東大阪市民が巡る!NHK朝ドラ「舞いあがれ!」市内ロケ地を探索する〜その12 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。今日の話題です。




明日で、最終回を迎えるNHK朝ドラ「舞いあがれ!」。最終週までの感想については、項をあらためて取り上げようと思っています。

「舞いあがれ!」劇中で登場した、市内の各地を市民はしくれのわたしが巡り、そのエピソードを回顧しようということを、最後に行おうという企画の続編をお送りします。

前回は、主人公・岩倉舞(→梅津舞、福原遥さん)たちが住む、劇中では「大阪府東大阪市摘路町(つむじちょう)」のモデルになった街を訪問しました()。ヤフー地図より。

今回、取り上げるのは市内の北中部()。



第3週「がんばれ、お父ちゃん!」と、第16週「母と私の挑戦」編で主になった舞台です。こちらもどうぞ↑


「近畿自動車道」と「阪神高速13号東大阪線」が交差する「東大阪ジャンクション」付近で劇中に登場した、ロケ地巡りです。市役所展望台より。


まず、やって来たのは「JR鴻池新田駅」。


この一帯は、市内でも最北端に当たるところ。
駅の北側を流れる「寝屋川」を渡ると「大東市(だいとうし)」。さらに「大阪市鶴見区」との境界にも近いあたりです。

この駅には「JR学研都市線(片町線)」が発着しているのですが、地図のように、その北端を僅かになぞるように市域を通過しています。


市内の中心部を東西に縦貫し、多数の駅を設置している近鉄電車とは、また違う特徴があります。若江岩田〜河内花園間にて。



市の端っこと言えども、京橋や北新地、尼崎に直通していて、2つ先の「放出駅(はなてんえき、大阪市鶴見区)」では「うめきた新駅」に乗り入れが始まった「おおさか東線」に接続。

庶民的な雰囲気を残しながらも、利便性が高いこの鴻池新田一帯です。



さて、この駅の北側には「近鉄バス」が発着しています。「河内小阪駅(近鉄奈良線)」へ向かう「15号系統」という路線です。


市内を南北に走るということで、東西軸の「OsakaMetro中央線」や「近鉄けいはんな線・奈良線」の各駅に加え、市役所や府立中央図書館なども経由してくれるという、なかなか便利な路線です。


しかし、利用客がかなり減っているようで、近年ではさながらローカル路線並みの本数になってしまいました。わたしが小学生の頃など、15分か20分おきにあったのですが。


これに乗り込むところから、今回のロケ地巡りはスタートします。




10分ほどで「機械団地」という停留所に到着。
バスを降りますと、なんともどでかい倉庫の白い壁面が。住宅の類は見当たりません。



ここは「大阪機械卸売団地(機械団地)」と呼ばれる一帯(先ほど降りたバス停は)。市役所や府立中央図書館も近いところです。



名前通り、工業用機械や金属加工会社、さらに「舞いあがれ!」作中のメインテーマになっている特殊ねじを製造する工場や、卸会社などが集積しています。


奥に生駒山を控えるこのあたり、昭和30年代後半までは、ひたすら田畑が広がる農村地帯だった地域。


1970(昭和45)年の大阪万博を期して、周辺に高規格の「近畿自動車道」や「府道大阪中央環状線」などが開通したことから、隣接して「東大阪トラックターミナル」も整備されました。

今日では、東部大阪の一大物流拠点です。



その「機械団地」が劇中に登場していました。


それも、舞と父・浩太(高橋克典さん)が時を経て同じような境遇を味わうという場面です。




それでは、実際に現地を歩いてみることにします。まずは、先ほど降り立った「機械団地」バス停から西方向へ。


長年、取り引きしていたねじ卸業者から、次々契約を打ち切られ、窮地に陥った社長の浩太。「株式会社IWAKURA」になる前の「岩倉螺子(らし)製作所」だった頃(1994年)です。



それでも、どんな小さな仕事でもやらせてくださいと、卸会社の担当者に食い下がるシーン。


その浩太が、幾度も足を運んでいたのが「カワチ鋲螺(びょうら)」という、この会社。


モデルになったのは、ここに拠点を複数構える「コノエ」さん。このあたりでは老舗だというねじ卸業者さんでした。



この「ねじ」と大書きされた特徴のある字体の看板、一発でわかりました。

というのも、ここからすぐ近くのガソリンスタンドが安いのを数年前に知り、わざわざ入れに行くために、いつもこの前を通るので(笑)



それはさておき、機械団地の中を歩く浩太。


このあたりですね。左側の紺色をした鉄扉と、背後の一時停止看板からわかりました。「コノエ」さんはこの左背後です。



「カワチ鋲螺」の担当者・森本(森本竜一さん)らから、製造の引き受け手がなかなか見つからない、特殊ねじ製造の案件があることを知った浩太。

これをぜひやらせてほしい、と依頼します。



これまで、定形のねじしか製造したことのなかった浩太の工場。初めての「特殊ねじ」製造に苦心しますが、これの製造に成功します。


おかげで、会社は窮地を脱することに。これをきっかけにして「岩倉螺子製作所」は「株式会社IWAKURA」に拡大した…という経緯でした。




それから15年経った2009(平成21)年のこと。リーマンショックの影響で会社が経営危機に陥り、挽回に奔走する中で、父・浩太が急逝。

さらに、パイロットの内定が一年延期になり、
悩みに悩んだ結果、浩太が遺したこの工場を建て直すため「株式会社IWAKURA」に新入社員として入社した舞。23歳の頃でした。


舞は、先輩社員の藤沢(榎田貴斗さん)とともに営業担当をすることになります。



浩太と同じく、舞が足を運んだのは「カワチ鋲螺」の森本さん。


先ほど、浩太が歩いていたのと同じ場所。
ちょっと一筋遠いのですが、背景に見える他の事業所の、茶色枠の窓でわかりました。




舞が入って行く「カワチ鋲螺」と「コノエ」さんの玄関。劇中の方は社名の看板をあたらしく拵えてのことでしょうか。ただ、こちらの事業所機能は移転している模様。敷地外から撮影。



この頃の舞は、営業の経験はおろか社会人としての経験さえありませんでした。
ただ、自社製品のことを研究し、必死に食い下がる姿は、実に浩太そっくりだなと感じます。

次回に続きます。

今日はこんなところです。