ファニーメイとフレディマックと台湾 | 旅行、美術館、書評

ファニーメイとフレディマックと台湾

マッカーサーがなぜ原爆を使いたいと思ったのか。
渡部昇一氏の著書にはちょっと偏りも感じられますが、やはり指摘は鋭い。
さて満州、ウィグル、チベットにつづき、台湾、朝鮮となるのか。

北京は米住宅債券の購入を続けるかどうか、場合によっては再び揺さぶりをかけるだろう
株式日記と経済展望


「借金をチャラにしてあげるから台湾をよこせと言うだろう。どうせドルが紙切れになるのなら、そのように取引したほうが得だからだ。」

「かくて歴史は始まる」渡部昇一著 より

1950年6月、朝鮮戦争が勃発した。
そのとたんにマッカーサーは、戦前の日本が心から恐れた北からの脅威の意味が分かったのである。
共産軍の侵攻を放置すれば朝鮮半島が取られる。朝鮮半島が取られれば、日本が危ない。
そこで彼は全力を挙げて、朝鮮半島を守ろうと決意して戦った。

戦いはじめてマッカーサーがすぐに気がついたのは、
ソ連や中国がバックに控えた北朝鮮軍と戦う場合、
朝鮮半島だけを考えては勝てないということであった。

勝つために補給基地となっている満州を空襲しなければならない。
また東シナ海に面した中国の港を海上封鎖しなければならないということは明白であった。
そこでマッカーサーは戦争中、その考えをトルーマンに大統領に進言したが、これは拒否されてしまった。

トルーマンが、ソ連との原爆戦争に突入することを恐れたからであった。

そのため、マッカーサーは朝鮮半島を守りきることができず、アメリカは北緯38度線から北を敵に渡して、休戦協定を結ばざるえなかった。

帰国後、上院で演説したとき、マッカーサーが「日本の戦争は侵略戦争というよりは、自衛の戦いであった」
と語ったのは、まさに彼の実感からでた言葉であった。
つまり、「自分が戦ってみて分かった。ソ連の脅威がなければ満州事変は起こらなかった」ということである。