「燕燕、来たわよ!」

今夜も賑わう梅翠楼、隣の金花姐さんから耳打ちされる。

「…ホントに?!」

見れば滅多に訪れる事のないあの人がお役人様の面々と席に着いた。

燕燕は頬を染めた。


ちょっと前に街で見た彼は…

都に流れてきた海賊の残党を追跡捕縛していた。

あたしに執心の腹の弛んだヘタレ貴族なんか目じゃない。

獲物を狙う目が鋭くてなんて凛々しい男。

ゾクッとしたわ。そして…

男盛りのあの締まった身体つき。

あたしの心臓はきゅっと締め付けられた。

あたしの一目惚れ。


燕燕は白粉を塗ったうなじの乱れ髪をついと撫で上げた。

ついでに胸の谷間がよく見えるように着物の胸元を広げる。

「あんた、涎が出てるわよ」

金花姐さんにからかわれても全然構わない。

本当の事だもの。

あの男を一夜だけでも落とせるものならこっちが金を出したいくらいよ。

ここは品のいい酒楼だからあまり過激な誘惑はご法度だけど。

女将さんに合図してお酌に入ろうとしたら…

ちょっとぉ〜!

若い妓女達が早速近付こうとしてるじゃないの!

あんた達には百年早いのよ。

お下がり!

ギロリと睨んで追い払ってやったわ。

此処は芸妓のわたしに譲るのよ。

「いらっしゃいませ〜」

・・・

誰も振り向かないじゃない。

「徐殿、そうは言っても陛下の意図はそこではないと思うぞ」

「分かっている。無論これは始まりに過ぎない。私とて一港だけでも今回は大きな成果だと思っている…」

・・もう一回……ゴホン

「いらっしゃいませ…」

眉間にシワを寄せた役人が振り向いた。

「姐さん悪いが酌はいい。向こうへ行っててくれ」

そう云うと手酌でやり議論を始めた。

は❓

酒楼に来てあたし達を呼ばないなんて

どういう事よ。

仮にもあたしはこの酒楼で一番の売れっ妓なのよ!

こんな屈辱初めてよ。

徐侯爵はあたしのほうを振り向きもしなかったわ。

最低。


でも天はあたしに味方してくれた。

3日後行首から梅翠楼の女将さんが引き受けた仕事はヤバかった。

左安伯爵家のご隠居様の古希の祝いの席に余興として梅翠楼の芸妓達が呼ばれたの。

金花姐さんの云うには朝廷の主だった官僚達はみな招待されているらしいわ。


当日、あたしは気合いを入れて念入りに化粧した。

あたしは群舞じゃない。

真ん真ん中で踊るんだもの当然彼の目にとまるわね。

そこで皆と同じ簪じゃつまらない。

ここぞと云う時にだけしか使わないとびきり上等の簪を挿したわ。

衛子夫が着けてそうな極上の翡翠よ。


とうとう彼の前で舞うその時が来た。

ずらりと並んだ高官の中で一番素敵なんだもの。

もう覗いただけでドキドキよ。

内心の胸の高鳴りを抑えてものの見事に舞ってみせたわ。彼に流し目を送る手管も忘れない。

下がるなり金花姐さんがすっ飛んできて物凄く興奮して教えてくれた。

「燕燕!あんたやったわね。徐侯爵あんたに釘付けだったわよ!」

「え!マジ?」

「マジよ」

「やったわ〜!」

手に手をとって喜んでいると、そこへ若い男が一人やって来て恐る恐る声を掛けた。

「あのぅ〜、旦那様から言伝です」

「あんた誰よ?」

「僕は徐侯爵の付き人で照影って言います」

え!?もうお声がかかったの?

「え?き、きあ〜〜〜〜っ!」

あたしは信じられない幸運に卒倒しそうになった。