「境界線」と「無関心」 | 【ココロと友達】大人の自己肯定感を育てる専門家かとちゃん

【ココロと友達】大人の自己肯定感を育てる専門家かとちゃん

うつや病気で休職3回を経験。今は心理カウンセラーとして優雅に生きるかとちゃんが、「自己肯定感の育てかた」をお伝えしています。

◆ かとちゃん公式メルマガ ◆

現在までに1700名の方にご登録いただいてます!!
『自分自身と仲直りして優雅に生きる』
 ご登録は⇒コチラ

 

 

あなたのココロの
パーソナルトレーナー


心理カウンセラーの

かとちゃんです。

 

 

 

人間関係で悩み多き人というのは

 

「人との精神的な境界線」が

 

引けてない人、なんですよね。

 

 

「あの人はあの人、私は私」

 

ってことです。

 

で、この境界線を引くには

「私は私」と思える必要があるので

自己肯定感=自分軸が必須なのですが

 

近しい人との関係性の中では

この境界線をどう引いたらいいのか

わからなくなってくるってのが人情って

ものです。

 

 

たとえば

 

「子どもは子ども、私は私」

 

と線を引くことは

子どもの「精神的自立」のために

とても大切なことなのですが、

 

じゃあ線を引いたら

それは、まったくなにもしてはいけないのか?

手を出しても口を出してもいけないのか?

助けてあげてはいけないのか?

 

これって

境界線の話をすると

よくされる質問です。

 

 

まあ、こう書いてみると

そんなことないじゃろう、と思うと思うんですが

 

線を強く引きすぎれば、それは無視、無関心

みたいな話になりそうだし、

やりすぎたら放任でネグレクトみたくにもなる。

 

じゃあどこまで介入してもいいのか?

そもそも介入って言葉がやりすぎな気もするし

みたいな。

 

 

じゃあどう「境界線」を保ちながら

近しい人に接していったらいいのか?

 

 

そんなことを

オンラインサロンにいただいたご質問に

お答えしました。

 

 

☆『「境界線を引く」は「無関心」ではない』(約14分)

 

 

 

 

 

境界線と無関心、介入

境界線と依存

 

などなどお話ししてます。

 

 

 

まあ

自己肯定感が育ってくるにつれ

境界線感覚も一緒に育ってきますので

結局は「自分から」になりますけどね。

 

 

よかたら見てみてください(^ω^)

 

 

 

 

 

 

かとちゃんの情報はメルマガを中心に発信しています。
 無料カウンセリング、セミナーなどの先行案内などございますので、ぜひご登録ください。飽きたらソッコー解除できます。「人生が変わった」「気軽に読めてめっちゃ役に立つ!」と評判です!

かとちゃんの無料メール講座・メルマガはコチラ ↓↓↓↓

ダウン誰もがうっかり自信マンマンになってしまう
メール講座終了後は以下のメルマガに自動移行します
 
【心理カウンセリング受付中】
アナタが自分自身と仲直りして、自由に楽しく生きられるサポートをしています。「お悩み」「問題」「ステップアップしたい」なんでもどうぞ(^ω^)
   お客様の感想は → コチラ
 お申込み・詳細は → メルマガで募集しています