「何人兄弟?」

 

そう聞かれて

 

 

妹と2人。

 

そう答えるようになったのは、いつからだろう。

 

 

 

 

 大阪生まれの大阪育ち。

 

大阪育ちといっても市内ではなく大阪の東

坂と緑の多いところで育ちました。

 

 

子供の頃のわたしは明るくて活発。

学校では体育がいちばん好きで、跳び箱や鉄棒が得意。

 

本を読むのは好きだったけど、勉強はきらいでした。

 

  

 

2つ下の妹は、おとなしくて泣き虫。

 

すぐに泣くので「一緒に遊んであげなさい。」

母にそう言われるのがいやで仕方なかった。

 

 

時々、一緒に遊んであげるフリをして、途中で妹を撒くといういけず(いじわる)なことをしたり。

 

 

結局、妹が母にいうのでいつもあとで怒られます。

 

「おねえちゃんやねんから」

「おねえちゃんのくせに」

 

いつもそういわれて。

 

なんでわたしばっかりガマンせなあかんの!?

先に生まれたくて生まれたんじゃないもん!

おねえちゃんっていわんといて。

 

いつだったか、拗ねてそういったことがあります。

 

 

 

子供のころの思い出といえば、夏休み。

 

青い空や入道雲を見るとうれしかった。

 

近所のお兄ちゃんやお姉ちゃんたちと、プールに行ったりセミとりに行ったり。

 

 

毎日、夕暮れまで外で遊びまわっていました。

 

 

自転車に乗って遊ぶようになると、行動範囲が広がって、どこまででも行けるような気がしてすっごくワクワクしたのを覚えています。

 

 

わたしが小学4年生の時、両親が離婚。

 

 

 

そして、わたしが5年生のとき。

4つ下の弟が事故で亡くなりました。

 

 

 

その日は8月11日。

 

 

わたしの10歳の誕生日でした。

 

 

 

プールサイドに引き上げられて、横たわっている弟。

 

 

泣いている妹。

 

 

目の前で起こっていることがよくわからなくて

ただ立っている自分。

 

 

それは今でも、鮮明に頭の中に映像として残っています。

 

 

母の泣き叫んでいる姿。

まわりの大人すべてが悲しんでいる光景。

 

 

小学生のわたしにとって、弟の死は受け止めきれず

悲しいという感情は沸きませんでした。

 

 

だけど人生でいちばんつらい、忘れられない出来事です。

 

 

それから、いろんなことが変わりました。

 

 

毎日毎日、泣いてふさぎこんでいる母。

 

わたしと妹がいるのに、母の気持ちはまったくこちらを向いてませんでした。

 

 

母を慰めることもできない。

 

なにもできない自分。

 

母が泣く姿を見るのがすごくいやでした。

 

 

元々母は社交的な人。

 

 

弟が死んで数か月経ったころからは、さらに気持ちが外に向くようになり、夜もいないことが多く、わたしと妹はいつもほったらかし。

 

 

さみしい気持ちはありましたが、わたしがさみしそうにすると、泣き虫の妹はもっとさみしくなる。

 

 

わたしはおねえちゃんやねんから、そんな素振りをしたらあかん。

 

 

泣き言をいうたらあかん。

 

 

だんだんとそんな気持ちが強くなり、甘えたり、頼ったりしなくなっていきました。

 

 

そのうち自分の気持ちを押し込めるのがクセになって

 

家ではあまりしゃべらなくなり、ほとんど笑わなくなりました。

 

 

ほんとうはさみしかったし、甘えたりもしたかった。

もっと話も聞いてほしかったのに。

 

 

そんな感情が自分の中にあるので、妹に対してもやさしい言葉をかけたりすることができなくて。

 

 

どんどんぶっきらぼうな態度になっていきました。

 

 

家にいるのがいやで。

 

母のことがいやで。

 

家の中に自分の居場所なんてない。

 

そのまま反抗期に入り、わたしはあまり家にいなくなりました。

 

 

 

弟が亡くなって、わたしの誕生日はなくなりました。

 

 

8月11日は、みんなが弟を偲ぶ日。

 

母が泣く日。

 

みんなが笑わない日。

 

誰も「おめでとう」なんていわない日。

 

自分の誕生日がいやでした。

 

 

 

中学生のころ

 

友達から「誕生日おめでとう」といってもらっても

どんな顔をしていいのかわからなくて。

 

自分の誕生日をよろこべない

 

うれしそうにできないから

申し訳ない気持ちになってしまって。

 

素直にありがとうっていえない時期もありました。

 

 

人と会話する中で

 

「何人兄弟?」と聞かれるときがあります。

 

ほんとは3人兄弟だったんだけど

弟は死んだから

 

そういうと、相手が一瞬返答に困って、その場の空気が重たくなることが度々あって。

 

 

妹と2人。

 

いつのまにかそう答えるようになりました。

 

 

だけど、そう答えたとき

胸がちょっとざわつくんです。

 

 

弟の存在をなかったことにしてる自分に罪悪感。

 

 

人にも自分にもウソをついているような

いろんな感情が入り混じって。

 

 

子供の頃の自分

 

気持ちを抑え込んでいたときに、一瞬もどるからかもしれません。

 

 

妹とはお互いが働きだしてから、一緒にご飯を食べに行くようになりました。

 

 

結婚した今も、なんでも話せる仲のいい姉妹です。

 

 

そんな妹にいちどだけ手紙をもらいました。

 

それはわたしが再婚するとき。

 

 

手紙にはこれまでのことや、たくさんの感謝の気持ちが書いてあって。

  

 

そんなふうに思ってくれてたんだと、胸がいっぱいになりました。

 

 

妹は泣き虫で弱いから、わたしが守ってあげないと。

 

 

そう思っていたのに、子供だったわたしは、その気持ちをうまく妹に伝えることができませんでした。

 

 

守ってあげれなかった。

 

守るどころか、自分だけ家から逃げた。

 

その後悔がずっとこころにありました。

 

だから手紙を読んで、すごくうれしかったです。

 

 

ああ、わたしは妹がいたからさみしくても泣かずにいたんだ。

 

妹の存在がわたしの支えになってたんだな。

 

そう思いました。

 

 

わたしがちゃんと自分の気持ちを伝えたり、妹の気持ちをもっと聞いてあげることができてたら、何かがちがっていたのかもしれない。

 

 

自分を大切にすることができて初めて、自分の大切な人や、まわりも大切にすることができる。

 

 

「自分を大切にする」

 

 

その意味が、やっとわかったんです。

 

 

 

ヨガのインストラクターになったとき

 

「ねえちゃんに合ってると思うよ」

 

妹はそういってよろこんでくれました。

 

すごくうれしかった。

 

 

 

たくさんの人との出会いによって今のわたしがいます。

 

そして、人と出会ったから、ヨガや風水薬膳にも出会いました。

 

 

人と話すと自分の気持ちに気づいたり

ほんとうはどうしたいのかがわかったり。

 

 

それを抑え込まずに

言葉にするって大事だなーって思います。

 

 

人としゃべったり笑ったりするのが好きです。

 

みんなが笑ってたら、すごくうれしくて楽しい!

 

 

ヨガや風水薬膳®はみんなが笑顔になるお手伝いができるもの。

 

 

だからわたしはヨガや風水薬膳®が大好きです。

 

 

たくさんの人に伝えていきたいなと思います。

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

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