今日も西跨院の一日が終わった。

近頃令宣の帰宅が遅い日々が続いている。

帰宅しない夜も度々あった。


十一娘は鏡の前に座りその艷やかな長い髪を櫛っていた。

令宣の仕事は隠密裏に進める事が多い。

だから令宣が自分から話さない事は十一娘も尋ねない。

十一娘は心配になっても問い質すことは控えていた。

だが限界と言うものがある。

やはり妻としては令宣の身体が心配なのだ。

「旦那様、大丈夫ですか?今抱えていらっしゃるお仕事はそんなに大変なのでしょうか?」


令宣は右肘をついて寝床に横たわり彼女を見ていた。

「十一娘、おいで」

十一娘は立ってゆき寝台に腰掛けた。

令宣は手を延ばすと妻を抱き寄せた。

「今、捜査の大詰めを迎えている。詳細は言えないがこれが終わったらまた何時ものように帰れるさ…」

「旦那様、ごめんなさい…私つい…」

「いいんだ…寂しい思いをさせてるのは分かってる。すまない」

令宣は妻を抱く腕に力を込めた。

「旦那様、責める積りはありません…ただ旦那様のお身体が心配なんです。この間のようにいつまた夜中に呼び出されたりしやしないかと…」

「私なら大丈夫だ…体力には自信がある…」

「ええ…」

十一娘を抱く令宣の腕からふっと力が抜けた。

「旦那様…旦那様……?」

ん?

すうすう…

寝てらっしゃるし…。

余程お疲れなんだわ。

十一娘はそっとうす掛けを令宣の胸元まで引き上げた。

朝もぎりぎりまで休んで貰おう。

十一娘は夫を起こさないようそっと起きた。

朝餉も慌ただしく摂る夫を妻は心配そうに見守った。

令宣は心配するなと言うようにその額に口づけすると朝議へと参内していった。


その日の夕刻、突然臨波の部下の巡視兵が徐府へ飛び込んで来た。

知らせを受けて十一娘が正門へ駈けつけた。

「奥様、大変です!候爵が負傷されました」

まさかの不安が的中してしまった。

「なんですって!…旦那様は今何処に?!」

「ご案内します」

十一娘は取るものも取り敢えず徐府を飛び出すと桔梗を連れて馬車に飛び乗った。

十一娘は悔しかった。

「桔梗、、こんな時私も馬に乗れたらと思うわ…そしたらすぐに駆け付けられるのに…」

桔梗は懸命に十一娘を慰めた。

「奥様、旦那様の事です。きっと大事に至りません」

部下が先導する馬は大通りを駆け抜け埠頭の外れにある家屋に到着した。

官兵達が前にずらりと整列してその家屋を警備していた。

その家屋には見覚えがある。

「ここは…!」

旦那様が私の手を引いて連れて来て下さった埠頭の茶店だわ…。

どうして此処に旦那様がいらっしゃるの?


茶店は閉じられていて周囲には人氣がなかった。

十一娘が呆然としていると

その戸口に一人の女が現れた。

あの日、注文を聞いてくれた不思議な色香を発するあの女だった。

女は十一娘を見るとすぐに歩み寄って来た。

十一娘が尋ねる前に女の方から口を開いた。

「奥様、候爵は今私の部屋でお休みになっています」