みなさんこんにちは。前回からの続きです。
福岡県「筑前・筑後」を巡るひとり旅、初日は「大牟田駅(おおむたえき、福岡県大牟田市)」駅前でレンタサイクルをお借りして、ユネスコ「世界文化遺産」に登録されたかつての「三井三池炭鉱」関連史跡を巡っています。
山あいにあるかつての炭鉱跡を後に、今度は一気に「有明海」沿いにある「三井三池炭鉱 三川坑(みかわこう)跡」へとやって来ました。
こちらも、この地域一帯では主力の坑道で、さらに平成に入っても操業を続けていた「海底坑道」として知られていました。
「世界文化遺産」関連史跡には登録されてはいないのですが、稼働当時の面影をふんだんに残す、貴重な遺産だとのこと。
ところでこの「三川坑跡」には、趣味的にも大変貴重なものが展示されています。
それがこの「炭鉱電車」。
先日の記事でも触れましたが、この一帯に点在していた「三井三池系炭鉱群」を結節し、産出された石炭の運搬を担っていた「専用線」で使用されていた「三井三池オリジナル」の電気機関車たちです。
専用線の廃止(昭和59年)から35年あまり経過した現在ですが、貴重な遺産である車両たちが、このようにまとまってきれいな状態で保存されている、というのは素晴らしいことだと思えます。
この「三川坑」閉山後に、点在して保管されていたものを、全国からの寄付でこちらに一括して移設、整備の後公開に至ったのだとのこと。
では、こちらに保存されている「三井三池炭鉱専用線」で長年、活躍した電気機関車たちを拝見して行きたいと思います。
まずはこの「B形5号」車両。実に独特な顔つきをしています。
製造は、なんと「明治41(1908)年」。
「アメリカ・エレクトリック社製」ということで、外国製です。
この当時日本では、電気機関車の製造技術はまだまだ進んでおらず、自国での製造が難しかったため、この車両と言わず全国では、海外から輸入されたものが主力でした。
当時の主力幹線だった「東海道本線」ですら、電化は昭和初期(並行していた現在の「京浜東北線」は大正期に電化されていたものの)のことでしたから、相当な最先端の技術が導入されたあたり、この「三井三池炭鉱」が重要な存在だったことを窺わせます。いずれにしろ、貴重な機関車です。ちなみに、運転室へは窓から出入りしていたそうです。興味深いですね。
続いてはこちら。凸形の小柄な機関車です。
「B形1号」という電気機関車です。
「ドイツ・ジーメンス社製」ということで、こちらもやはり輸入機関車です。
製造は「明治41(1911)年」ということで、先ほどの「B形5号」と同じく、日本の電気機関車の黎明期に導入されたものですが、この頃からは、車体デザインも洗練されたものになって来たようです。
車体側面には「三井」のマーク。
屋根上のパンタグラフも、普段良く見かけることのある菱形のものが搭載されるようになりました。
これが青色に塗装されているのは「三井三池炭鉱専用線」の機関車の特徴のようです。
目に留まったのは、運転台横の「田」形をした窓ガラスです。
珍しいなあと思いつつ、はて、どこかで見たことがあるなあと、ふと考えたのですが…
そう、これでした。滋賀県の東部に路線を延ばす「近江鉄道(おうみてつどう)」で保存されていた、旧・国鉄から払い下げられた電気機関車の側面窓に似ています。「ED14型」という、大正末期に登場した形式です。
その大正末期になりますと、国産での電気機関車の登場が進んだ頃で、一部の主要な幹線では電化が進み、一気に電気機関車の活躍の幅が広がった頃のことです。こちらは、ちょうどその時期にデビューしたもので、晩年になってから、地方の中小私鉄へと払い下げが行われたという経緯があります。車体の形状はかなり異なりますが、時代背景としては合致しているように感じます。
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当ブログ
「ガチャコンまつり2017」と近江鉄道・信楽高原鉄道を巡る日帰り旅 その4(2017年6月17日アップ)
https://ameblo.jp/kyle-of-lochalsh/entry-12477844468.html
この古典電気機関車が保存されていたのは、同線の「彦根駅(滋賀県彦根市)」構内の「近江鉄道ミュージアム」という施設でした。
ただ残念なことに、車両の老朽化や諸々の事情で、施設を運営することが困難なことから最近になって閉鎖されてしまい、保存されていた機関車たちも、解体の憂き目に遭ってしまいました。
余談になりましたが、そういった経緯もあるがゆえに、これほど貴重な車両群がまとまって、それも美しい姿で保存されているということには、趣味的に大変興奮を隠せません。日本の鉄道史にとっては、すごい車両ばかりです。
次回に続きます。
今日はこんなところです。