ミノックのアセンション哲学 -6ページ目

ワンネスと個性

ワンネスという境地に至ると、個性が無くなるとか自分が無くなると怖れる人がいるようなので、記事にしたいと思います。


はっきりと言って、ワンネスの境地に至っても個性は無くなりません。


我々の個々の波動は、例えるなら音のようなものです。


調和的な人間関係は、それぞれの放つ波動が和音となって心地よいメロディーを奏でるようなものです。


ですからワンネスとは、個性の無くなる世界ではなく、それぞれの個性を尊重しあい、お互いに引き立て合う境地と言えます。


分離して二極化している文明では互いが反発しあい、不協和音を発しているような感じです。


そういう不協和音を聴いているから、気が滅入ったりストレスが溜まったりするのでしょうね。


オラの想い描くアセンション後の世界は、人だけでなく虫や動植物・地球そのものの波動で綺麗な讃美歌が聞こえてくるような世界です。


そういう世界を毎日空想していると、イメージがリアルになっていき、
現実世界でも植物たちの奏でるメロディーが聞こえてくるような気がします。


たとえ大量の放射線を浴びて肉体が朽ちようとも、
明日の食料が尽きようともオラの内側の世界は消える事はありません。


これは誰にでも同じです。

皆さんの心の世界は誰にも何にも壊される事はありません。


何があっても、それは自分に許可して変化させているだけです。


心の世界は常に自由である事を思い出して下さい。


それを理解すると、他人の言動に振り回されなくなっていきます。


そして、自分の内面の自立に目覚めたなら、少しずつ調和的な生き方ができるようになるでしょう。


その先にワンネスの世界があります。



まずは心の世界の想像(創造)です。


『今』という現実を嘆くよりも、『今』の自分の内側にアセンション後の世界を創造して下さい。


それが多くの人とシンクロした時に、世界はメロディーを奏でるでしょう。

労働の在り方

多くの地球人にとっての労働は、ツラいというイメージが強いと思います。


出来るなら働きたくないというのが本音ではないでしょうか?


自分の望んだ仕事をして、日々楽しみながら働いている人は非常に少ないでしょう。


幸せを得る為に苦労しなくてはいけない。
という幻想を抱いている限り、いつまでも苦労しなくてはいけない現実を引き寄せてしまいます。


平等という名の教育の元に、個性を抑え込まれて、自分の才能に気付けないまま大人になり、
お金の為にやりたくもない仕事を繰り返す毎日にうんざりしませんか?


お金を生み出すために、騙し合いや奪い合いの競争に加担している事に気付かない人もたくさんいるでしょう。


それらの事は広い宇宙の中でも、奇妙な文明なのだと気付いて下さい。


調和的な文明では、それぞれの人が個性を尊重しあい、自分の才能を活かして望んだ仕事をします。


望んだ時に望んだ仕事をする。
それはすでに労働ではなく、趣味のようなものです。

ですから働かない人を非難する事もありません。


労働に対する賃金も必要ありません。


必要なモノは必要な時に全て無料で手に入るからです。


未来に対する不安も無いので、溜め込んだり所有・独占する必要もありません。

誰も所有しないので、盗まれるという概念もありません。


貯金も保険も存在しません。


お金が存在しないので、大量生産・大量消費もありません。


当然、ゴミ問題もありません。

全てはリサイクルか自然に還せる素材しかないからです。


皆さんはそういう文明ではお金が無いのに、何故働く人がいるのか不思議ではないでしょうか?


それは、個人が尊敬すべきグループの一員である誇りを持っているからです。


例えば、F1のフェラーリというチームがありますが、レースで優勝したとして、レーサーを褒め称えてしまいがちです。
ですがF1はレーサーだけで勝てる競技ではありません。

メカニッククルーやマシンのデザイナーやスポンサーなど、見えない所で働いている人々がたくさんいます。


優勝するには一人として手抜きをする人はいないでしょう。


たとえ目立たなくても、裏方の人々は優勝に貢献できた事に歓喜するでしょう。

そこには利益とは関係ないワンネスの悦びと誇りがあります。


調和的な文明での労働はそれと似たような感じです。

全ての人が、自分にしか出来ない裏方の仕事に誇りを持っています。


そうやってお金が無くても世界は回るのです。


こういうビジョンを日頃から描いていれば、
いろいろな崩壊や変化も受け入れていけるでしょう。

次の時代で必要ではない物やシステムが自然淘汰されていくだけなのだと知るでしょう。


我々が意識を変えるためのきっかけとして、価値観を変化させるスイッチとして、様々な事が必然に起きているだけだと分かるでしょう。


出来るなら自然な流れで変化変容したいものですね。


すでに変化の歯車は回っています。


ワクワクしながら変化を楽しみましょう♪

お金の支配からの脱却

なかなか脱・原発が進みませんね。

でもそれは仕方がない事です。


原発に土地を誘致してしまった地方自治体は多額の交付金に魅せられているのですから。


原子炉を1つ建設するだけでかなりの交付金を貰えます。

しかしいっぱい貰えるのは、原子炉稼働後数年までです。


ですから次々と二号機・三号機と増えていきます。

それに雇用の問題もあります。


原発を誘致した地方自治体はお金のために脱・原発出来ない状態にあります。


ですから国から「原発停止しても、これまで通り交付金を払いますから原発停止に協力して下さい」という確約無しには原発停止に積極的になれないのです。


それから次世代エネルギーですが、これまた雇用の問題などで公表出来ない状態にあります。


すでにフリーエネルギーやクリーンエネルギーの技術は各国持っているでしょう。


しかし石油資本や原発資本はそれらを認める訳にはいきません。


甘い汁が吸えなくなるからです。


それにフリーエネルギーが出回ったら、倒産してしまう企業が大量に発生してしまいます。


我々の資本主義の社会ではエネルギーが有限であるから、利益が発生してお金が回るのです。


お金に執着している人々にとっては、フリーエネルギーなんて『悪』そのものでしかないのです。


ですから、脱・原発のためには、お金の支配する社会システムから脱却する必要があるのです。


ですが、我々は自らお金を捨てる事は出来ません。


お金が無ければ生活できないシステムに生きているからです。


ならば、強制的にお金が支配するシステムが崩壊するしかないでしょう。


実質的に金融はほとんど崩壊しているようなものですが、
騙しだまし何とか維持していますね。


でも金融崩壊は修正不可能な状態に陥っています。


微妙なバランスでもっています。


もしも金融崩壊したら、世界はパニックになるでしょう。


しかし、そういう時にこそフリーエネルギー等が陽の目を見るタイミングでもあります。


オラの推測ではそろそろ金融崩壊が始まるのではないかと思います。


その時、お金が紙切れに、高価な美術品がガラクタになる恐れがあります。


たかが紙切れのために、奪い合いや殺し合いをしてきた事に後悔するでしょう。

もしもお金がある日突然紙切れになってしまったら、皆さんは略奪をしますか?それとも物々交換や分け与えをしますか?


考えてみて下さい。


もしも明日お金が紙切れになってしまったらを・・・

「金があれば何でも出来る」は「金が無ければ何も出来ない」という事になります。


この広い宇宙でお金が支配する惑星文化は極めて少ない、いやほとんど無いと知って下さい。


我々地球人は宇宙でも稀有な存在なのです。