メルマガ人生学校便り4340『道徳とは何でしょう?』

 

本日のテーマ

道徳とは何でしょう?】

 

 

最近、道徳について考える機会が少なくなっているように感じます。

 

しかし日本人は、本来、道徳をとても大切なものとして重んじ、子どもや子孫に伝えてきました。

 

明治三十七年から昭和二十年まで使われていた尋常小学校の修身書にも、その考え方がよく表れています。

 

ホワイトボードに書かれた文字

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そこには、努力、熱意、勤労、勤勉、創意、挑戦、奉仕、孝行、質素、養生など、人として大切にすべきことが記されていました。

しかも、ただ理屈を説明するのではありません。

どの人物が、どのような思いで、何を行い、その結果どうなったのか。

人の生きざまを通して、良い行いをすることの意味、結果、価値を伝えていたのです。

 

現代の子どもたちに、本当に必要とされている教育とは何でしょうか。

理屈やデータ、テクニックだけではなく、大人たちが見本を見せることではないでしょうか。

良い生きざまを、背中で見せること。

それこそが、本当の教育につながるのだと思います。

 

大人たちが、子どもたちにどのような人になってほしいのか。
どのような国にしたいのか。
どのような家庭を築いてほしいのか。

 

その願いに向かって、自分自身がどう生きているのか。

その姿を見せることが、何より大切なのではないでしょうか。

 

では、教育の目的とは何でしょうか。

私の考えでは、教育とは「幸せに生きるために必要なことを教えること」です。

 

では、幸せとは何か。

それは、価値あるものを知ることだと思います。

 

価値あるものとは、生きるために本当に必要なものです。

その中に、「人」があります。

 

人間は、一人では生きていけません。

だからこそ、人が必要であり、人を大切にする心が必要になります。

 

人を大切にする姿勢を身につけること。

そこに、道徳の本質があるのではないでしょうか。

 

では、道徳とは何でしょうか。

 

目上の人に礼儀正しくする。
ゴミをポイ捨てしない。
お年寄りを労わる。
人に迷惑をかける行為をしない。

 

一般的には、このようなことを道徳と言うことがあります。

 

もちろん、これらは大切なことです。

しかし私は、それらはどちらかと言えば、マナーやルールの範囲に入るものだと思っています。

 

道徳とは、もう少し深いものではないでしょうか。

昔の日本の先人たちが、命がけで国をつくり、家族を守り、社会を支え、生き抜いてきた中で見出したもの。

それが、道徳ではないかと思うのです。

つまり道徳とは、「人が幸せになるための生き方の真髄」ではないでしょうか。

 

道徳とは、

人から尊ばれる生き方。
人から必要とされる生き方。
人から喜ばれる生き方。

 

そのような生き方を実践することだと思います。

まさに、「徳」の「道」なのです。

 

私は、この道徳を改めて学びたいと思っています。

道徳の本質は、知識ではなく、生き方にあります。

徳を積む人間を目指し、日々努力する大人の姿。

その姿こそが、子どもたちへの本当の道徳教育になるのではないでしょうか。

 

アイスキュロスの言葉に、次のようなものがあります。

「真理の言葉は単純である」

 

道徳とは、難しい理屈ではなく、人を大切にし、徳を積み、よりよく生きるための道なのだと思います。

 

 

本日のテーマ

時間の前借り】

 

 

「時間を前借りすることなどできるのだろうか」

 

そう思われるかもしれません。

しかし、二宮尊徳の言葉を読むと、時間の使い方にも「前借り」があることに気づかされます。

 

屋外, 雪, 人, 男 が含まれている画像

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二宮尊徳は、次のように述べています。

「貧者は昨日のために今日をつとめ、昨年のために今年をつとめる。それゆえ終身苦しんで、そのかいがない。富者は明日のために今日をつとめ、来年のために今年をつとめるから、安楽自在ですることなすことみな成就する」

さらに、今日飲む酒がなければ借りて飲み、今日食べる米がなければ借りて食べる。

それが、貧窮に陥る原因だと説いています。

 

たとえば、お金がないのに酒が飲みたくなり、我慢できずに人から借りて飲むとします。

すると翌日は、昨日飲んだ酒の代金を返すために働かなければなりません。

これは、未来の時間を前借りしているようなものです。

 

今日の欲を満たすために、明日の時間を使ってしまう。

これでは、いつまでたっても余裕は生まれません。

同じ今日という時間を使うなら、昨日の後始末のためではなく、明日のために使いたいものです。

 

今日の努力が、明日を楽にする。
今日の我慢が、未来の自分を助ける。
今日の積み重ねが、来年の実りになる。

 

このような時間の使い方が大切なのだと思います。

 

二宮尊徳は、次のような言葉も残しています。

「ここに一粒の米がある。これを食ってしまえばただの一粒だが、もし推し譲ってこれを蒔き、秋に稔りを待ってから食えば、百粒食ってもまだ余りがある。これこそ万世変わらぬ人道なのだ」

 

目の前の一粒を食べてしまえば、それで終わりです。

しかし、その一粒を蒔けば、やがて多くの実りとなって返ってきます。

時間も同じではないでしょうか。

 

今日という時間を、目先の欲のために使うのか。
それとも、未来の実りのために使うのか。

その選択によって、人生の流れは大きく変わっていくのだと思います。

 

時間の前借りをしない。

明日のために、今日を使う。

 

その心がけが、未来の自分を助けてくれるのではないでしょうか。

 

参考文献:『日本の道徳力 二宮尊徳90の名言』石川佐智子著 コスモトゥーワン

 

 

本日のテーマ

思いやりのつくり方】

 

 

「相手の気持ちを理解し合うことができれば、この世の中から全ての争いがなくなる…」
ということを言った人がいます。

 

この言葉を聞いて、すぐに思い浮かんだのが、
“マザー・テレサ”でした。

 

マザー・テレサは、
貧困で苦しんでいる人達に対し、
相手を理解すること、
そして、一番尊敬する神であるキリストを貧しい人に置き換えました。

 

マザー・テレサの言葉…
「貧しい人々の中で最も貧しい人々をキリストご自身の姿として助けてゆきます」

 

赤ちゃんを抱いている人の人の白黒写真

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この考え方を知った時、ジーンとくるほど感動しました。

 

自分の一番大切な人に置き換えて、他人を見る……。
相手の立場を理解するとは、こういうことなのか!

 

わたしは、思いを巡らせながら、
身のまわりに、この考え方を当てはめてみました。

 

スーパーのレジで、モタモタしている老人が
……自分の年老いた父母だったら

 

孤独で一人寂しく死んで行く、孤独死する人が
……自分の年老いた父母だったら

 

いじめで苦しんでいる子どもが
……自分の子ども・孫だったら

 

虐待で殺された子どもが
……自分の子ども・孫だったら

 

身体にハンディキャップを持っている人が
……自分の兄妹だったら

 

事件に巻き込まれ殺害された人が
……家族だったら

 

火事で家が焼けてしまった家が
……我が家だったら

 

他人事として目をそらさないことの大切さをヒシヒシと感じました!

 

自分にできる事は何か…
日々の生活の中で、人と接する時、もし、自分の大切な人だったらと考えることを、こころがけること……。


大切な人が苦しむ姿を、誰も見たいとは思いません。
もし、目の前で大切な人が、苦しんでいたら、悲しんでいたら、困っていたら……
真の優しい人とは、他人のことを自分の立場に置き換えて、理解することができる心の持ち主かもしれません。

 

マザー・テレサの言葉…
何もしなくてもいい。

そこに苦しんでいる人がいることを知るだけでいいのです。