この時点でのJR東日本未乗線区はというと、

○東北新幹線(とうほくしんかんせん)
盛岡~新青森間 178.4km
○大湊線(おおみなとせん)
野辺地~大湊間 58.4km
○津軽線(つがるせん)
蟹田~三厩間 28.8km

合計 3線区 265.6km です。


そして、一日(1枚)当たり2列車まで利用可能だという普通車指定席。この先、まずは岩手・盛岡に向かうことにしていましたので、予約をしていた分も引き取りしておくことに。

「仙台10時41分発、こまち11号秋田ゆき」が
乗りはじめ。盛岡まではわずか40分ほど。


しかしながら、モニターの座席指定表示を確認してみますと、北方面に向かう列車も満席に近いような状況。

混んでいても通勤電車並みに頻繁している「東海道・山陽新幹線」に慣れている身にしてみますとこれには驚きましたが、想像していたよりも「東北新幹線」は乗客は多いようです。


ほっとしたところで、改札を入ります。



東口からつながる東西通路に出ますと、カメラを構える人だかりに気づきます。フィギュアスケーターの羽生結弦さんが、昨日までここ地元の仙台でアイスショーをされていたよう。




そういえば、コンコース内のコンビニ店頭では羽生さんの特設コーナーが出来ているほど。


オリンピックや世界選手権などで大変な活躍をされ、国民栄誉賞を受賞された方、ということは言うまでもないですが、この広告を眺めているとおそらくはそのショーを見に来られたであろう外国人観光客から写真撮ってと幾度も声をかけられました。

こんなことわたしもはじめてです(汗)


さて、構内の様子に戻りまして、発車案内標を見てみます。
まずは「東北本線」上下線。白石(しろいし)は先ほど、機内から眺めた福島県境に近い街。

そして「仙石東北ライン」は、松島付近で「東北本線」に近接する「仙石線(せんせきせん)」に乗り入れるもの。これには乗ったことがあります。革新的な「ハイブリッド車両」でした↑
2017(平成29)年7月13日アップ。


そして、今回は乗らなかった「仙台空港アクセス線」。仙台駅から25分ほどで到達出来ます。

先ほども触れた「仙石線」は「東北本線」より海側を走り、名勝・松島にはこちらの方が便利なもの。東北地方のJRでは唯一、通勤形電車が走る都市型路線でもあります。



この東西通路の端から、長いエスカレーターがつながっていまして…


地下に発着しているのが「仙石線」です。
もともとは私鉄だったために、短距離に駅が設けられていたり、経由地が異なるなど、並行する「東北本線」とは違う特徴のある路線です。

余談ですが、かつて私鉄だった「仙石線」は「宮城電気鉄道(宮電)」という路線でした。
汽車が中心な中、宮電は近代的な電車で統一され、名勝・松島へのアクセスで「鉄道省(→国鉄→JR)」と覇を競うほどの私鉄路線でした。

これについては実に興味深い経緯があります。


…1925(大正14)年に開業した宮城電気鉄道の仙台駅は、省線の東北本線との交差のために地下駅として建設された。それに伴い、仙台駅に至る数百メートルの区間も地下路線となっていた。

この区間の開業は、日本初の地下鉄とされる東京地下鉄道(現在の東京地下鉄銀座線)開通よりも2年半早く、また郊外電車の地下乗り入れとしても神戸有馬電気鉄道(現在の神戸電鉄有馬線)の湊川地下線開通よりも3年早いものであった。出典①。


ということで、日本最初の地下駅は「東京メトロ銀座線」のそれではなく、この「宮電仙台駅」だったというのです。さらに大正期に開業していたというのですから、これには驚きます。

右正面が「鉄道省仙台駅」、左が「宮城電気鉄道仙台駅」。地下駅は両社の真下にあった。同。


国有化後も活躍し、後年に「ことでん(高松琴平電気鉄道)」に移籍した「元・宮電301形」。昭和27(1952)年、ことでんに譲渡。「2000形230号車」として運用され、平成11(1999)年廃車。

ことでんが「動く鉄道博物館」と呼ばれていたことがわかるエピソードです。出典②。


しかし、先の大戦に向かう中、陸上交通の国家統制を図る目的で施行された「陸運統制令」という法令(1940年2月)で、特定の私鉄路線の強制的な国有化が推し進められました。

そのひとつが「宮電」、つまり「仙石線」でした。合併は1944(昭和19)年5月のこと。以降は国鉄、JRと変わりつつ現在に至っています。


そして、山形に至る「仙山線(せんざんせん)」に、太平洋岸を南下する「常磐線」。

と、「特急ひたち14号 品川ゆき」と案内がなされているではないですか!


これは、ぜひ見ておかねば。

理由は後回しにして、6番線に向かいます。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「フリー百科事典Wikipedia#宮城電気鉄道」)

(出典②「同#宮城電気鉄道の電車」)