今年6月限定!「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡る近鉄沿線道中記〜その7 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


今年6月に限定で発売された「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡った、近鉄沿線乗り鉄道中記をお送りしています。




旅の第1日目(2023年6月13日)。
ただいま「近鉄四日市駅(三重県四日市市)」です。大阪難波を始発の「特急アーバンライナー」で到着、8時20分を過ぎた頃。



コンコースから再びホームへ戻ってみますと、早くも次の名古屋ゆき特急が入線したところ。


県内北勢地域の中枢にあり、県庁所在地の津を凌ぐほど繁華な印象の「近鉄四日市駅」です。



では、この「近鉄四日市駅」とその界隈については…


全国47都道府県をテーマにした、シリーズもの「各駅停車全国歴史散歩25 三重県」(中日新聞三重総局編 河出書房新社刊 昭和56年10月初版発行 絶版)」から拾ってみることにします。




余談ですが、先日までお送りしていた「箱根・小田原へ家族旅行記」でも度々登場した、シリーズ書籍です。今回もお世話になります💦

2023(令和5)年3月、小田原城・大涌谷にて。



躍進する県下一の商店街

近鉄四日市・国鉄四日市


国鉄に間借りで出発

人口25万4000人(現在は約30万2000人)、県下最大の四日市市の表玄関が近鉄四日市駅である。一日の乗降客6万6000人(3万8000人、コロナ禍の2022年11月)。東海地方の近鉄線では名古屋駅に次いで二番目。



駅前には県下一の盛り場である諏訪栄町の商店街が広がり、駅西の西浦地区は開発途上。同地区から東の国鉄四日市駅まで幅70メートルの中央通りが走っている。



四日市の街は近鉄四日市駅とともに発展したようである。


最初の駅は近鉄の前身の一つ「伊勢電気鉄道(伊勢電)」が「海山道(みやまど、四日市市内。大阪方へ2つ目の駅)ー四日市間」2.7kmに電車を走らせた大正11年3月、国鉄四日市駅に間借りの格好でスタートした。線路は伊勢電のものだったが、乗降、改札口など客扱いは国鉄の手で行われた。



昭和4年1月、その駅から西へ鉄路を延ばし、諏訪栄町の一角に独自の「諏訪駅(注釈:現在の近鉄四日市駅東側にあった)」が造られた。(中略)


その後「諏訪駅」は近鉄の路線変更により昭和31年9月23日、現在地に移り「近畿日本四日市駅」と改称(注釈:現在の駅名「近鉄四日市駅」への改称は昭和45年3月)。



同時に国鉄四日市駅に同居の四日市駅と、そこへ大きく急カーブで迂回していたルートは廃止された。新・四日市駅の周囲は田んぼ。水田の真ん中にできた感じだった。以下写真出典①。

現在の「近鉄四日市駅」が地上駅で開業する直前の、線路が切り替えられる前の貴重な写真を見つけました。


奥の屋根がかかるホームが「四日市駅」。そのすぐ手前を、なんとも小振りな電車が直交しようとするところ。時代を感じる光景です。

これは路線規格が小さかった頃の「湯の山線」電車でした。画像右側(東側)にあった、くだんの「諏訪駅」を発着するもの。


先ほどの地図に、路線や駅位置の変遷を重ねてみます。趣味的には大変興味深い変化ですが、先ほどの写真は建設中の新駅北側から、白↓と向いて撮影されたものだとわかりました。



そういったことで、現在は「近鉄四日市駅」から分岐している「湯の山線」「内部・西日野線(現在の四日市あすなろう鉄道)」もかつては「諏訪駅」や、国鉄の駅前にあった「旧・近畿日本四日市駅」を発着していたのでした。



それが「新・近鉄四日市駅」新設に伴い、同時に駅位置も移動したことで、現在のターミナル駅へと変貌を遂げる結果になったと言います。



一方、急カーブで迂回した先に近鉄電車が乗り入れていた、国鉄駅に隣接していた「(伊勢電→近鉄)四日市駅」。

わざわざこちらに「近鉄名古屋線」の前身「伊勢電気鉄道」が駅を設けた理由はやはり、国鉄との接続を考慮したことが大でしょう。以下、2010(平成22)年8月、ブログ主撮影。


「四日市駅」が属する「関西本線」は、明治の開業以来、名古屋と伊勢・南紀、そして奈良・大阪(湊町。現在のJR難波駅)方面を結ぶ、重要な幹線としての役割がありました。



ところで現在では、京都や新大阪、今春に開業した「大阪駅(うめきた新駅)」から南紀方面へ運行される「特急くろしお号」。

しかし、1978(昭和53)年までの運行区間は「名古屋〜亀山〜新宮〜白浜〜和歌山〜天王寺」間。「関西本線・紀勢本線・阪和線」を経由し、紀伊半島をぐるりと周回するという、食堂車も連結されるほど格式の高い列車でした。


先頭車両の形状から「ブルドッグ」と諢名された、名車の呼び名高いディーゼル式特急「キハ81形」がその任に就きました。もちろん「四日市駅」にも停車するもの。

現在「京都鉄道博物館」で保存されています。


他にも、関西本線から草津線、東海道本線(JR琵琶湖線・京都線)などに直通する急行列車、さらに東京に直通する夜行寝台列車も設定されるなど、大幹線としての繁華さがありました。




しかしながら、市街地や繁華街、さらに鉄道の中心は1kmほど北の「近鉄四日市駅」へ移ってしまい、大変閑散とした佇まいです。



さらに、近鉄が新駅を設けた現在の繁華街周辺では、いまや誰もが知るあの一大スーパーが創業したことも知られています。続きます。


ジャスコ発祥の地

四日市は全国に271の店舗を持ち、年間5000億円を売り上げ、小売業界5位のジャスコ発祥の地。諏訪新道通りに店を出していたジャスコの前身・オカダヤが昭和32年4月、駅前店を現在のジャスコ四日市店の場所に出店。


いまさらながらですが「ジャスコ」とは現在の「イオン」です。いつもお世話になっていますが、四日市が発祥の地なのでした。




余談ですが、おらが街にはイオンは2店舗。

「布施駅(大阪府東大阪市)」駅前の複合施設に入る「イオン布施駅前店」が栄えているでしょうか。同じ市内でも、近鉄沿線は便利です💦


では、本文に戻ります。



昭和35年6月には四日市近鉄百貨店が開店するなど次々と商店が店開きし、商店街が形成された。そして諏訪新道に代わる繁華街へと発展、繁華街はまたも移動した。(後略、一部加筆修正)。


駅の所在地が移動するに連れて、最も人が集まる場所に繁華街が展開する、ということは、ある意味当然の道理なのかも知れません。


左端が「新・近鉄四日市駅」、右隣に「諏訪駅」。右端が「国鉄四日市駅」。近鉄は「諏訪駅」を出てしばらくして急カーブを切り、国鉄駅前に設けた「四日市駅」に接近します。


旧線が「新・近鉄四日市駅」真上(北側)を横切った先に「諏訪駅」。左側(東側)から「湯の山線」「内部・八王子線(現在の四日市あすなろう鉄道)」がこの駅に集結していました。


写真でご紹介した「JR四日市駅」と「近鉄四日市駅」の栄枯盛衰についてはこちらもどうぞ↑

2010(平成22)年夏訪問でしたので、もう13年も前のこと!四日市には、思えばそれ以来の訪問だと思い出しました。


そういったことで、これほどまでに発展している街中の駅、ということもあり「名古屋線」と「湯の山線」の高架化は、他のそれよりかなり早い時期の1974(昭和49)年6月。



かつては東京から夜行の直通列車が設定され、明治期から隆盛を誇った「国鉄(→JR)関西本線」と「四日市駅」。


しかし、単線非電化(昭和56年に電化)で駅数や列車本数も少ないのに対し、複線電化でこまめに駅を設け、名古屋・伊勢志摩・奈良・大阪方面へ早くて快適な特急が頻発する「近鉄」。



そうなると昭和30年代半ば以降から、名古屋〜伊勢・大阪方面への乗客は圧倒的に便利な近鉄電車にシフトするようになります。

国鉄からの乗り換えや、貨物の取り扱い(昭和34年まで「名古屋線」は国鉄と同じ軌道幅だった)を見込んでの迂回だったのでしょうが、スピードアップの他に、もはやそのような必要がなくなったことも、ルート変更や新駅設置の理由になったのでしょう。



現在では、海側の「四日市コンビナート」から生産される石油を運搬する貨物列車の方が、短い編成で運行される旅客列車より目立ちます。

市の中心駅が「国鉄→JR四日市駅」からこのように「近鉄四日市駅」へ移ったことには、ここまで掘り下げてみて合点が行きます。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「むかしのくらし読本4 四日市の昭和の鉄道」四日市市立博物館編・発行 2018年1月)