とにかくこのタタール人の格好をした商人に犯行を自白させる為には生け捕りにしなくてはならない。
沈錬は短刀を構えながら間合いを取った。
もう女のふりをするのはヤメだ。
「何故、女を襲うんだ?そんなナリだがお前も漢族だろう」
沈錬の声を初めて聴いた男はギョッとして身構えた。
「お前っ!男なのか・・」
「質問に答えろよ」
男の目はギラリと凶暴な色を帯びた。
「お前官憲だったんだな…女のような顔しやがって小賢しい…ふふ…俺の正体か…死ぬ前に教えてやろう。俺はな漢族に犯されたタタールの母から産まれた。本来なら生きてはいないがハーンが許したので此処まで生きて来れた。どんなに漢人を恨んだかお前には分からん…俺の母が襲われたように漢人の女も襲ってやるのさ…それが俺の復讐だ…俺の本名もついでに聞かせてやる。俺はオロス…」
その瞬間、男は思いもよらぬ早さで沈錬に襲い掛かって来た。
不意を突かれた沈錬は再び寝台に押し倒され短刀を握った腕も万力のような力で捻じ伏せられた。
息がかかりそうな距離で見たオロスの目は狂気を孕んでいた。
その凶暴さに呑み込まれそうになっていた沈錬の耳に
突如ドンドンと激しく扉を叩く音が聴こえた。
「此処を開けろっ!!」
「構わぬ。打ち壊せ!」
間髪開けず斧のようなものが撃ち下ろされメリメリと云う音と共に扉が開いた。
先頭に令宣が、そして官兵達が一斉に雪崩を打って飛び込んで来た。
「観念しろ!」
令宣の声に振り向いた一瞬の隙に沈錬はオロスの腰に膝撃ちをかました。
急所を一撃にされたオロスは七転八倒しながら寝台から転げ落ちた。
オロスは呆気なく官兵達に取り押さえられた。
「何があったんだ!」
沈錬の腕は朱に染まっていた。
左手頸から滴り落ちた血が床に血溜まりを作っている。
戦英は自分の裾を千切ると沈錬の二の腕をきつく縛った。
「あいつに薬を飲まされました。解毒する為に斬りました…」
戦英は沈錬の青白い顔を見た。
「お前も無茶をするな…」
「はい…それにしてもよく斧まで用意していましたね」
「番頭だ…番頭が自白したのだ。主人が殺人を犯していた事に気付いて恐ろしくなったらしい。斧を用意していたのも番頭だ」
「そうだったんですか…」
戦英は沈錬に肩を貸してやり立たせた。
「麻薬が残ってるんだろう?歩けるか?」
沈錬は大丈夫です…と言い掛けたが戦英から離れた途端ふらついた。
脚に全く力がなくなっていた。
「俺の背におぶされ」
「申し訳ありません…」
副将に負ぶさるのは申し訳なくひたすら恥ずかしかったがこんな呪わしい部屋からは一刻も早く出たかった。
結局、沈錬は戦英に背負われてその屋敷を後にした。
外に出た戦英は大勢の下士官達に囲まれ散々揶揄われた。
「ひゅ〜」
「ひょ〜副将!…綺麗なおなごをお連れで!」
「黙れ!」
暗がりで良かった…。
戦英の顔は薄っすら赤らんでいた。
犯人を護送する部下たちを見守っていた令宣が近寄って来た。
「大丈夫か?」
「はい、将軍」
令宣は背負われた沈錬の肩を叩くと労った。
「ご苦労だったな。お手柄だ。お前のお陰で都の婦女子が救われた。早く軍医に見せろ。来た時の馬車でそのまま軍営まで帰って来い。戦英が付き添ってやれ」
「「はっ!」」
「まあ…そんな危険な任務に、、」
その夜妻に茶を淹れて貰いながら令宣は語った。
「そうだ。間一髪で飛び込んだから良かったものの遅れていたら沈錬の生命も危なかった。タタール人は馬の商人に見せかけていたがその実戦闘員なのだ。沈錬の力では殺られていたかも知れない」
「まあ……旦那様もそうですが部下の方達には感謝しかありません。都の安寧を護る為に命懸けなんですもの」
令宣は微笑んで妻を見詰めた。
「うむ、、お前にも今回は世話を掛けたな…沈錬が化けてまんまと敵を欺けたのはお前の人脈のお陰だ」
十一娘は首を振った。
「いいえ人脈だなんて大袈裟です…遊女に化けさせるなんて我々には到底無理ですもの。燕燕さん達には私からお礼を言っておきますね」
「うんそうして欲しい。私が礼を言っていたと伝えてくれ」
令宣には分かっていた。
妻は身分に拘泥せず人に優しく接する。
だから慕われて良縁を結ぶ事が出来るのだと。
その後…先輩や同僚に散々女姿を揶揄われた沈錬は令宣の計らいで二階級特進となった。
尚一層教練に励むようになった沈錬にある日妓楼梅翠楼から一通の文が届いた。
先日は事件解決のお手伝いの為に貴重な経験をさせて貰った事へのお礼、そして
梅翠楼では我々と都の安寧を護ってくれた沈錬殿に感謝の気持ちを表すと共に是非とも特進のお祝いをさせて頂きたいと記してあった。
沈錬が素直に招待に応じ、
そしてその晩
沈錬が本当の大人の男になった事を軍営で知らぬ者は居ない。
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