旅行、美術館、書評 -14ページ目

33年ぶりのルノワールの裸婦像

決め手は「ボールを当てた跡」があったことだとか。
確か、ムンクの作品のときは「ふきけした際に飛散したローソクのカス」
だった。  
BSジャパンの番組「ムンクを奪回せよ」のサイトのギャラリーもよくできている。




ミレイ ユグノー教徒


中央の作品は先日、Bunkamura で鑑賞したけれども、やはり左の作品の実物を観てみたい。
また、歌劇『ユグノー教徒』は19世紀でももっとも大きな成功を収めたオペラのひとつだとか。

左 《ユグノー》(サン・バルテルミ祭の日に、ローマン・カトリック教徒を装って
   身を守ることを拒絶するあるユグノー教徒)
 《ブラック・ブラウンズウィカー》

これら「イデオロギーの違いより引き裂かれ、板ばさみになった男女」の2作に続く作品
 《どうかご慈悲を 1572年サン・バルテルミの虐殺》

*ユグノー(Huguenot):16-17世紀 フランスにおける改革派教会(カルヴァン主義)
ドイツ語では、Eidgenosse(アイトゲノッセ、盟友の意味)と言う。
当時のプロテスタントは
カトリックなどから蔑視されており、同様な蔑称に
ネーデルラントのゴイセン、イングランドのピューリタンなどがある。
ユグノーも元々蔑称であった。

送信者 art



『オランダ・ハーグより』  第201回 http://ryumurakami.jmm.co.jp/
「バビロンに帰る」 より

バブルに例えられるアメリカ経済の衰退を、「これはプロテスタントとカトリック
の違いなのさ
」と論じたオランダ論壇の説明があって、わたくしはちょっとおもろし
く思いましたが、そこから本日のお話を始めましょう。

そもそも資本主義の精神は、キリスト教におけるプロテスタントとピューリタニズ
ムの精神にバックアップされているのだという社会学者マックス・ウェーバーの議論
がありますが、新約聖書のマタイ伝だったかな、イエスが行った説教の中にタラント
の喩えという話がありますな。タラントは当時の貨幣単位であるが、あるとき主人が
僕(しもべ)たちにお金を預けて旅に出るのです。

5タラントを預かった僕はさっそくそれを商売・投資にまわし、5タラントの収益
を上げる。だが、1タラントを預かった僕は、危険を避けてオカネを壷の中にしまっ
たままにしておく。しばらくして主人が旅から戻るのですが、最初の僕は「ご覧下さ
い。わたしはお預かりしたお金を投資して二倍にしました」と報告し、主人によく
やったと褒められる。そして二番目の僕も自慢げに「ご覧下さい、ご主人様。わたし
はあなたのオカネを無事そのままに管理してきました」と告げるのです。

だが、主人は2番目の僕に向かって「怠惰な僕よ。そんなことならわたしはお金を
銀行に預けておくべきだった。帰ってきてわたしは利子とともに元金が受け取れただ
ろうに」と言い、彼を追放してしまうのです。

つまり、資本主義とはオカネを寝かせていてはダメで、オカネは働かせ続けなけれ
ばいけない、それがプロテスタントの精神
と言うのです。

反対に、とこのオランダ評論家は続けるのですが、カトリックはそんな厄介なこと
は考えない
。オカネは銀行に預けっぱなしにして利子で満足するか、消費に精を出
す。だから、カトリックの国(フランス、スペイン、イタリア・・・)ではバブル経
済が破綻するなどということは起きないのだと言うのです。

随分雑駁な議論だが、わたくしはおもしろく聞いた。

「かくて歴史は始まる」渡部昇一著 第二章 啓蒙君主・信長の遺産 より

フランス革命は、市民対貴族という階級対立の構図が一般に定着しているが、
それだけでは一面を理解したにすぎない。
この革命の槍玉に上がったのは、「第二身分」とされていた貴族ばかりでなかった。
「第一身分」とされた聖職者、いわゆる僧侶も当然のことながら厳しい追及や
弾圧にさらされた。

では、なぜこの革命において、俗人の宗教攻撃が起きたかを説明するためには、
フランス革命の思想的母体である、啓蒙主義の解説をせねばなるまい。

「フランス革命は啓蒙主義が産んだ革命である」とは、よく言われる言葉だが、
ヨーロッパ人がその啓蒙主義を抱く発端となった体験は、16,17世紀の
宗教戦争であった。

カトリックとプロテスタントの宗教対立と、国家同士の政治的対立が結びついて、
ヨーロッパは分裂し、一世紀以上もの間、戦火が絶えるとうこともなかったのであるから、
その意味では、双方に無益な戦争であった。


お互いに完全に疲れ果てるところまで戦った結果、ヨーロッパ人が得た結論とは
もう、政治や軍事には宗教は持ち出すまい」という反省であった。

これがドイツの30年戦争(1618 - 48年 )に決着をつけたウェストファリア条約の
モットーである「君主の宗教は領民の宗教」の意味である。

そしてこの啓蒙主義を追求していった結果、ヨーロッパ人は政治から宗教を排除
するには、従来の政治形態を改良するだけでは不可能だということに気がついたのである。

そこで、ヴォルテールやルソーといった啓蒙思想家が、社会契約論などの新しい
政治理論を打ち出すに至った。

・・・
一向一揆に至っては、一向宗という信仰集団が大名を追い出して、領地を支配しようと
いうのであるから、これほどの政治的宗教はなかった。
信長はこれを激しく嫌ったのであり、こうした教団を潰すのには何の手心も加えなかった。
まさに、啓蒙主義的発想といえよう。

ミレイ マリアナ





シェイクスピア「尺には尺」

テンニンス
「濠をめぐらした
 屋敷のマリアナ」

ハリーポッターもこうした
伝統があってこそですね。

















         Esther_(Millais_painting)













































ミレイ 大工の仕事場


聖母の表情が明るくないのが驚きとともに不評をかった、とうい作品
少年、洗礼者ヨハネの描きかたもきになる。

送信者 art



ミレイ エステル


イエスの足に香油を塗り、自分の髪で拭いたベタニア村のマリアから、
中国からの見事な黄色い上着の借用に機会を得て、エステルに。

勇敢さと狡猾さが見事に描かれている。




http://en.wikipedia.org/wiki/Esther_(Millais_painting)



サブプライムと人種差別


せっかくのアメリカ的仕組みも「金融工学」によって破壊されてしまった。

せっかくの家から追い出されるの大変だと思いますが、めちゃくちゃに家を壊してでていくケースがあるとかで、これはなんだかさらに悲しい。

『from 911/USAレポート』第374回「金融危機とオバマ、マケイン」
http://ryumurakami.jmm.co.jp/

アメリカの多くの州では、州法の規制によって「住宅ローンが破綻した場合は、担保の住宅を差し出せば、債務からは解放される」という制度(ノンリコースローン)があります。

ですから、ローン破綻の時点で担保に入れていた住宅価格が大きく下落していても、その差は借り手に来るのではなく、差し押さえた銀行に損となってかぶさってくることになります。

もう一点だけ申し上げたくなってしまう問題があります。
それは、住宅ローンにおける人種差別の問題です。

長い間、黒人やヒスパニック系の人々は、住宅購入にあ
たってのローンを組む際に有形無形の差別を受けてきました。

この「有色人種はローンを借りにくい」という差別を解消するために、アメリカ社会では官民挙げての様々な取り組みがされてきました。
その中の一つが信用度の低い人々には、政府系の金融機関が保証をするというシステムです。ファニーメイとフレディーマックという政府系の金融機関がその一翼を担ってきました。



ブッシュ政権とキリスト教福音派



いま、Google で「ブッシュ」とタイプすると「福音」補完される。
それでみつけた mp3 ファイル。

「ブッシュ政権とキリスト教福音派」、NHKラジオ夕刊
小原克博 2006/12/18 カテゴリ:05 テレビ・ラジオ
http://www.kohara.ac/

さすがに大学の神学部の先生の話は詳しく、わかりやすい。




ファニーメイとフレディマックと台湾

マッカーサーがなぜ原爆を使いたいと思ったのか。
渡部昇一氏の著書にはちょっと偏りも感じられますが、やはり指摘は鋭い。
さて満州、ウィグル、チベットにつづき、台湾、朝鮮となるのか。

北京は米住宅債券の購入を続けるかどうか、場合によっては再び揺さぶりをかけるだろう
株式日記と経済展望


「借金をチャラにしてあげるから台湾をよこせと言うだろう。どうせドルが紙切れになるのなら、そのように取引したほうが得だからだ。」

「かくて歴史は始まる」渡部昇一著 より

1950年6月、朝鮮戦争が勃発した。
そのとたんにマッカーサーは、戦前の日本が心から恐れた北からの脅威の意味が分かったのである。
共産軍の侵攻を放置すれば朝鮮半島が取られる。朝鮮半島が取られれば、日本が危ない。
そこで彼は全力を挙げて、朝鮮半島を守ろうと決意して戦った。

戦いはじめてマッカーサーがすぐに気がついたのは、
ソ連や中国がバックに控えた北朝鮮軍と戦う場合、
朝鮮半島だけを考えては勝てないということであった。

勝つために補給基地となっている満州を空襲しなければならない。
また東シナ海に面した中国の港を海上封鎖しなければならないということは明白であった。
そこでマッカーサーは戦争中、その考えをトルーマンに大統領に進言したが、これは拒否されてしまった。

トルーマンが、ソ連との原爆戦争に突入することを恐れたからであった。

そのため、マッカーサーは朝鮮半島を守りきることができず、アメリカは北緯38度線から北を敵に渡して、休戦協定を結ばざるえなかった。

帰国後、上院で演説したとき、マッカーサーが「日本の戦争は侵略戦争というよりは、自衛の戦いであった」
と語ったのは、まさに彼の実感からでた言葉であった。
つまり、「自分が戦ってみて分かった。ソ連の脅威がなければ満州事変は起こらなかった」ということである。







ソニーを買収したかったとホリエモン


ホリエモンこと堀江氏の語りはさすがにおもしろい。

ただ、自身の言葉「Googleの思想はむしろ,プログラマとしてはスマートではないんです」が
示すように、ソフト技術者の考え方がネックとなってしまっていた。

Google の一見泥臭いような運用技術も生命を意識した設計者にはとても興味深いのだろう。



沈黙を破ったホリエモン,ITを語る より
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Interview/20080910/314505/?ST=ittrend&P=1

理解されなかった「通信と放送の融合」

どう考えても,将来はテレビを見る時間がどんどん減っていって,それがネットに移っていくわけじゃないですか。

だからテレビそのものは,さほど興味はありませんでした。ただ,それを言い過ぎるとテレビ側の人たちが面白くないだろうと考えたので,それを声高には叫ばなかったのです。

“iPhoneをやるため”にソニーを買収したかった

ソニーが魅力的だったのは,音楽と映像のコンテンツを保有していること。それにオーディオ機器やモバイル,有機ELなどの技術。金融商品もあり,FeliCaの技術もある。逆にいらないと思っていたのは,大型テレビなどの家電製品で,中国の家電メーカーに売却するつもりでした。


ライブドアの技術力はGoogleに負けていない

Googleが世界一になれたポイントは何だと思いますか。

PageRankのロジックをベースとした検索エンジンを発明し,それを広告事業と結びつけることができたからだと思います。

そういう発想ではダメだと思うんです。
Googleが秀でていたのは,検索エンジンに対する考え方です。Googleというのは「インフラ屋」,あるいは「サーバー屋」なんですよ。つまり,いかに安くサーバー機を調達し,そのサーバーを大量に置けるデータセンターを構築できるかというところに注力したことです。広告ビジネスで重要なのは,いかに速く検索結果と広告を表示できるかというスピードです。僕はGoogleが成功した真の理由は,そこにあると思います。

規模の拡大と共にサーバーの台数を増やしていった方が効率的だし,スピードも速いに決まっている。

では,それをやればよかったのではないですか

 自分でもなぜそれをやらなかったのかは今でも分からないのですが,おそらく,こだわりすぎていたんだと思います。自分がダメなプログラマであるというコンプレックスが邪魔をして。プログラマはサーバーを1台増やしたから速くなったというところではなく,自分のプログラムによって速くなったと言いたいところがあるんですよ。そうじゃないと,誰も誉めてくれませんし。Googleの思想はむしろ,プログラマとしてはスマートではないんです。


逆にGoogleは大した技術力があるとは思っていません。優秀なプログラマが大勢いる会社というよりも,泥臭い技術力の会社だと思います。まあ,こんなことを言っても「負け犬の遠吠えだ」と言われてしまうのがオチですが。


今のIT業界は,「技術屋」ではなく「コンテンツ屋」が活躍する時代

ただ,このままだとITの基盤はすべてGoogleやAmazonのようなクラウド・コンピューティングを提供する企業に奪われてしまう恐れがあります。

 もうそうなっているから,しょうがないんじゃないんですか。何かまずいことでもありますか。



天候神バアルと大蛇イルルヤンカシュの闘い

天候神と大蛇(イルルヤンカシュIlluyankas)の闘い
 蛇は大地の神
 天候神バアル
 アブラハムの宗教により消されていく。

天候神バアルでの検索は興味深いものがヒットする。



送信者 art



龍の文明太陽の文明 安田善憲著 PHP新書より

覇権主義から環境主義

太陽を選んだ日本人

日本の天皇のシンボルは龍ではない。このことの持つ重要な意味は、
日本が覇権主義に立脚した龍をシンボルとする北方の畑作・牧畜民、漢民族の軍門に
下らなかったということである。それは日本民族にとってはまことに幸運だった。
龍は弥生時代後期以降、日本列島に伝播し、王権の誕生にも一役かった。
さらに仏教の伝播とともに広く日本人の心をとらえ、龍に対する信仰は、神道にも
受け入れられた。八大龍王をはじめ、龍は日本人の守り神であり、幸運を呼ぶ神となった。
なによりも稲作農業を行なう上で必要な水神、雨をもたらす嵐の神としての性格を
強く持つようになる。
しかし、天皇のシンボルにはなれなかった。
それは日本の王権が、龍をシンボルとする畑作・牧畜民の文明の系譜でなく、
太陽と鳳凰をシンボルとする稲作・漁撈民に文明の系譜を強くもっているためであった。

龍は日本にやって来てから、覇権主義の龍から環境主義の龍へと変貌するのである。


西洋文明とトラゴン
麦作農業の起源も稲作農業と同じく1万年以上前までさかのぼる。
しかし、麦作農業の誕生した西アジアは冬雨地帯であり、夏は乾燥し、乾期と雨期の
違いが明瞭である。年降水量も稲作農業地帯にくらべると二分の一以下であり、稲作
農業地帯のように大洪水にたびたびみまわれることはない。

西洋の稲作農業は古くから牧畜と密接不可分の関わりを持ってきた。
この牧畜民の文化は西洋のドラゴンを生み出した。しかし、西洋のドラゴンの運命は、
東洋とはまったく対照的だった。


東洋の稲作農業が灌漑農業である、川との関わりはきってもきれいない関係にあったのに
対し、西洋の麦作農業の多くは天水農業であり、灌漑よりも自然の降雨に頼る農業の
やり方であった。

メソポタミアの5千年前のマリ遺跡からは、しめ縄のようにからみあった二匹の蛇を
飾り付けた台座がみつかっている

メソポタミアの境界石などにはm角を持った蛇が彫像されている。これは一撃の下に
人を倒す砂漠の毒蛇の恐ろしさ力に対する畏敬の念のあらわれである。
こうした蛇信仰うぃ背景に、バビロニアのイシュタル門のドラゴンの顔はまさにこの
角のはえた蛇である。


メソポタミアでも蛇信仰やドラゴンが存在した、
またエジプトのコブラを神とする蛇信仰は、エジプト文明の根幹を形成する
世界観であった。
続くギリシアやローマ文明においても、蛇信仰はさかんだった。
あの白亜のパルテノン神殿の中にも生きた蛇が飼われていた。
女神アテナは蛇巫女であったとみなされている。
またギリシア神話にはドラゴンがいくつも登場する。それらのドラゴンには羽が生えて
いるものもある。羽の生えたドラゴンは、西洋独自のものである。
しかし、こうした西洋の蛇やドラゴンは人間と対決し、人間の姿をした神によって
退治される運命を担わされるようになる。そのドラゴンを退治する神とは天候神である。

フェニキアの都市ウガリット遺跡から出土したウガリット文書には、天候神バアルが、
海神ヤムと闘い、いったんは敗れるが最終的には妹あるいは妻アナトの助けをかりて
海神ヤムを退治する物語が書かれている。
この海神ヤムとは七つの頭を持つ大蛇で海の王子、地下水の支配者であった。
天候神バアルの勝利は、海や地下水の豊饒性に対する天水の勝利を意味した、
古代地中海世界の人々が大地の豊饒性を支配しているのは、天から降ってくる雨で
あることを確認したあかしであった。

同じようにギリシア神話においては天候神ゼウスは巨人族ギガンテスやテュポンと闘い
これを退治する。ギガンテスは上半身は人間だが、下半身は二匹の蛇の姿をしていた。
テュポンもまた蛇の怪物であった。

http://en.wikipedia.org/wiki/Gigantes
http://www.bibelwissenschaft.de/wibilex/das-bibellexikon/details/quelle/WIBI/zeichen/c/referenz/15897///cache/9d97442e21/


なぜ西洋はアニミズムを拒否するのか

3千年前頃、ヒッタイト帝国が崩壊した後のネオヒッタイト時代の遺物に興味深いものがある。
それは天候神バアルが大蛇イルルヤンカシュと闘っている彫像だ。

http://nl.wikipedia.org/wiki/Teshub
http://ja.wikipedia.org/wiki/イルルヤンカシュ


さらにシリア Syria のアレッポ Aleppo 博物館には
バアル神は、左手に角のある大蛇の首をしっかりとつかまえて、
右手で斧を持ち上げ、今にも振り下ろそうとしている。
この彫像はユーフラテス河畔の町テルクファからみつかったもので、紀元前885年頃のものと
みなされる。
蛇は大地の神、豊穣の神の象徴で、多神教を代表する神であった。この大地の神・豊穣の神の
象徴であった蛇を退治する天候神バアルの彫像はいったい何を物語るのであろうか。
こうした彫像が出現する背景には、3千年前頃の気候悪化が、大きな影響を及ぼしたのではないか
と私は指摘した(拙著『気候が文明を変える』岩波科学ライブラリー)。


そしてこのドラゴンを神の座からひきづりおろすのに決定的な役割を担ったのは、
砂漠の牧畜民の中で誕生したキリスト教だった。本来乾燥地で生活する牧畜民は、
川との関係が希薄だった。川を龍に見立てて畏敬するような発想は、牧畜民には
なかった。その砂漠の牧畜民の世界観を強烈に体現しているキリスト教のもとでは、
ドラゴンは邪悪のシンポルであり、退治されるべき運命を担わされた。
ドラゴンを殺すキリスト教の聖者こそ自然を支配する人間の勝利のシンボルであり、
キリスト教以外の異教を駆逐するシンボルであった。
このためキリスト教支配の下、麦作農業地帯では森は畑や牧草地に変えられれ、
徹底的に破壊された。森が破壊された後には人間と家畜のみの世界が誕生した。
このドラドンを退治する世界観は、
(1)自然支配の世界観
(2)異なりものとの対決と不寛容
(3)直線的な終末の世界観
(4)森の徹底的破壊と家畜以外の生物存在の拒否
を現代に伝えている。


森を嫌ったキリスト教 http://joumon-juku.jp/mori&hito/061.html


遊牧民ヘブルの神ヤハウェは唯一神であり、一方バールの神は、農耕にかかわる多くの神の上に立つ主神である。唯一神には並び立つ他の神は不要であり目障りであって、当然抹殺すべき憎っくき敵であった。

カインとアベルの抗争は、農耕文化=カナン文化と遊牧文化=初期のヘブル文化との争いをあらわしていると解釈できる



エリヤと旧約聖書のおはなし(1)http://schneidtbach.web.infoseek.co.jp/Elias&OT01.htm

年月が経つ間には平和的交流も武力衝突もあったことでしょう。ともかくカナンに定着した人々は徐々に増えてカナン人を押しのけまた融合していきましたが、遊牧から農耕に移っていくにつれ、ヤハウェ信仰から地元に根付いていた農耕に関わりの深いバアル神への信仰へ傾いていきます。
 この頃の類型がこれです。 民衆がバアルを信仰する。
              →ヤハウェの怒りが軍事的敗北という形で降りかかる。
              →人々はヤハウェに助けを求める。
              →ヤハウェ信仰にしっかり立つよう説く指導者(預言者)が現れる。
              →敵を制圧しイスラエルに平和が訪れる。
              →平和が続くとまたバアル信仰が起こる。
              →………    これが延々と繰り返されます。