本日のテーマ

【人は好きなことに関心がある】

 

 

人は関心のあることには耳を傾けますが、関心のないことは聞こうとしないものです。

 

あるとき小学校5年生の男子のお母さんから相談を受けたことがありました。


「息子が人に“あいさつ”をすることができないのです。どうすれば“あいさつ”できるようになりますか?」

 

わたしは、まず、お子さんのことを聞かせて下さいと言い、

「お子さんは何か夢中になってやっていることがありますか?」

と尋ねました。
「はい、サッカーをやっています」

 

どのくらいがんばっていますか?
「将来、世界で活躍する選手になりたいと言っています」
そうですか、夢を持っているお子さんでしたら、“あいさつ”はすぐにできるようになります。お子さんにこう言って下さい。また言うときには想いを込めて言って下さい。

「一流選手は、ただ実力があるだけではダメ。多くのファンができる人でないと一流とはいえない。“あいさつ”できない人は、人の印象も悪くなり、とうぜん仲間もファンもできない。だから“あいさつ”がちゃんとできないと一流選手になれない」

 

お母さんは、このことを子どもに伝えたそうです。

すると、息子さんは次の日、照れくさそうに“あいさつ”をしてきました。

 

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今までは、「あいさつをしなさい」という教えでは、“あいさつ”はできませんでしたが、今回はなぜできるようになったのか? 

 

それは、

「自分に関心のあることだから受け入れ、自らが問題意識を持てたから」

です。

 

 

本日のテーマ

【客観的に観る】

 

 

今から35年も前のことになります。

ある企業から社員研修の依頼がありました。

社員が110名ほどの規模の会社です。

そこで、まずは社長の意向を聞いてみることにしました。

 

「急成長をしてきた会社で人事をしてきたが、最近一体感になることが必要だと感じてきた。そこで、社員同士が想い合えるようになってほしい。役職ごとの研修を希望する」

 

この内容を聞き、わたしはこのように提案しました。

「もし一体感をつくるのであれば、役職ごとにグループを分けるよりもすべての役職をばらばらにしてグループをつくり、しかも我が家に泊まり込みで7日間ほどの研修を行いたい」

 

結局10人ずつのグループを11組つくり、男性の方々は7日間、我が家に泊まり込みで研修を行うことになりました。

このようにして研修ははじまったのですが、すべてのグループを終えるまで3ヶ月ほどかかりました。

(この研修は家族の協力かがあってこそ実現しましたが、今の時代では叶わないやり方かもしれません……)

 

研修は、様々なプログラムを用意しましたが、

まずは一体感になってもらうために、共に生活をすることからはじめました。

参加する方は、「部長・次長・課長・係長・主任・一般」と役職がばらばらで1グループが編成されます。

この研修のルールは、研修期間すべての役職を外してもらい、その日その日のリーダーを決め、一日はそのリーダーの指示に従ってもらいます。

 

ココで見えてくるもがあります。

器のある役職者と器のない役職者がハッキリ見えてきます。

講師と同じ屋根の下で生活していますと、いろいろなことを感じ、そして見えてくるものですね。

 

まず、器のない役職者は、自分より下の役職者がリーダーになったときに、権限がないのに、そのリーダーに命令して動かそうとします。

しかし器のある役職者は、たとえ役職が付いてない一般社員がリーダーになっても、その人に従い、ヒントを与えながらサポートし、一日のリーダーの役割を果たさせるために縁の下力持ちになるのです。

 

人は、こういうときに人間性が見えるものだと つくづく思ったものでした。

 

また、こんなこともありました。

話し方の研修がありました。

「話を人に伝える」という実習をしました。

まずテーマを与え、そのテーマを3分間でスピーチしてもらいます。

研修生は10人ですので、一人がスピーチしますので、あとの9人は審査員になります。

話を聞いて何か感じるモノがあったときに審査員は手をあげてもらいます。

審査員が9人手をあげれば合格です。

 

さて、ここで質問ですが、どの役職者が一番に合格したでしょう?

これは、わたしも予想していなかったのですが、他のグループでも同じことが起こりました。

何と、先に合格したのは一般社員です!新入社員もいました。

そして最後まで合格できなかった役職者は?

じつは、部長クラスや上役の人たちだったのです。

何回スピーチしても、伝わってくるモノがありません。

一見は、すらすら話ができていて上手に感じるのですが…

しかし、伝わらない、伝わってこないのです。

その理由は、

“慣れ”そして“上辺のテクニック”で話をしていたからです。

それに対し、合格した人たちは、話すことは慣れていなく、けっして上手だとは言えませんでした。

しどろもどろ、同じことを何回も言う、話につまる、そんな話し方でしたが、真剣に懸命に伝えようとする姿勢がありました。

そう、体全身で話しているように見えました。

 

挿絵 が含まれている画像

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その姿が審査員の心を動かし手を上げさせたのです。

 

合格しない研修生に、ヒントを与えました。

そのヒントは、自分が話している姿を、ビデオに撮って観ることをすすめました。

その理由は、“客観的に自分を観るため”です。

次の日、何か感じるものがあったのでしょう、見事に合格しました。

 

この研修通し、わたしは多くの学びをもらいました。

じつは、研修を終え、感じたことは講師をしていた、わたしが一番の研修生だったのではないかということです。

それは研修生から教わることがたくさんあったからです。

そのなかでも“自分を客観的に観る”ことの大切さを再認識させてもらいました。


 

何か問題を見つめるときに、自分の立場だけで物事を見ていても、見えないこともあります。

自分の中から一歩出て、客観的に観ることで発見できることもあります。

 

■老子の言葉…

「己を知るを明と言い、人を知ることを知と言う」

 

 

本日のテーマ

【考えさせる】

 

 

疑問や、分からないことが生じたときに、人に答えを求めて聞いたりします。

 答えは何?…

 どうすればいいの?…

 

答える立場の人は、その質問に、すぐに答えてよいこともありますが、すぐに答えない方がよい場合もあります。

 

わたしが全国の講演会で、人々と接しながら対話した中で感じてきたことがあります。

それは、一昔前よりも、物事に対して考えない人が多くなったということです。

 

分からないことを自分で考えようとせず、すぐに答えを求めてきます。

考えるのが面倒くさいのでしょう。

 

その表れが、すぐに答えを出してくれているハウツー本などのテクニック(楽な方法)で人生を良くしようという小手先への依存が目立ちはじめてきたことです。

 

すぐ答えてよいのは、質問してきた人が答えることにより、すぐに理解ができたり理解につながるヒントになる場合だと思います。

 

この思いは、質問してきた人の心構えが大事だと言いたいのです。

簡単に物事の答えを得ようとしているのでは、たとえ答えを教えてあげても良い結果にはなりません。

また、答えを教えるよりも、ヒントを与えるところで止めておくことで良い結果になる場合もあります。

 

ある職人の親方は、こんなことを言いました。

「最近の若い者は、仕事を自分で努力して覚えようとしない! 分からないことがあると、直ぐ教えてほしいと言ってくる。まったく困ったもんだよ! 昔は“仕事は盗め”と先輩から言われ、自分で研究し努力し仕事を覚えたもんだ。そうやって本当に仕事を覚えようとした……」

 

人には「仕事は盗んで覚えるものだ!」この一言が、答えなのかもしれません。

しかし、簡単に覚えられると思っている人は、きっとこのように言うでしょう。

「教えてくれないと覚えられないよ!」

 

★山登りの例え…

Q あの山の頂上まで登りたいのですが、どうしたら登れますか?

 

Aさん

登山に必要な物を用意して、それから、こうして、ああして…と、親切に説明しました。

 

Bさん

体力と根性が必要だ。まず体を鍛え、健康を維持することだよ。

 

Cさん

山登りするために何が必要だと思う?

 

自分で、本当に山に登ろうとしている人に一番ためになる答えはどれでしょう?

やる気のある人には、ヒントが十分な答えになるはずです。

自分で考えることから知ることがはじまります。

わたしはこう考えます。

「自分で考えさせることが答への道のりになる」

 

みなさんは、この質問に対し何と答えますか?

Q 「なぜ、援助交際をしてはいけないの?」

Q 「なぜ、人を殺してはいけないの?」

 

わたしは、この質問に対し、答えを言いません。

それはなぜか?

わたしなりに答えを求めてきました。

そこには体験経験を通し気づくまでのプロセス(過程)があるから答えが得られたのです。

 

答えを求め、情報を集め、研究し、そして自分が腑に落ちる答えを見出しました。

だからプロセスがない人に結論だけ言っても理解できないことや、その人にとっての答えにならない場合があるのです。

山登りでも同じことが言えます。

登頂したときの感動は、山を登ってきた苦労(プロセス)があるからではないでしょうか。

 

わたしは、こう言うでしょう。

「援助交際をしたら何が起きる・・・・」

「人を殺したら何が起きる・・・・」

まず、自分で考えさせます。

 

 

わたしが、このように言うのは…

じつは、援助交際の取材をしたときにヒントを得たからです。

援助交際をテーマとした映画に出会いました。

この映画の中で、高校生のホームルームで生徒たち自らに援助交際について考えさせていました。

援助交際によって“得るものと失うもの”について意見を発表するシーンがありました。

 

“得るもの”は何か?

生徒 「お金、それとウ~ンお金・・・あと何があるのかな」

 

先生 「そのお金、何に使うのかな?」

 

生徒 「ブランド物を買ったり、遊ぶお金」

 

先生 「援助交際などで手にしたお金は、すぐに消えていくんじゃないかな」

 

生徒 「そうそう、長くても一週間ぐらいでなくなるんじゃない」

 

“失うもの”は何か?

生徒 「親にばれたらきっと悲しむ」

 

生徒 「お金はすぐになくなるけど、自分の大切なものはどうなるの?」

 

生徒 「愛していない人に体を任せた思いはいつまでも残ると思う」

 

生徒 「将来好きな彼ができたとき、きっとその彼にわるいと思う」

 

映画は、それから性感染症、妊娠、中絶、避妊、そして性犯罪へと続いていきます。

 

援助交際したら何が起こるかを生徒自らが考え答えを出してきています。

もし、これが先生や、親たちがはじめから、この答えを言ったとして生徒や子どもたちは素直に聞き入れ理解することができたでしょうか?

考えさせることは答えを導き出す道のりになります。


 

問題意識をもった人は、自ら答えを探そうとします。

だから、問題意識をもたせることが答えへの近道なのかもしれません。

答えというのは、与えるモノでなく、見つけるモノ。そして気づくモノと、わたしは考えます。

 

■東アフリカのことわざ

「道に迷うことこそ道を知ることだ」

 

参考資料:映画 「わたしがSuKi」より