本日のテーマ

旧暦と新暦

 

 

私たちは、よく「旧暦」「新暦」という言葉を使います。
お盆や正月、季節の行事などを考えるときにも、この言葉を耳にすることがあります。

 

今では、カレンダーや手帳に暦が記載されていることも多くなりました。
しかし昔の人にとって暦は、今よりもずっと生活に密着した大切な目安だったのではないでしょうか。

 

旧暦と新暦の大きな違いは、暦の基準にあります。

 

旧暦は、月の満ち欠けをもとにして作られた暦です。
一方、新暦は、地球が太陽の周りを一周する周期をもとにした暦です。

 

 

そのため、旧暦と新暦では日にちにずれが生じます。
旧暦の正月は、今の新暦で見ると一月下旬から二月ごろになることが多く、立春のころに新しい年を迎える感覚がありました。

 

日本では、明治五年に暦が改められました。
それまで使われていた旧暦から、現在の新暦へと変わったのです。

 

この改暦によって、明治五年十二月三日が、明治六年一月一日となりました。
当時の人々にとっては、突然日付が変わるわけですから、相当な戸惑いがあったのではないでしょうか。

 

正月やお盆などの行事も、地域によって受け止め方が違いました。
七月十五日のお盆をそのまま行う地域もあれば、旧暦に近い時期として八月十五日に行う地域もあります。
今でも、地方によっては「月遅れのお盆」として八月に行うところが多くあります。

 

また、高齢の方や地域によっては、今でも旧暦を基準に話をすることがあります。
ですから、旧暦と新暦の違いを少し知っておくことは、昔から続く行事や人との会話を理解するうえでも大切なことだと思います。

 

 

本日のテーマ

芯を持つ

 

 

人には、それぞれ個性があります。
得意なこともあれば、その人に合った役割や特技もあります。

 

それを磨いていくことで、やがて身を助ける技術になり、仕事として成り立つこともあります。

 

私は、自分にしかできないことを持つことが、
「芯を持つ」ことにつながるのではないかと思います。

 

勝海舟は、
「芯のない人間関係はメダカの群れだ」
と言っています。

 

白黒の写真に写ってる男性の顔の絵

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ここでいう「芯」とは、ただ頑固になることではありません。
自分の中に、これだけは大切にしたいという軸を持つこと。
そして、何か一つのことを修行し、磨き、深め、自分の力にしていくことだと思います。

 

何でもいいから一つのことを究める。
その分野で自分の土台をつくる。
そのうえで社会に出て、学んだことを応用していく。

 

勝海舟は、そのような生き方の大切さを伝えたかったのではないでしょうか。

 

たしかに、自分の中に芯がなければ、人は周りに流されやすくなります。
その場の空気に合わせ、誰かの意見に引っ張られ、自分の立ち位置を見失ってしまうことがあります。

 

人間関係も同じです。

 

それぞれが自分の得意なことを持ち、役割を果たし、力を活かし合うからこそ、本当の協力が生まれます。
一人ひとりに芯があるから、集まったときに大きな力になるのです。

 

反対に、誰も芯を持たず、ただ周りに合わせているだけなら、それは力を合わせているのではなく、ただ群れているだけになってしまいます。

 

では、私たちは自分の中に芯を持っているでしょうか。

 

「自分は、このことに自信を持って生きている」
「この分野なら、人の役に立てる」
「この仕事で、自分は価値を生み出している」

 

そう胸を張って言えるものがあるなら、それは自分の芯になっていきます。

 

もちろん、最初から立派な芯を持っている必要はありません。
大切なのは、自分は何を磨いていくのかを決めることです。

 

何を学ぶのか。
何を深めるのか。
何で人の役に立つのか。

 

それを自問自答することが、自分の芯を見つける第一歩になるのだと思います。

 

芯を持つとは、自分をはっきり表現できる力を持つことです。
自分は何者なのか。
何を大切にしているのか。
何で社会に役立とうとしているのか。

 

それを自分の言葉で語れる人は、周りに流されにくくなります。
そして、自分の人生を自分の足で歩いていけるようになります。

 

勝海舟の言葉に、次のようなものがあります。

「時代の空気と無縁に生きるな」

 

芯を持つことは、時代に背を向けることではありません。
自分の軸を持ちながら、時代を見つめ、その中で自分の力をどう活かすかを考えることです。

 

自分の芯を持つ。
そして、その芯を社会の中で活かしていく。

 

それが、自分らしく生きる力になるのではないでしょうか。

 

 

本日のテーマ

得ることは失うこと

 

 

仏教の経典に「般若心経」があります。

 

般若心経は、わずか二百六十二文字の短い経典ですが、その一つひとつの言葉には深い意味が込められています。

 

その中に、
「不増不減」
という言葉があります。

 

白い背景に黒い文字が書かれた紙

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これは、
「この世のものは、本来、増えることも減ることもない」
という意味だとされています。

 

私たちは日常の中で、
「増えた」
「減った」
と考えます。

 

しかし、それは一つの面から見た姿にすぎないのかもしれません。

 

たとえば、生活の中では毎日ゴミが出ます。
私たちには、「ゴミが増えた」ように見えます。

 

しかし、そのゴミのもとをたどれば、すべて自然界にあったものです。
紙は木から。
ビニールは石油から。
金属は大地から。

 

つまり、私たちの身のまわりで何かが増えているとき、どこかでは何かが減っているのです。

 

何かを得れば、何かを失う。
何かがこちらに移れば、どこかから離れている。

 

そこには、必ずバランスがあります。

 

このことは、私たちの日常にも当てはまります。

 

誰かが勝てば、誰かが負ける。
働く時間が増えれば、自由な時間は減る。
欲しいものを買えば、お金は減る。
便利さを得れば、資源は失われる。
自分の得ばかりを求めれば、人としての徳を失うこともある。

 

大切なのは、得ることが悪いということではありません。

 

何を得ようとしているのか。
そのために何を失っているのか。
そのことに気づいているかどうかなのです。

 

人は、得ることばかりに目を向けると、欲に流されます。
失っているものに気づかないまま、もっと、もっとと求めてしまいます。

 

しかし、得ることの裏側には、必ず失うものがあります。

 

お金を得るために、時間を失う。
成功を得るために、心の余裕を失う。
便利さを得るために、自然を失う。
自分の利益を得るために、人の信頼を失う。

 

そうならないためにも、私たちは時々立ち止まり、考える必要があります。

 

今、自分は何を得ようとしているのか。
その代わりに、何を失っているのか。
そして、本当に失ってはいけないものは何か。

 

「得ることは失うこと」

 

この視点を持つだけで、物事の見方は変わります。
欲に流されるのではなく、何を大切にするべきかを考えられるようになります。

 

本当に大切なのは、多くを得ることではありません。
何を得て、何を守るのか。
何を手放し、何を失ってはいけないのか。

 

そこに、その人の生き方が表れるのだと思います。

 

蓮如上人の言葉に、次のようなものがあります。

「心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、心得たるなり」

 

分かったと思ったときこそ、まだ分かっていない。
分かっていないと気づいたとき、そこから本当の学びが始まる。

 

「得ることは失うこと」

 

この言葉を、日々の暮らしの中で忘れずにいたいものです。