先日、とある男性のSNSを拝見した時でした。
娘さんのお誕生日とのことで、娘さんへの思いが書かれていました。
その中の一文に、ハッとしました。
「あなたを見るだけで、幸せな気持ちになる」
性別も違えば、
親にもなったことがない私が、
父親の気持ちに気付いた話です。
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そもそも、
父親のことは、面倒な人だと思っていました。
娘特有の嫌悪感だったかもしれませんし、
母親から、父のダメなところを聞いていたせいかもしれません。
父親という人は、私に興味はないけれど、とりあえず家族で、かなり近い血縁者。
それぐらいの遠い感覚で、かなり他人のように思っていました。
ましてや、この人の世話をしなければならないと思っていたので、
(詳細はこちら)
一言で言うなら、私の足を引っ張る人だと思っていました。
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結婚の挨拶に行った時、
意外な一言を言われたのが、
最初のキッカケだったと思います。
「娘さんと結婚させて下さい。」
グッとつばを飲み込むような、
一生を左右するような、
大事なその言葉を、今の旦那となる人が言ったあとでした。
シーンと静まりかえり、
父は、しばし黙って、下を向いていました。
そして、絞り出すように、ポツリと言いました。
「、、、何でも一人で決めちゃうからなぁ。」
「はい」でも、「いいえ」でもなく。
(え?!それですか?!今言うこと???!!)
ひどく混乱したまま、
帰宅したのを覚えています。
父という人は、この後に及んで、いったい何を考えているのだろうか。
怒りにも似た感情だったと思います。
でも、
何か、どこか、胸に刺さったような。
帰宅後も、しばらく、
これは何だったのか、分からずにいました。
これが最初のキッカケでした。
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それまでの父といえば、
私によく電話をしてくる人でした。
私としては、特に話すこともないので、
父が一人で、たわいもない話を続けて、
父が一通りしゃべり終わったら、
電話を切る。
その繰り返しでした。
「近所の○○さんが入院したよ。」とか、
「今日は、畑に行ってきたんだ。」とか、
報告のような、一方通行の会話だったと思います。
結婚した後、
このような電話をかけてくる回数が激減したので、
私としては、ひそかに安堵していました(笑)
結婚したので、父なりに、気を遣っていたのかもしれません。
(もしかしたら、結婚したから、安心したのかな?)
そんな風に思っていることを、
旦那と、何気なく話している時でした。
「その年のお父さんが娘に電話するって、すごく勇気のいることだと思うよ。」
あまりにも意外で、
「そうなの?!?!」と言った気がします。
父はいつでも気軽に電話をかけてきていると思っていたし、
お父さんの立場で考えたことなんて、今まで、なかった。
お父さんが、
そこまでして、私と話したいと思ってるなんて、
考えたことがなかったのです。
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相手の立場になってみるとは、難しいものです。
近い関係であればあるほど、嫌な気持ちが先立ち、
困難さが増すのではないでしょうか。
私にも、
今だに許せないことがありました。
今思い出しても、
身の毛がよだつ思いです。
そのような「嫌な思い出」が時々顔を出しては、
その人の全てかのように彩ってしまうことがあります。
でも、
お父さんがいてくれた、
この39年間、
39年間、父は、私を愛してくれていたのかもしれない。
ずっと。
ずっと、ずっと、そうやって。
誰に言うこともなく、
誰かに命令されたわけでもなく、
誰に自慢するでもなく、
当たり前のように、
私を見るだけで、幸せな気持ちになり、
「一人で決めちゃうからな」と思うぐらい、
私を守りたいと思っていたのかもしれなくて、
どんな時でも、
相談に乗りたいと思っていたのかもしれない。
ただ、自分の娘だから。
それだけで。
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親の気持ちなんて、
一生分からないかもしれない。
でも、一瞬でも、一秒でも、愛されていたかもしれない、
その記憶の断片に触れた時、
本当はずっと愛されていた。
その思いが脈々と湧いてきたのです。
今まで、私はずっと、
こんなに幸せだったんだと。
泣きました。
泣かずにはいられなかった。
父という人を、
私は誤解していたんだ。
そう認めるしかなかった。
私の涙とともに、
心の奥が閉まっていた扉が、
ゆっくりと開いた気がしました。
心理学を学んで、
父との関係はとても良好でした。
父を否定する気持ちは、もう無いに等しかった。
でも、
今こうして、
心から私は幸せだったと、
また一つ、腑に落ちたような気がします。
幸せの扉を開け続けていきたい。
そんな風に思ったのでした。
▼
帰省されない方も多いかもしれません。
ご両親と、仲が良い方も、疎遠な方もいらっしゃると思います。
あなたのお父様は、どんな方だったでしょうか?
私には、今でも時々思い出す、幼かった頃の記憶の断片があります。
父が、眠ってしまった私を、
そっとおんぶして、布団まで連れて行ってくれたこと。
その背中の大きさ、温かさ。
それがとても心地良くて、
じつは、
何度も寝たフリをしていました。
お父さんに、おんぶしてもらいたい。
その温かい背中に、
何度も、何度でも。
私が父を感じる記憶です。
誤解とは、
何かの積み重ねなのかもしれません。
でも、どこかで、
戻れる日がある。
もしかしたら、自分は、愛されていたのかもしれない。
そんなことに思いをはせる瞬間が、
「幸せ」というものの、
その温かさや、
その重さや、
その愛しさが、
今、この手の中に、本当にあることを知る
そんなチャンスなのかもしれません。
蔵山詩波
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