あなたのココロの
パーソナルトレーナー。
真理カウンセラーの
かとちゃんです。

朝のコーヒーを片手に、
ふと「思う」ことってありませんか?
この「思う」という言葉、
なんとなく当たり前に使っているけれど──
実は、とっても奥深くて、
日本語独特の“味わい”をもっています。
「考える」は、アタマの仕事。
いわば左脳を使って、
分析したり、計画を立てたり、
答えを探すこと。
「感じる」は、カラダの仕事。
右脳を通して、
今ここにある空気や温度、
あるいは心の奥に
ふわっと浮かぶ気持ちを受け取ること。
じゃあ、「思う」って
なんなんでしょう?
ボクが思うに(あ、使っちゃった)、
それは「考える」と「感じる」をつなぐ、
《橋》
のようなものなんじゃないかなって。
たとえばこんなことがある。
「本当は行きたくないけど、
行くべきだと思ってる」
このとき、
アタマは「行け」と言い、
カラダは「イヤだ」と感じる。
その両者の真ん中に立って、
「で、ボクはどうしたい?」と
「考え」「感じる」のが
「思う」という行為なのかもしれません。
心理学では、この
“自分の思いに気づき、
それに一致して生きること”を
「自己一致」といいます。
カール・ロジャーズという
心理学者が提唱したこの概念は、
「内側の体験(感じ)」と
「外に見せる自分(考え)」のズレ
をなくしていくプロセスです。
つまり、「思う」とは、
自分という存在の
“ほんとう”に近づいていく作業
なのだと思います。
これを英語で表そうとすると、
ちょっとややこしくなります。
「考える」は think
「感じる」は feel
「思う」は…?
実は、英語には「思う」に
ピッタリくる単語がないんです。
(まあボク英語ネイティブ
でもないんで知らんけど)
だから状況によっては
think(考える)、
feel(感じる)、
believe(信じる)、
suppose(推測する)
などを使い分けなければいけない。
これって、
文化の違いでもあります。
欧米は物事を
「分けて」「はっきりさせる」文化。
善か悪か、正しいか間違いか、
白か黒か、アナタかワタシか。
だから論理はとても発展したけれど、
「あいまいさ」は苦手。
一方で日本語は、
「間」や「余白」、
「なんとなく」や、「和」
を大切にする文化。
“感じながら考える”という、
まさに「思う」という
営みが根付いている。
だからこそ、
ボクたち日本人は、
「自分はどう思うか?」
と立ち止まる力を、
本能的には持っているんだと思います。
その思いには、
正解も間違いもない。
ただそこに、
自分の
「今」と「選択」
があるだけ。
で、最近思うのは(また使った!)
このみんなの「思う」が
「Think(考える)」に
傾き過ぎてるってこと!!!
それってそんなに
考えて白黒つけなあかんこと?
それって
そんなに「すべき」と
はっきりさせな
あかんことなんかな?
今日、
Thinkに傾きすぎたアナタは
ちょっと立ち止まって、
あらためて
こう問いかけてみてください。
「ワタシは、どう感じる?」
そして
「ワタシは、どう思う?」
一度感じてみて、
そして思ってみる。
その営みの中に
アナタという
存在の“調和”が、
生まれくるはずです。
最近、
思って(考えて感じて)いたことを
今日は言葉にしてみました。
こーいう哲学的なことを
さも分かってるぽく語ること
オジサン好きやねんな。
誰かとこーいう話したいわ(^ω^)
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