みなさんこんにちは。前回からの続きです。
今年6月に限定で発売された「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡った、近鉄沿線乗り鉄道中記をお送りしています。
コンコースから再びホームへ戻ってみますと、早くも次の名古屋ゆき特急が入線したところ。
県内北勢地域の中枢にあり、県庁所在地の津を凌ぐほど繁華な印象の「近鉄四日市駅」です。
では、この「近鉄四日市駅」とその界隈については…
全国47都道府県をテーマにした、シリーズもの「各駅停車全国歴史散歩25 三重県」(中日新聞三重総局編 河出書房新社刊 昭和56年10月初版発行 絶版)」から拾ってみることにします。
余談ですが、先日までお送りしていた「箱根・小田原へ家族旅行記」でも度々登場した、シリーズ書籍です。今回もお世話になります💦
2023(令和5)年3月、小田原城・大涌谷にて。
躍進する県下一の商店街
近鉄四日市・国鉄四日市
国鉄に間借りで出発
人口25万4000人(現在は約30万2000人)、県下最大の四日市市の表玄関が近鉄四日市駅である。一日の乗降客6万6000人(3万8000人、コロナ禍の2022年11月)。東海地方の近鉄線では名古屋駅に次いで二番目。
駅前には県下一の盛り場である諏訪栄町の商店街が広がり、駅西の西浦地区は開発途上。同地区から東の国鉄四日市駅まで幅70メートルの中央通りが走っている。
四日市の街は近鉄四日市駅とともに発展したようである。
最初の駅は近鉄の前身の一つ「伊勢電気鉄道(伊勢電)」が「海山道(みやまど、四日市市内。大阪方へ2つ目の駅)ー四日市間」2.7kmに電車を走らせた大正11年3月、国鉄四日市駅に間借りの格好でスタートした。線路は伊勢電のものだったが、乗降、改札口など客扱いは国鉄の手で行われた。
昭和4年1月、その駅から西へ鉄路を延ばし、諏訪栄町の一角に独自の「諏訪駅(注釈:現在の近鉄四日市駅東側にあった)」が造られた。(中略)
その後「諏訪駅」は近鉄の路線変更により昭和31年9月23日、現在地に移り「近畿日本四日市駅」と改称(注釈:現在の駅名「近鉄四日市駅」への改称は昭和45年3月)。

先ほどの地図に、路線や駅位置の変遷を重ねてみます。趣味的には大変興味深い変化ですが、先ほどの写真は建設中の新駅北側から、白↓と向いて撮影されたものだとわかりました。
そういったことで、現在は「近鉄四日市駅」から分岐している「湯の山線」「内部・西日野線(現在の四日市あすなろう鉄道)」もかつては「諏訪駅」や、国鉄の駅前にあった「旧・近畿日本四日市駅」を発着していたのでした。
それが「新・近鉄四日市駅」新設に伴い、同時に駅位置も移動したことで、現在のターミナル駅へと変貌を遂げる結果になったと言います。

「四日市駅」が属する「関西本線」は、明治の開業以来、名古屋と伊勢・南紀、そして奈良・大阪(湊町。現在のJR難波駅)方面を結ぶ、重要な幹線としての役割がありました。

しかしながら、市街地や繁華街、さらに鉄道の中心は1kmほど北の「近鉄四日市駅」へ移ってしまい、大変閑散とした佇まいです。
ジャスコ発祥の地
四日市は全国に271の店舗を持ち、年間5000億円を売り上げ、小売業界5位のジャスコ発祥の地。諏訪新道通りに店を出していたジャスコの前身・オカダヤが昭和32年4月、駅前店を現在のジャスコ四日市店の場所に出店。
いまさらながらですが「ジャスコ」とは現在の「イオン」です。いつもお世話になっていますが、四日市が発祥の地なのでした。
余談ですが、おらが街にはイオンは2店舗。
「布施駅(大阪府東大阪市)」駅前の複合施設に入る「イオン布施駅前店」が栄えているでしょうか。同じ市内でも、近鉄沿線は便利です💦
では、本文に戻ります。
昭和35年6月には四日市近鉄百貨店が開店するなど次々と商店が店開きし、商店街が形成された。そして諏訪新道に代わる繁華街へと発展、繁華街はまたも移動した。(後略、一部加筆修正)。
そういったことで、これほどまでに発展している街中の駅、ということもあり「名古屋線」と「湯の山線」の高架化は、他のそれよりかなり早い時期の1974(昭和49)年6月。
かつては東京から夜行の直通列車が設定され、明治期から隆盛を誇った「国鉄(→JR)関西本線」と「四日市駅」。
しかし、単線非電化(昭和56年に電化)で駅数や列車本数も少ないのに対し、複線電化でこまめに駅を設け、名古屋・伊勢志摩・奈良・大阪方面へ早くて快適な特急が頻発する「近鉄」。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「むかしのくらし読本4 四日市の昭和の鉄道」四日市市立博物館編・発行 2018年1月)