本日のテーマ

粗末にしない

 

 

物を大切にすることは、単に節約することではありません。
それは、物に感謝することだと私は思います。

 

私たちの身の回りにある日用品や、住まい、道路、そしてさまざまな環境設備。
それらはすべて、地球の資源からつくられています。

 

つまり私たちは、地球の恵みを使いながら生きているということです。
新しい物が生まれるたびに、そこには必ず資源が使われているのです。

 

だからこそ、身近な物の扱い方を、あらためて見直してみたいものです。
食べ物、日用品、電気、水――それらをどのように使っているでしょうか。

 

「粗末にしない」という生き方を体現した人物に、徳川光圀 がいます。
水戸黄門のモデルとして知られる人物で、戦前の修身の教科書にも、その姿が記されています。

 

粗末にしない —— 徳川光圀

光圀は、水戸の殿様であり、『大日本史』という名高い歴史書を編さんした人物です。
不自由のない身分でありながら、常に倹約を心がけていました。

着る物や食べる物は質素なもので、住まいも決して豪華ではありませんでした。
居間は狭く、天井や壁には反故紙が貼られていました。

その反故紙も、ただの紙ではありません。
他人から届いた手紙などを再利用し、自らの手で丁寧に貼ったものでした。

日常で文字を書くときも、新しい紙ではなく、反故紙の裏を使っていました。

あるとき、女中たちが紙を粗末に扱っているのを見て、光圀はある行動を取ります。
冬の寒い日に、紙すき場へ連れて行ったのです。

そこでは、女性たちが冷たい水の中に入り、川風にさらされながら、手足を真っ赤にして紙をすいていました。
その光景を目の当たりにした女中たちは、自分たちが何気なく使っていた紙が、多くの人の苦労の上に成り立っていることを知ります。

それ以来、彼女たちは紙一枚たりとも粗末に扱わなくなりました。

 

 

物を大切にするという行為は、単なる習慣ではありません。
そこには、人や自然への敬意が表れます。

 

見えないところにある努力や支えに思いを向けられるかどうか。
それが、その人の人間性を表しているのではないでしょうか。

 

私はこう思います。
物を粗末にしない人は、人生もまた粗末にしない。

 

■徳川光圀 の言葉
「九分は足らず、十分はこぼれると知るべし」

 

 

本日のテーマ

初対面は「態度」「表情」が大事

 

 

みなさんは、初めて会う人の印象を、どこで判断しているでしょうか。

 

以前にも触れましたが、人は初対面の相手を、見た目でほとんど判断してしまうと言われています。
第一印象が良くないと、仕事の場面では不利になったり、思わぬ誤解を招いてしまうこともあります。

 

アメリカの心理学者 アルバート・メラビアン の研究によると、第一印象は次のような割合で決まるとされています。

 

① 外見・態度・表情 …… 55%
② 音声(声の高低・話し方・間) …… 38%
③ 話の内容 …… 7%

 

ここで注目したいのは、「最初の印象」の大部分を占める外見・態度・表情です。
そして、この中には「あいさつ」も含まれています。

 

私は、初めて会う人の「あいさつ」が、とても強く印象に残ります。
表情豊かに、心を込めてあいさつをする人には、自然と好感を持ちます。

 

55%を占める外見・態度・表情を一つにまとめて表すとすれば、それは「あいさつ」と言えるのではないでしょうか。

 

 

初対面とは、「相手にどう見られるか」が決まる瞬間です。
ブランドに例えるなら、「態度」や「表情」は、その人の“デザイン”のようなものかもしれません。

 

だからこそ、自分の態度や表情を、意識して整えてみてはいかがでしょうか。
それは、自分自身の価値を伝える第一歩になるはずです。

 

■バークの言葉
「一度信用を得たならば、進路はおのずから開ける」

 

 

本日のテーマ

本能を蘇らそう

 

 

動物の生命力には、不思議で神秘的な力が数多くあります。
そのひとつが「本能」です。

 

哺乳類の動物は、生まれてすぐに母親の乳を探し、自然に飲むことができます。
また、馬や牛は、生まれて間もなく自分の足で立ち上がります。

 

白いバックグラウンドの前に猫が寝ている

AI 生成コンテンツは誤りを含む可能性があります。

 

これは、人間にはとても真似のできない力です。

 

さらに動物は、体調が悪くなると、自ら薬草となる植物を探し、それを口にします。
いったい誰に教わったのでしょうか。

 

野生には、病院も学校もありません。
それでも動物たちは、生き抜いていくことができるのです。
しかも、無駄な殺し合いや争いをすることはありません。

 

では、私たち人間はどうでしょうか。

 

本能というものは、確かに存在しているはずです。
しかし、それは本当に活かされているのでしょうか。

 

一般的に本能とは、
「動物(人間を含む)が生まれながらに持ち、ある行動へと駆り立てる性質」
とされています。

 

たとえば、
・食べる本能
・異性を求める本能
・闘争本能
・生理的な欲求

 

などが挙げられます。

 

しかし私は、本能とはもっと根源的で、もっと単純なものだと考えています。

 

文明が発達する以前、人間は本来、もっと鋭い感覚と判断力を持っていたのではないでしょうか。
ところが、便利で快適な社会の中で、それらを使う機会が減り、次第に鈍ってしまったのかもしれません。

 

以前、視覚障がいを持つ方と一緒に仕事をしたことがあります。
その方は、嗅覚や聴覚、空気の変化を感じ取る力、そして記憶力において、驚くほど優れていました。
私たちには到底真似のできない能力でした。

 

視覚が使えない分、他の感覚を最大限に活かしていたのだと思います。
そこには、人間が本来持っている力の可能性を感じました。

 

本来、本能とは――
神、あるいは大自然の摂理から与えられた
「生きるために必要な判断と行動の力」
ではないでしょうか。

 

もしその本能が狂い始めているとしたら、
それは生き方そのものが、どこかずれているサインなのかもしれません。

 

その結果として、
自然環境の破壊や、これまでになかった疾病の出現、
そして争いといった現象が起きているようにも感じられます。

 

つまり、私たちは知らず知らずのうちに、
「不自然な生き方」に近づいてしまっているのではないでしょうか。

 

だからこそ、今あらためて、本能を呼び覚ます必要があります。

 

便利さに頼りすぎるのではなく、
自ら考え、工夫し、身体を使い、感覚を磨くこと。

 

その積み重ねが、本来の力を取り戻すことにつながるのです。

 

■ハーヴェイの言葉
自然は一巻の書物であり、神がその著者である。