【コミュ障とは何の障害なのか】
あなたのココロの
パーソナルトレーナー
心理カウンセラーの
かとちゃんです。
『ココロのことを学んでいると
「手放す」とか「受け入れる」とか
聴くのですが、どっちなんですか?』
おお、なるほど。
こんなご質問をお受けしましたので
お答えします。
「手放す」と「受け入れる」って
反対の言葉ですよね。
だから言葉だけで捉えちゃうと
こんがらがっちゃうかもしれん。
たとえば「劣等感」について書いてみる。
①劣等感を手放しましょう
②劣等感を受け入れましょう
あともうひとつ
③劣等感を克服しましょう
ってよく言うよね。
だからこれも足してみる。
「劣等感」て他人と
「比較」して、「自分はダメだ…」と
落ち込むことで起こります。
で、「比較」してるから
ダメな自分を
”強く” して相手より ”上の立場” になること”で
「③克服」しようとする。
これが
そもそも「比較=下である自分はダメ(自己否定)」
という思考の中にいる
自己肯定感低い人たちの考えと行動デス。
”強く” なって”上に立って”も
さらに強い人、
上には上がいる、
だから
「もっと強く、もっと上へ」行かないと
自分が認められない!
そうやって
今の自分ではダメだ、という
【自己否定】をずーーーと続けていく
「もっともっと地獄」に
ハマっていく。
だから、「克服思考」では
この「比較」という世界から抜け出せず、
劣等感という悩みからは
解放されないのです。
で、「①劣等感を手放す」、とは
「比較」して【自己否定】する
という概念自体を「手放し」てみよう、
ということになります。
比較しなくても
そのままの自分でよかったんだー
と【自己肯定(自己受容)】していく。
一方「②劣等感を受け入れる」、とは
劣等感を感じちゃうのも
しょうがないよねー。
だって「比較」ばかりされる環境で
育ってきて、どうしても人とくらべて
劣ってるって感じちゃうんだもんねー
と、
そんな自分を「受け入れ」てみよう。
「受け入れて」みると、
もっともっと地獄、からちょっと抜け出せて
「ま、しょーがないか」
「小さいころ近所の子とばかり比べられてたもんな」
「でも、自分は自分でしかないよな」
と思えてくる。
ってことで、
これも【自己肯定(自己受容)】なのです。
「手放す」と「受け入れる」は
相反するものではなくて、
コインの表と裏みたいなもの。
【自己肯定(自己受容)】というものを
違う方向から表しているだけ。
「克服」する、ってのは、
【自己否定】がベースで、
これが「手放し、受け入れ」とは
反対の考え方、ということです。
とはいえ「③克服」って言葉も
【自己否定】でなく【自己肯定(自己受容)】
から発せられているのであれば
それは同じ意味になります。
ココロのことについては
さまざまな言い方をされて
真逆のことにそれぞれ真理があって
話がニワトリかタマゴかの
パラドックスになりがちなのですが
その言葉が
「自己否定」の面から発した言葉なのか
「自己肯定(受容)」の面から発した言葉なのか
発している人が
「恐れ・危険」から「他人軸」で話をしているか
「安心・安全」から「自分軸」で話をしているか。
というだけのことなのです。
言葉に惑わされない。
いつもお伝えしてるように
「自分にOK出せてるかな」
「今の自分でOK」
と思えているかどうかだけが、
答えなのです(^ω^)
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