本日のテーマ

心の支え(2)

~希望を持つことが心の支えになる~

 

 

人生を生き抜くために、心の支えがあればどんなに心強いでしょう。

心の支えがあるからこそ、希望を持ち、生きがいを見出せるのかもしれません。

 

そんな心の支えが、もしも、ある日突然失われたとしたらどうなるでしょう?

 

オーストリアの神経科医であり精神科医のヴィクトールー・エミール・フランクルは第二次世界大戦中にナチスの捕虜収容所に捕えられ、いつガス室で殺されるかという極限の精神状態を経験してきました。

 

 

フランクルは、こう語っています。

「人が心の没落するままにまかせてしまうことはいつ起こるのか。それは心の支えを失くした時だ」

 

「強制収容所では、日々仲間がガス室に送り込まれ死んでいっている。そして極寒の中、満足に食べ物を与えられずに強制労働を強いられる。支えなど何もなく、将来のことを考えるのも難しい状況。なんの手がかりもなく、終点がない。私たちは、重犯罪者のことを羨ましく思った。押しこみ強盗は、自分で十年間刑に服さなければならないことを知っている。釈放の期日まで、あと何日過ごさなければならないことを計算することもできる。何と幸運なんだろう……。収容所では、だれもかも、『期日』がなかったし『期日』を知らなかった。だれもがいつ終わるか知らなかった。それが、ひょっとすると、収容所生活のなかで一番気がふさぐ事実の一つであったというのが、仲間の一致した証言だった」

 

収容所の絶望状況の中で、耐え、生きぬいた人たちは、心の支えを見出すことができた人でした。

 

 自分は生き残れる…

 愛する人に会える…

 いつか戦争は必ず終わる…

 神は我を見捨てない…

 

心の支えが人生でいかに大切であるかが理解できます。

“希望”は、人生の支えになります。

だからこそ人生は、“希望を持つ生き方”をすることが大切だとわたしは思うのです。

 

 

■ニーチェの言葉…

「生きることに内容、つまり理由がある人は、ほとんどどのような状態にも耐えられることができる」

 

 

――つづく

 

 

 

 

 

 

本日のテーマ

心の支え(1)

~心の支えとは何か?~

 

 

以前に、新聞の人生相談にこんな相談が寄せられていました。

 

「子どもたちが成人し、子育てをしているころが懐かしく、今は何していいのかわからない、この寂しさとどう向き合えばいいのか…」

 

この主婦は子育てが“心の支え”だったのかもしれません。

また、定年退職をした人も同じように寂しく、やることがわからない人も少なくないようです。

 

人はそれぞれに心の支えがあるのかもしれません。

今回は、『心の支え』について三回に渡るお話です。

 

 

心の支えとは、

 家族…

 愛する人好きな人…

 仕事…

 趣味…

 お金…

 名誉…

 地位…

 

 

わたしは自分の支えを考えてみましたが、それはひとつではありませんでした。

一言で言えば、

「生きがい」

とでもいうのでしょうか。

しかし、この支えも失うことで自分に大きな影響が生じます。

支えを失うのですから当然かもしれません。

そのことについて、書籍『なぜ生きる』1万年堂出版の一説にこんなことが書かれています。

 

 金や財を力にしている者は、金や財産を失った時に顚倒する。

 名誉や地位を力にしている者は、それらをなくした時に失墜する。

 親や子どもを力にしている者は、親や子を亡くした時に倒壊する。

 信念を力にしている者は、信念が揺らいだ時に崩壊する。

 

 

確かにそうかもしれません。

なくなれば大きな損失となり、自分を見失うことになります。

だからしっかり考えておきたいのです。

では、どんな支えを持てばいいのでしょうか?

 

わたしの場合ですが、

もう10年も前になりますが、娘が地方に住むことになり送り出したことがありました。

娘がいなくなった生活は確かに寂しくなりましたが、わたしの支えはそれだけでなかったので助かりました。

もし、子育てだけが支えであれば、とても寂しくなったでしょう。

 

寂しくならなかった理由は、わたしには失われない支えがあったからです。

それは、“自分以外の人や物事ではなく、自分に支えを持っていた”のです。

 

本日、わたしが言いたかったことは、

「心の支えとは失えば大きな打撃を受けることになる。失わない支え、何があっても揺るぎない支えを考える」

を大切にしたかったのです。

 

 

――つづく

 

 

 

 

 

本日のテーマ

無知は有罪

 

 

先日、お会いしたある人からの突然投げかけられた質問です。

「人生で一番損なことは何ですか?」

 

わたしはこう答えました。

「無知であること」

 

人生では損をすることはたくさんあります。
 失敗…
 何かを失う…
 無駄をする…
 判断を間違える…

このようなことで損をするものです。

 

しかし、この原因の根本を追いかけて行くと、
「知識がなかった」

に辿りつくのです。

 

知らなかったから、
 失敗した…
 何かを失った…
 無駄をした…
 判断を間違えた…

などが当てはまります。



道を知らないと道に迷うことになる……

 

 

こんなことを言っている人たちがいます。

 

■ブローニンの言葉…
「無知は無罪にあらず、有罪である」

 

■レイの言葉…
「知識のない熱心さは、光のない火である」

 

■エマーソンの言葉…
「恐怖は常に無知から生ずる」

 

 

今のわたしは、人生の損とは、

“無知”からはじまると確信しています。

知らないとどんな損をするかを分かりやすく語っている著書をご紹介しましょう。

哲学をわかりやすく子ども向けに解説した著書『生きると死ぬ』ブリジット・ラベ/ミッシェル・ピュエシュ著(日本放送出版協会)にこんなことが書かれています。

 

『知っていると知らない』
――タルトにするか、エクレアにするか?――

ソフィーはケーキ屋さんに入った。
あしたは自分の誕生日パーティーあがるので、ケーキを選びにきたんだ。
エクレアにするか、メレンゲにするか、タルトにするか、マカロンにするか、迷っている。
「ほら、はやく選びなさい、ソフィー。こんなところで2時間もぐずぐずしているわけにはいかないのよ」とお母さんがせかす。
「そんなこと言われても、困ったな、知らないケーキがたくさんあるんだもの。どうやって決めればいいの?」

 

「知っているのから選べばいいじゃない」
お母さんはすこしいらいらして言った。
「できれば、すこしずつ味見をしたいんだけどな。そうすればどれが好きか、はっきりわかるんだけど。わたし、お店の人にたのんでみようかな」


 

そんなことをたのんだら、お店の人はいやな顔をするだろうし、お母さんはあわててソフィーの手を引っ張って、店から連れ出してしまうだろう。でもよく考えてみると、ソフィーがしようとしたことは、けっしてばかげたことではない。知っているからこそ、選べるのだ。知らないものを選べるわけがない。
さらに言うなら、カウンターの向こうには、ケーキ職人が働いているキッチンがあり、そこにはまだショーケースに出ていないケーキだってある。それを選ぶことは、ぜったいにできない。あることさえ知らないものは選べない。そこに夢にまで見たケーキがあったとしても、そのことを知らなければ、素通りするしかない。(略)

 

 

いかがでしょう、

「知らないことは選べない」

のです。

ケーキくらいならばまだいいのですが、人生で大切なことを知らなかったらどうなるでしょう?

 どう生きればいいのか…

 どうしたら幸せになれるのか…

 この苦しみを乗り越えるために何が必要か…

 人生を良くするために何を大切にするか…

 

だからわたしは、疑問の答えを出すために情報を集め、自分で正しい判断ができるようにしてきました。

それは、

「無知は無罪にあらず、有罪になる」

と考えるようにしているからです。