Cogito ergo sum

Cogito ergo sum

方法的懐疑から頭が離れない人のブログ
相変わらず変な記事多目なのはいつものごとく。

ゆる~くお願いしますゆるく。

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「マーフィーの法則」とは
"If it can happen, it will happen."
「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる。」 が基本精神であって、その基本的表現は
 "Anything that can go wrong will go wrong." "Everything that can possibly go wrong will go wrong."
「うまく行かなくなり得るものは何でも、うまく行かなくなる。」 「何事であれ失敗する可能性のあるものは、いずれ失敗する。」 である。
というものです。(ざっくり)
例えばマーフィーの法則の代表的な法則には
落としたトーストがバターを塗った面を下にして着地する確率は、カーペットの値段に比例する
仕事にかかる時間は、その見積もり時間の2倍である
仕事の進捗(進み具合)は90%を越えると極端に悪くなる
サイトの「よくある質問」には、あなたが求める質問も答えもない
1つの問題が解決すると、それが原因で新たな問題が発生する。
とかってのがあります。こうして並べて見るとまぁまぁ正しそうな気もしませんか?(笑)
別に科学的に完全な裏付けがあったりするわけではないのですが、強いて言うならば認知バイアスの影響を多分に受けているということがこの法則の「正しさ」の裏付けになるかもしれないですね。

まぁマーフィーの法則に興味があればぜひググってみてくださいな。

「あまり気温が上がらない日に限って職場のエアコンがよく効く。」
「パンツが見えた女に限ってブスだ。」
「自分の機嫌が悪いときに限って恋人の機嫌が悪い。」
「異性にやたらモテるときに限って恋人がいる。」
「浮気相手とデートできそうな日に限って恋人がデートに誘ってくる。」
「恋人がデートに誘ってくる日に限って仕事が入る。」
―マーフィーの法則の法則に影響を受けたエアコンの影響を多分に受けて寒がる男のボヤキ録より

過去の否認は有害な態度である。 現在と戦い、未来を創造するには、 往々にして過去が最も有効な武器なのである。― ジュリアン・グリーン

とても久しぶりのこっちの更新。

やりたいことやって、やりたくないこともやって、忙しさと楽しさとに消耗する毎日です。自分が、幸いにもこのようなことを言っていられるのは学生身分の特権ですかね。

 

友人との別れ際になんて声をかけて良いのか分からなくて「では」とか「じゃあまた」とかそんなことを言ってしまうのが、なんとも情けない話だなぁと。

例えば、彼女には少なくとも明日、明後日には会えるはずだーという余裕があるから、それを担保に「ばいばーい」なんて軽口叩けるわけです。それは、今の多くを共有する友人との間でもそうであるような。

 

ただ、そうでない友人が時間の経過に比例して増えてきて、なんか難しいなぁと。

それでも、ここ数年自分が感じてきた「取り残された感」が多少は薄れて、自分もまた離れている側の人間なんだなぁと実感すると凹むやら、そうでないやら。

 

僕の専門分野は所謂IT系であって、最近はICT分野なんていうふうに言ってる。かも(?)Information Communication Technologyの略。

多くの技術的進歩は常に、Communicationの欲求を満たそうとしてきた。時間を超えたCommunication。そうしたら、次は時間を共有できない寂しさに負けてリアルタイム性のあるCommunicationが欲しくなって、同じ時間空間を共有するSNSが台頭した。さらには、視覚的な共有も求めて映像メディアもリアルタイム性とドッキングして...次は何を共有するだろうか?

ただ、何を共有するにしても、恐らく共有するのはInformation、情報なんだろうと思う。情報はきっと人間のCommunicationの隙間を埋めることがこの先何があっても叶わないと思う。

同じ空間を共有すること なるいい加減で、曖昧で、くだらないことで僕らが共有するのはInformationなんかじゃなくて、加工もできない、無意味で、どうしようもないdataなのだから。

 

恐らく、久しい友人と会って話して、遊んで・・・その時間、空間の内で意味があることが5割、残りは無意味でうまく説明ができない何かであるはず。

ただ悔しいことにそれを否定する気になれないのが、私も1人の人間かぁという感じです。

とても、とても人が多いですね。

 

では!

 If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today? 

どうも。お元気ですか?クロです。

気がついたら年が変わっていて今は・・・2016年。早いですね。
彼女からもらった身代わりのお守りがさっそく切れてしまったり、色々と幸先の悪いスタートな気がしています。
まぁ、良いのかな。深い意味はなかったんだろう。

ところで、「モラトリアム期間」という概念が心理学にはあります。本来、中学を卒業した時点で、義務教育は修了しています。したがって、社会に出る(=社会人として、あるいは大人として見られる)ことになるわけです。
しかし、私のような学生は学生として、社会に出ることを、ひいては大人になることを「モラトリアム」されているわけです。(要するに執行猶予ですね)
大人になることを猶予された私は子供なのでしょうか。それとも、大人にも子供にもなれない中途半端な存在なのかな。そんなことを考える次第です。別にこれに限らず最近の僕のモヤついた、濃霧の中に閉じ込められたような感覚の原因は多々あるのですが。特に深い意味はなかったんだろう。

最近、異様に「寂しさ」みたいなものを強く感じてしまう。決してもともとからそういうタイプではなかったはずなのだが。今年の冬は寒いですね。それが原因でしょうか。寂しさを何にぶつけようか迷ったり、そもそも寂しさはぶつけるものなのか思い悩んだり。難しいですね。それと、数年前から僕が感じ続けている寂しさの奥にある「取り残された感」、あれをどうにかしたい。未だに僕は成長できていないし、取り残されたままな気がしてしまう。

最近、確実に自分の母親にガタが来ている気がする。あの人は少し早足で歩き過ぎる癖がある。決して、良い人間でも好きな人間でもない気はする。ただ、それでもやはり自分の母親は母親でしかないので、どうであれ悪く言うのは気が引ける。ただ、決して尊敬しようと思ったことはない。あの人の"悪性腫瘍"が最終的にどういう方向に向かったのか、僕は知らない。手術したのかもしれないし、あるいは間に合わず放置したのかもしれないし。(まぁ、手術が間に合う段階であれば、手術というよりまるで鍼灸のような雰囲気で終わるのだろうが。)

最近、敗北感を感じてしまう。自分が新しいことをすればするほど、万能ではないなぁという当たり前の感想を持つ。それは良い。ただ、万能ではない自分が許せないだけだし。中途半端ならいっそ死んでしまいたい。

あぁー死にたいなぁ。もう死のう。
何れにせよ深い意味はなく。

では!また。

お久しぶりです。皆さんお元気ですか?
最近寒くなってきましたね。風も強いし。

こういう季節になってくると自分を傷をえぐりたくなるものです。私は優しいので、人の傷もついでにえぐっておくボランティアをしておきます。

久々に自分のブログの存在を言われて思い出したのだけども、どうにもネタはない。
たまにはほめてもらいたくて何かを書いたものの、褒められる話もないし。また、何か思い出したら書くことにしよう。

「人生は大抵の場合上手くいかない」という言葉が最近は好きで仕方がない。本当にその通りだ~とか言いたいわけじゃなくて、とにかくそういうことを言っていたいだけだけど。
取捨選択が大事だーなんて言ったところで、大抵の場合は取らざるを得ないし、捨てざるを得ないものだろうと思う。

疲れる季節ですなぁ。

ろくでもない人はいつまでもろくでなしである方が良いかもしれない。知らないけど。
どうせ自分の中で答えが出ているくせに知らないふりをしてあーでもないこーでもないと葛藤したつもりになっている奴にろくな奴はいないと思う。

この世の中が思ったよりも裕福だったせいで、「人生は自分との戦いだー」なんてクソみたいなことをよく言われるけど、その昔だったらきっと他者(人間に限らない)との戦いで人生を語ることができたんだろうと思うとなんだか、嘆かわしい。
自分と戦ったって何も得るものがなければ、傷もつかない人は多いと思っている次第。どうせ、ろくでもない奴らに「自分」なんてないんだろうから。

まぁ頑張ってください。
再見!

P.S.
冷やかし中華は終了しました。ありがとうございました。

P.S.2.
たぶんもう会うことはない人もいっぱいいるので、あえてご挨拶は中途半端にしておきましたよ。

P.S.3.
死なない程度に留めたつもりなんだけど、死にたくなったらクレームください。

では!張り切って明日からもどうぞ!
どうも。

コーヒーは好きで、今も飲んでいるわけです。
ただ、時としてそのコーヒーがとにかく不味く感じる瞬間があって、それも今なわけです。

ほんの些細な問題がコーヒーを不味くしているのはよく分かるのです。お湯の温度とか、飲み方とか・・・色々。
ただそんなコーヒーで朝から気分を害するするのが私にとっては一大事なわけで、こうなったらもう大学に行くついでにどこかでコーヒーを買うしかない。

朝から残酷というか気が滅入る。
どうもみなさんお久しぶりです。
夏の終わりに低気圧を感じて、気が滅入りながら研究室でブログを更新する次第です。

まぁ今日も研究室経由でバイトなんて、いつものことなのでしょうか。

あくまで雑記として、ですが

というこのツイートが最近話題になっていますね。
「学校へ行かなくても良い」という発言はとても僕には出来ないし、その点で十分に検討してこのようなことを書く公的機関の中の人達は純粋に尊敬します。

そもそも、僕は学校に行って(今ですら学校にいるわけですが)とりあえずは人並みの人生を得ているわけです。そこで、僕が安易に「学校に行かなくても良い」と言ったことによって果たしてどれだけの不利益が生じるか?ということについては全く予想もつかないし、正直あまり良い結果を生むとは思えないのです。(もちろん、自殺するよりは全然よい結果だろう!とか、あるいは...色々とご意見はあるでしょうが。)

学校に行かなくても良い言ってしまうだけの勇気も、現状も僕の範疇にはないのかな?と思いながら、少し考えてしまう次第です。



それとはあまり関係のない話しですが、個人的に好きなラーメン屋が9月から値上げするらしく1週間で2回目行ってしまおうか迷っています。(笑)

ラーメンの値段のボーダーって700円と900円かな?と思っています。(以外にラーメンは高級食)
700円以下のラーメンは「安い」と感じるもので、700より高く900円以下だと「まぁこんなもんかな」と、そして900円を超えるといよいよこれは贅沢している気分に。(例えばチャーシュー麺なんて良い例か?)
実は今まで、その店で僕がいつも頼んでいたのが700円だったんです...うーん、どうなるかな(笑)
やはり値上げする前に行っておこう。

それと余談だけど3ヶ月とか4ヶ月とかって本当にあっという間なんですね。1年の25%から30%にあたるはずなんだけど、なんか早かったです。
今年は結構良いですね。

では!

夏の暑さを、初めて僕に知らせるものは常に鼻血であり無駄な汗であり、そして低気圧の憂鬱である。―


お久しぶりです。お元気ですか?

気がつけばもう結構日が経っていたようです。あのときはまだ日が落ちると肌寒かったのですが、今ではもう日が落ちても熱帯夜。

実は先日ズームレンズとやらを初めて頂いたんです。ただ、個人的にはズームで遠くを写せることよりもはるかに、背景のボケ感が気に入った次第です。

とにかく低気圧の憂鬱を抱えながら、それでも日々楽しく生きていたり。
ふと、今日1つだけ昔話を思い出して、勝手に1人で懐かしんでいたり。

そうやって日々何かよく分からないけど生きている。的な(なんか今日の俺カッコいいじゃん)

全然どうでも良いんだけど、結構僕って単純みたいよ。今日の発見。

では!くれぐれも鼻血にはお気をつけて。
私は皆様のエンターテイメントではなく、リアルである。という点を声高々に叫んで締めたいと思います。

皆様のエンターテイメントであっても良いですが、私はあくまでもリアルであって、僕らのリアルをエンターテイメントにされるのは大変に癪に障るのです。悪しからず。

英語をせっせと和訳するも、どうにもvocabulary不足が深刻でいよいよ辛いです。
お久しぶりです、クロです。

本当にちょっとした話で春が終わる頃に、もう紅葉を考えるクロです。
だからなんだー?って要するに紅葉が綺麗な場所を教えてくれよーっと。

-----別の話ね-----
それと1週間以内です。1週間以内。1週間以内にその気になったら仕事しますよ。

では。


P.S.
みんなお疲れ様。