開業100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」を巡り信貴山へ その14 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年5月で開業から100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」。


大阪・奈良府県境を成し、古くから霊峰として崇められていた「信貴山(しぎさん)」へ向かった鉄道網にまつわる歴史に触れるべく、現地を巡った訪問記をお送りしています。



トップ画面は「京阪電車」、それも京阪特急のダブルデッカーなのですが、本題とは深い歴史上でつながりのある話しをしています。

仔細につきましては、過去記事をどうぞ↑

「近鉄生駒線」と「旧東信貴鋼索線」を開業させた「信貴生駒電鉄」という会社が、実は現在の「京阪交野線」に当たる区間も建設していた、ということについて、項を割いています。


そういったことで、くだんの「交野線」始発駅「枚方市駅(ひらかたしえき、大阪府枚方市)」にやって来ました。

近年、木をモチーフにして構内を大改装。流行りの自然志向なテナントや人気のショップも入るなど、これは魅力的なものです。



「交野線」はこの駅、南側の5・6番線に発着していました。早速、コンコースからホームに上がってみます。



すでに「私市ゆき(きさいち、同交野市)」ゆきが発車待ちをしています。

線名の「交野」といい終着駅の「私市」といい全国的に見ても、なかなかの難読地名です。



かつては、大阪市内へ競合する「JR学研都市線(片町線)」に対抗して、京阪本線に直通する「準急」や「快速急行」の設定もあったのですが、現在は4両編成のワンマン普通列車が行き来するのみです。



ほどなく発車。10年ほど前に、車両は新型のものばかりに統一されました。


グーグル地図より。
「京阪電車 交野線」は、大阪・京都両都市の中間に当たる「枚方市駅」を起点に、北河内地域を南東方向へ、生駒山地の入り口に近い「私市駅」までを結ぶ、全長6.9kmの支線です。

主に大阪方面への通勤路線と化していますが、
自然豊かな沿線、ハイキングや行楽客の利用も多いという路線です。「いちご狩り」や「芋掘り」というと、一昔前は私市がメッカでした。


本題になりますが、開業から信貴山への参拝客輸送に勢力を拡大しようとしていた「信貴生駒電鉄」の計画を顧みますと、同社が敷いた路線の位置関係は、このような感じになります。

「枚方市〜私市間」は「京阪交野線」。
「生駒〜王寺間」は「近鉄生駒線」。


そうなりますと、残るは「私市〜生駒間」
もしこの区間が開業していたら「枚方〜私市〜生駒〜王寺間」が直結していました。

南北軸の鉄道が少ない大阪近郊では、北河内と奈良県北部とを結ぶ、貴重なネットワークになっていたはず…なのですが。
計画がありながら、なぜにこれが途切れてしまったのか、についてはまた後日項にて。


さて、電車は直線区間をスピードを上げて快走して行きます。同じ「信貴生駒電鉄」が建設した「生駒線(現在の近鉄生駒線)」とはだいぶ様相が異なります。



生駒山地が近いとはいえ、路線が敷かれているのはその入り口に当たるところまで。
河内平野の北東端に位置するこの周辺、勾配も少なく、平坦なところゆえの路線形態の違いです。



「河内森駅(同交野市)」に到着。





大阪方面へ競合する「JR学研都市線(片町線)河内磐船駅(かわちいわふねえき、同)」との乗り換え駅です。こちらには快速列車も停車するので、お客さんの大半が降りて行きました。



その「河内森駅」を発車。そうしますと、車窓には急に緑が増えて来ました。




枚方市からは15分ほど、住宅地と田畑が混淆する沿線を淡々と走り、到着したのが終着の「私市駅」です。これで「きさいち」と読みます。


住宅開発が進行しつつある先ほどの「河内森駅」までとは異なり、ここは昔からの大きな邸宅が多いところ。閑静な終着駅です。


さて、幾度も繰り返しておりますが、かつてここから府県境を越えた「生駒駅」まで路線が延びるはずだった「私市駅」。

もちろんというか、車止めがあったりしますので終着駅ならでは、という雰囲気なのですが…


それでは、この駅をさまざま探索してみることにいたします。


次回に続きます。

今日はこんなところです。