本日のテーマ
【謝恩】
人生は、実に多くの人に支えられながら成り立っています。
親、家族、先生、友人、仕事で出会った人、困ったときに助けてくれた人。
振り返ってみれば、自分一人の力だけで生きてきたわけではないことに気づかされます。
だからこそ、人から受けた恩を忘れず、感謝し、できる形で恩返しをしていくことは、人としてとても大切なことではないでしょうか。
尋常小学校の修身書には、この「謝恩」について、豊臣秀吉の夫人である高台院の話が紹介されています。
高台院は、豊臣秀吉の夫人として、夫をよく支え、内助の功の大きかった人です。
もとは織田信長の足軽であった杉原助左衛門の娘でした。
高台院は幼いころから、同じく信長の家来であった伊藤右近という人に世話になり、親切に育てられました。成長すると、よい家に奉公に出してもらい、行儀作法なども学ばせてもらいました。
そのころ、秀吉はまだ木下藤吉郎と名乗っていた時代で、身分も高くありませんでした。
その藤吉郎が、高台院を妻にしたいと申し入れたのです。
高台院は、まず育ての親のような存在であった右近に相談しました。
すると右近は、
「藤吉郎は知恵のすぐれた人だから、末のためによろしかろう」
と言って、嫁入りをすすめました。
そのとき右近は、決して裕福ではなかったにもかかわらず、高台院のために夜着、ふとん、鏡、くし、こうがいなど、嫁入りの支度を整えて与えました。
その後、木下藤吉郎はしだいに出世し、やがて太閤秀吉として、日本中の人から敬われるほどの人物になりました。
太閤夫人となった高台院は、昔、自分を育て、助け、嫁入りの支度までしてくれた右近夫妻のことを決して忘れませんでした。
人を遣わして方々を探させ、ようやく右近夫妻を見つけ出します。
そのころ右近は落ちぶれ、田舎に身を隠すように暮らしていました。
秀吉夫妻は、右近夫妻を大坂城に招き、心を込めてもてなしました。
昔のことを語り合いながら、涙を流して礼を述べたといいます。
高台院は、たくさんの品物を与えただけではありません。
右近夫妻のそばに寄り、こう言いました。
「御身たちの綿入れは汚れています。昔のお礼に、私に洗濯をさせてください」
そして、新しい着物に着替えさせ、汚れた綿入れを預かりました。
十日ほどたつと、高台院は再び右近夫妻を城に招きました。
そして、自分の手できれいに仕立て直した綿入れを渡したのです。
また秀吉は、右近に禄を与え、その後は大坂に住まわせたといわれています。
この話を読むと、恩を忘れないということの美しさを感じます。
人は、立場が上がったとき、恵まれたとき、成功したときほど、昔受けた恩を忘れてしまうことがあります。
しかし、本当に大切なのは、今の自分を支えてくれた人の存在を忘れないことです。
見えないところで支えてくれた人がいる。
声をかけてくれた人がいる。
助けてくれた人がいる。
導いてくれた人がいる。
私たちは、そうした多くの「お陰様」の上に生かされています。
恩とは、受けた瞬間だけで終わるものではありません。
年月が経っても、自分の心の中に刻んでおくべきものです。
そして、直接その人に返せるなら返す。
返せないなら、今度は自分が誰かにその恩を送っていく。
それもまた、一つの謝恩の形ではないでしょうか。
受けた恩を忘れない人は、人としての美しさを失いません。
お陰様。
感謝。
そして謝恩。
人生を歩むうえで、この心を決して忘れずにいたいものです。
格言に、次の言葉があります。
かけた情けは水に流し、受けた恩は石に刻め。
まさに、謝恩の心を表した言葉だと思います。
