開業100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」を巡り信貴山へ その15 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年5月で開業から100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」。


大阪・奈良府県境を成し、古くから霊峰として崇められていた「信貴山(しぎさん)」へ向かった鉄道網にまつわる歴史に触れるべく、現地を巡った訪問記をお送りしています。




「京阪電車 交野線(かたのせん)」終着駅の「私市駅(きさいちえき、大阪府交野市)」にやって来ました。


本題の「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」を建設した「信貴生駒電鉄」というローカル私鉄が、その一路線としてこの「京阪交野線」も建設していたということで、訪問している次第です。


前回の記事でも触れましたが、結果的にはこの先、生駒(奈良県生駒市)への延伸はなされぬまま路線は途切れ、それぞれ「近鉄」「京阪」の両路線として今日に至っています。グーグル地図より。


そういったことで、1929(昭和4)年7月に「信貴生駒電鉄 枚方線」として開業以来の終着駅。

線路の先には車止めが鎮座していますが、ではこの駅と、その周辺の様子を少し探ってみることにします。


頭端式(とうたんしき、行き止まり)の構内にはホーム二面。
いずれからも階段や緩いスロープを降りますと、フラットに改札口が目の前にあります。

構造自体は開業した時から変わっていないものですが、このように古い構造の方が断然、バリアフリーだという例は、実はよく見かけるものです。


改札を出ます。三角屋根のおしゃれな駅舎は、交野線が全線複線化された1992(平成4)年9月に全面改築されました。

平成に入ってようやく全線複線化というあたりそれまでは古い平屋の、まさにローカル線の終着駅という佇まいのものでした。


それでは、ここからが今項の本題です。
くだんの三角屋根駅舎から、道路をはさんで南側に進みますと…



グーグル地図より。北が下です。
公園と言いましょうか、広場があります。


「私市駅前広場」と呼ばれているものですが、京阪電車の名前が告知看板に記されています。どうやら、京阪所有の土地のようです。




広場自体は、どこにでもありそうななんの変哲もない公園です。しかし…


地図を拡大してみますと、この広場、南北に長細い敷地になっています。
それも、行き止まりになっている先ほどの線路を広場へそのままトレースしますと、すんなり南方向へと延ばせそうな


それでは、実際に駅構内からたどってみることにします。行き止まりになっている車止めの先には、駅舎の壁面。



その壁をぶち抜いた先の、真反対には改札口。
勾配や、目立った建築物はありません。



駅前の道路を進むとくだんの「駅前広場」へ。


広場の南端から駅舎を望む。趣味的に考察するとこの不自然さ、これは気になる構造です。


グーグルには航空写真という便利な機能がありますので、これに切り替えてみますと、その意味合いがよくわかりました。同じく、北が下。

駅舎南側の駅前広場、それに続くあたらしい建売住宅。隣り合う昔からの住宅と比べますと、
家屋の大きさが異なっていることや、さらに、広場同様、南北に細長い敷地にこれらが建てられていることがわかります。


実はこの細長い広場と、それに続くあたらしい建売住宅の敷地は、前身の「信貴生駒電鉄」が開業時からあらかじめ用意していた、私市から生駒へ延伸予定の路線敷地だったのでした。


「枚方市〜私市間」と「生駒〜王寺間」を先んじて建設した「信貴生駒電鉄」。
残すはここまで述べて来た「私市〜生駒間」。

引き続いて、グーグルの航空写真からその路線が延伸されるはずだったルートを見てみます。
私市と生駒は、直線距離では20kmも離れてはいません。ただ、路線の拡大を続けていた「信貴生駒電鉄」が、なぜこの区間の建設をしなかったのかというところ。


その要因というのは、私市を出てまもなく差し掛かる「山岳地帯」でした。
現在で言いますと、延伸予定区間をトレースしているのは「国道168号線」。この一帯、急峻な山々にはさまれ、あちこちで大きいカーブを取りながら進んでいます。

大阪・京都の府県境から、奈良県北部にかけて南北に長くそびえる「生駒山地」。
このあたりはその北端部に当たるのですが、標高も急に高くなります。必然的に、連続勾配も予想される区間で、直線で敷こうとなると、長大なトンネルの掘削も必要になります。


「ほしだ園地」という、大阪近郊では人気のハイキング地を過ぎますと、ようやく予定線は平坦な区間に差し掛かります。

ただ、現在は住宅開発が進んでいるこのあたりも、山地が延びる丘陵の地でした。
府内の交野市から、四條畷市(しじょうなわてし)に移るあたりですが、本題の「信貴生駒電鉄」や「大阪電気軌道(大軌、現在の近鉄奈良線)」開業して以来、現在も直接乗り入れる鉄道がない、いわゆる「鉄道空白地」です。


その先で奈良県に入り、ようやく生駒が近づいて来ます。大阪方面へのベッドタウンとして、住宅密集地と化しているあたりですが、山を切り拓き、大規模な造成が行われたのは昭和30年代も終わりに近づいた頃でした。



大阪・奈良・京都の3府県が近接する「信貴生駒電鉄」が延伸を目論んだ「私市〜生駒間」。

結果的に、開業最大の目的であった、目指す霊峰「信貴山」を構成する「生駒山地」に阻まれる形で、路線の延伸計画が頓挫してしまったという史実は、なんだか皮肉な話しのように感じた次第です。




現在は、大阪方面への通勤輸送が主になっている「交野線」。わずか7km弱を、普通列車が行き来するのみになってしまいました。




今日では、期せずしてまったくなんのつながりもない両線になった訳ですが、開業最大の目的であった「信貴山への参拝」ということが、当時は実にそれが一般庶民の大きな関心事だったのだなと、「信貴生駒電鉄」の壮大な計画を鑑みるに、感慨に耽ってしまいます。


あれこれと掘り下げますと、まさに「事実は小説より奇なり」という言葉を想起してしまった「私市駅」と「交野線」でした。

次回に続きます。
今日はこんなところです。