【不登校児の母】
自分はどうだったのさ?
自分を振り返る。
自分は、何を我慢していた?
自分は、何を言いたかった?
■中2
出欠席のようす | |
---|---|
授業日数 | 239 |
病欠 | 47 |
遅刻 | 74 |
早退 | 2 |
■中3
出欠席のようす | |
---|---|
授業日数 | 229 |
病欠 | 43 |
遅刻 | 43 |
早退 | 0 |
「不登校児童生徒」とは、「なんらかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」と定義しています。
引用元:不登校の現状に関する認識(文部科学省)
定義上、
年間30日以上欠席すると、
不登校になりえる
私の場合、
こんなに休んでいたけれど、
病欠扱いになっているので、
「不登校」にはならなかった。
しかし、日数的には、
十分に、不登校状態だ。
入院していたわけでも、
通院していたわけでもないのだ。
学校がいやだったわけではない。
むしろ、
生徒会活動は充実していたし、
英語も好きだったし、
作文も好きだったし、
特別活動させてもらうのも、
嬉しく、誇らしかった。
勉強もできなかったわけじゃないし、
友だちとも、
トラブルがあったわけじゃない。
何も問題ないように見える。
それでも、この欠席数!
誰にも責められた記憶がない。
学校に行けと言われてない。
(記憶にないだけかもしれない)
一応、病欠扱いだから、学校からは、
体調管理という面からは注意を受けた。
が、
わたしを「不登校」だと考える人は、
いなかったと思われる。
やることやって、
成績はそれなりによかったこと。
これが、一番の、
「大目に見られていた理由」だろう。
でも、それで、
救われていたのだと思う。
あの時、
学校を休むことを、
許されていなかったら、
わたしは、
不登校になっていたのではないか?
としみじみと感じる。
休ませて貰えたから、
行くときは行けたのだ。
そして、
行くときは行けたから、
「問題視」されなかった。
不登校扱いにならなかった。
また、休みか!
まったくあいつは!
仕方のないやつだ
と、
怒られはしても、許されてきた。
疲れてた。
肉体的にも精神的にも。
疲れてた。
ただ、それだけだった気がする。
ただ、休みたかった。
ただ、それだけだった気がする。
息子に置き換えてみても、
頑張ってきちゃった。
無理をしてきちゃった。
疲れちゃった。
そこは、同じだと思う。
わたしは、
中学生であんなに休んでも、
高校にも行けたし、
大学にも合格した。
それなのに、
「学校を休むこと」
自分が親になってみたら、
いけないことと見做してた。
自分は休んでたのにね。
なんでだろう?
わたしは、
わたしの母親よりも、
母親としての、
自分の評価を気にしていた。
ということだ。
きちんとした母。
ちゃんとした母。
しっかりした母。
正しい母。
悪く言われない母。
漠然とした
「いい母親」になろうとしてた。
まずは、
罪悪感から解放されること。
そうしないと、
いくら休んでも充電できない。
なんだかんだ言いながら、
この9カ月、
(2018年6月時点)
息子には、
「頑張るな」と言いつつ、
わたしも、
すごく頑張ってきちゃった。
不登校児に寄り添う母親。
不登校をなんとかしようと努力する母親。
お子さんに真摯に向き合ってますね、
と言われるような母親。
諦めない母親、投げ出さない母親。
頑張ってる母親!
偉い母親!
小学校1年生から、
過去を振り返ってみて、
なんだか、ずっと、
頑張ってきた自分が見えた。
ずっと背伸びして、
ずっと上向いて、涙をこらえてた。
そんな気がする。
学校との距離ができる。
担任との距離ができる。
戻れる場所がなくなる。
なんかどうでもよくなった。
距離ができたなら、
できてしまった距離を縮めればいい。
戻れる場所がなくなったなら、
新たに場所を作ればいい。
まだ起きてない出来事に対して、
不安を感じながら、
やりたくもないことをやることに、
なんの意味があるんだろう?
もしかしたら、
戻る場所は学校ではないかもしれない。
人の期待とか、
大人のしがらみとか、
面倒くさいこと全部とっぱらった時、
息子は何を言い出すんだろう?
息子はどこへ向かうんだろう?
見守ってみたいと思います。
まる。