「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡る近鉄沿線道中記〜その45 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年6月に限定で発売された「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡った、近鉄沿線乗り鉄道中記をお送りしています。



まったくノープランだった第2日目(2023年6月14日)。大阪・鶴橋から「奈良線」で「生駒駅(いこまえき、奈良県生駒市)」へ。


そして、隣接する「近鉄生駒ケーブル 鳥居前駅(同)」にやって来ました。




関西では、数あるケーブルカー路線の中でも有名なもの。久々にこれに乗ろうかと思います。


あらためて「生駒ケーブル」は、大阪・奈良を分かつ「生駒山」を、奈良側から山上まで登るケーブルカーです。近鉄ホームページより。

路線図で見ますと、ふもとの「鳥居前駅」から「生駒山上駅」までひとつの路線に見えますが鳥居前〜宝山寺間(宝山寺線 0.9km)
宝山寺〜生駒山上間(山上線 1.1km)。
「宝山寺駅」を境に2路線で構成されています。


路線の経歴としては、
1918年(大正7年) 8月29日
生駒鋼索鉄道が鳥居前駅 - 宝山寺駅間を開業
1922年(大正11年)1月25日
大阪電気軌道が生駒鋼索鉄道を合併
1929年(昭和4年)3月27日
山上線 宝山寺駅 - 生駒山上駅間が開業

「鳥居前〜宝山寺間」は日本初のケーブルカー路線として開業したという歴史があります。「大阪電気軌道(大軌、だいき)」は現在の「奈良線・大阪線・橿原線」系統を建設した、近鉄の母体会社に当たります。出典①。


戦中は、不要不急線に扱われ「山上線」は営業を一時休止。「宝山寺線」も一部設備が撤去されるに至りました。


そして、戦後にそれぞれ再開。
「昭和32年に西信貴線」ともありますが、これも近鉄が営業するケーブルカー。生駒山地の南端、信貴山を西側から登る路線です。




現在では「西信貴ケーブル」と呼ばれるもの。こちらもどうぞ↑


「生駒ケーブル」は、山腹の「宝山寺(生駒聖天)」と言う江戸中期に創建された、商売繁盛に霊験あらたかなお寺への参拝や、生駒山上に造られた遊園地への観客のアクセスとして、古くから親しまれたケーブルカーでした。

パネルで展示されていたのは、山を登るたくさんの乗客を載せた、なんともレトロな車両。大正7年に開業した際の車両を、昭和初期に鋼製化したというものだというのですが…


晩年の姿がこれでした。
おらが街からは身近に足を運べる生駒山、ということで、このケーブルカーには幼少から馴染みがあります。写真を幾つか残していました。

ここからは、過去に乗車した際のショットもご覧ください。以下、1999(平成11)年7月、大学生だったブログ主撮影。



「いのり」という愛称が付けられた車両。翌年には引退してしまいました。

ゴツゴツした箱型の車体に、一燈のヘッドライト。実にかわいらしい顔つきですが、車体のあちこちで留められているリベットにも、なんとも味わいを感じます。



「ケーブルカー」ですので、山を登る便と下る便が同時に発車して、途中ですれ違います。先取りして「宝山寺駅」構内の展示パネルより。


そういったことで「いのり」のペアになっていたのが、この「めぐみ」。やはりこちらも、開業当時の車両に由来するものでした。


「生駒ケーブル」というと長年、この車両たちが主役を務めていました。車内も木造で、まるでタイムスリップしたかのようだったのですが、残念ながら写真には収めておらず(汗)



さらに、昭和30年代に入って「すずらん」という車両が入線。



「すずらん」と対になるのが「白樺」。
この2両は、6月に訪問した際にも現役でした。


次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「フリー百科事典Wikipedia#近鉄生駒鋼索線」)