開業100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」を巡り信貴山へ その13 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年5月で開業から100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」。


大阪・奈良府県境を成し、古くから霊峰として崇められていた「信貴山(しぎさん)」へ向かった鉄道網にまつわる歴史に触れるべく、現地を巡った訪問記をお送りしています。



本題の「近鉄生駒線」と「旧東信貴鋼索線」を建設したのはローカル私鉄「信貴生駒電鉄」


開業以来、その最大の目的であったのは「信貴山朝護孫子寺(しぎさん ちょうごそんしじ)への参拝客輸送」。


https://ameblo.jp/kyle-of-lochalsh/entry-12746897201.html 


そのために、大阪のみならず京都方面からの需要をも見込んで、現在の「京阪電車 交野線(かたのせん)」をそのルートの一部として建設していた…という、驚きの史実がわかりました。生駒にて。



そうなりますと、その「交野線」にも乗ってみないと気がすまぬということで、これとはまた別の日に「交野線」乗り鉄をして参りました。

近鉄電車の記事ですが、ここからはしばし京阪電車の話題に移ります。なにかしら、往時をしのばせるものを見つけられれば良いのですが。


さて、やって来たのは「枚方市駅(ひらかたしえき、大阪府枚方市)」。
大阪・京都の中間に位置し、旧京街道「枚方宿」が置かれていたことや、ごぼう汁や酒などの屋台を載せ、淀川を行き来する舟の客に売る「くらわんか舟」で知られる歴史ある街です。

京橋からは、京阪特急で20分弱のところ。



この駅から分岐しているのが、くだんの「交野線」。「信貴生駒電鉄 枚方線」として、1929(昭和4)年7月に「枚方東口(現在の枚方市)〜私市間」が開業したのがはじまりです。



京阪本線のホームから、交野線への乗り換えには階下のコンコースを通ります。なんとそこで見つけたのが、伊勢志摩方面へ誘う近鉄特急の広告。結構、以前からあるものです。


なお絶大な人気を誇る観光特急「しまかぜ」ですが、京都府との境に近いここ北河内地域では目的地にもよりますが、近鉄電車に乗るには「鶴橋駅(大阪市生野区)」よりも「丹波橋駅(京都市伏見区)」の方が至便なようです。

その「しまかぜ」も、京都発着の便もありますので、乗るのには悩みどころでしょうか。


いったん改札を出ます。京阪電車好きのはしくれとしましては、おなじみの駅南口です。


その東側には、なんとも斬新なデザインのビルがあります。「枚方T-SITE」です。

「Tポイント」や「TSUTAYA」で知られる「カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)」の本店が、創業地に近いここにあります。



実はその「T-SITE」が出来る前には、ここに「近鉄百貨店 枚方店(←枚方近鉄百貨店←丸物百貨店枚方店)」がありました。「近鉄時刻表2003年号」より。



私事にわたりますが、わたしのおかんは枚方出身なので、夏休みや正月にその実家に遊びに行くと、年上のいとこやおじさん、おばさんたちにこの屋上庭園や「ひらかたパーク」へよく連れて行ってもらった、という記憶があります。

いまは、すっかり様相が変わりました。


さらにこの頃、近鉄の西側には「三越」も店を構えていたので、その賑やかさがわかります。



まだ、京阪本線も交野線も地上駅だった、昭和末期の頃の、懐かしく楽しかった思い出です。
2021(令和3)年開催「枚方ビオルネ」期間限定イベント「みんなの思い出ひらかたり」パネル展示より。



現在では、流行の発信地として活況を呈している「T-SITE」。幼少に見て体験したものと姿形は変わりましたが、早速、ここで「近鉄」とのつながりを再発見した次第です。


次回に続きます。
今日はこんなところです。